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日本最大の編集者・山崎範子が次に立ち向かうものは

「谷根千に終刊の日が」を草したのが、二〇〇九年であるから、それから十二年の月日が流れ去ったが、いまだに山崎範子の本は世にあらわれてこない。そこで草の葉ライブラリーでの登場である。彼女が「草の葉」に投じたエッセイ、そして地域雑誌「谷根千」に書き込んだコラムやルポを拾い集めて、時系列ではなくランダムに組み立ててみた。すでに遠くに去りつつある時代に書かれた文章であり、いずれも短文であり、その分量も二百ページにすぎない。しかしこの一冊のなかに山崎範子の本質というものが縫い込められている。彼女がどのように生きてきたのか、そしていまなお何をめざして生きているかが。

「谷根千」という小さな季刊雑誌から森まゆみという読書社会のスターが誕生したが、その影に隠れている山崎範子の存在を多くの人に知ってもらいたいと、『note』というウェッブサイトに、彼女のエッセイやコラムやルポをいくつか打ち込んだが、その中の一つに「日本最大の編集者」とタイトルをつけてみた。掛け値なしに山崎範子にそういう冠をのせるのは、この本を手にした人にはうなずかれるだろう。

「谷根千」は、谷中、根津、千駄木という地域に発行される百ページにも満たぬ小雑誌だが、発行されるまでにはさまざまな膨大な作業がある。取材からはじまって、原稿を書き、写真を収集し、それを割付していく。さらに毎号、百近い店舗から広告をとってくる営業活動があり、刷り上がってまるで壁のように積み上げられる一万部もの雑誌を、店頭販売してくれる三百近くもの書店や商店に、自転車の荷台に「谷根千」を山と積みこんで配布していく。自転車操業のなか、精神活動、肉体活動、営業活動、奉仕活動、イベント活動、社会活動、金銭活動、子育て活動、内部争乱活動と、その全身をフル回転させ、時代の底に沈んでいくような町を見事よみがえらせていったのだ。こういう活動を二十五年も営々として展開していった山崎を「日本最大の編集者」と名付けたっていいではないか。

 彼女はまた斬新な言葉を紡ぎだす一級のコラムニストであり、エッセイシストでもある。この本のなかに三編の「生き物の飼い方」があるが、こんな生き物の飼い方を描いた人は誰もいない。あるいは冒頭に編んだ「スナック美奈子での五日間」は、『note』につぎのような前文を書いて打ち込んでみた。
「これは極上のルポである。山崎範子のコラムニストとしての、あるいはエッセイシストとしての才気がほとばしっている。スナック稼業を、美奈子ママの人生を、その店に集う人々をとらえる視点の深さ、そして文章の構成力。たとえば、修業する目的が三つあるとして、冒頭でその二つの目的を書くが、三つ目は伏せられている。その三つ目が最終日に明かされるのだ。そのシーンにであったとき、私たちの心のなかに鐘が鳴り渡る。たった五日間の体験だが、山崎範子の柔らかい心と、繊細な感受性と、それを確かなタッチと文章力で描くこのルポは、短編小説のように仕上がっている。読む者を幸福にさせる」

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 あるとき、須賀敦子さんと対話しているときに、この「谷根千」の活動が話題になった。須賀さんと森まゆみさんとは深い交流があるらしく、森さんから新刊を出すたびにその本が送られてくる、彼女の本がもう山となって積み上げられていると、須賀さんはなにやら揶揄するように皮肉の笑みをつくって言った。そのとき私は、森さんの本の山で須賀邸の床が抜けるんじゃないんですかと悪意のジョークを放つと須賀さんは大きく笑った。そしてそのジョークになぜ悪意を含ませているかを須賀さんに話したのだ。「谷根千」にはもう一人、山崎範子という素晴らしい書き手がいる。ところが彼女の本は一冊も現れてこない。なんだか「谷根千」活動のうまみというか漁夫の利をすべて森さんがせしめているようで、一冊ぐらいは山崎範子に譲ったらどうなんですかねと。すると須賀さんは辛辣な言葉を放った。
「友情にあふれていても、女の戦いはすさまじいものよ、絶対に譲れないものがあるんじゃないの、女の本質ってあんがい意地悪いものよ」

 そしてそのあと私たちは、何十冊、何百冊もの本を送り出しているベストセラー作家たちを猛烈に攻撃していったのだ。須賀さんはそのとき「クレシエ──cliehē」という言葉を使った。きまりきった陳腐なる表現という意味である。
「日本語はもうクレシエだらけになっていく。いつも同じ言葉、いつも同じ言い回し、いつも同じ腐ったような比喩、日本語はおそろしいばかりにクレシエだらけになっていく。そして陳腐なるストーリー、そこに使い古された、踏み荒らされた、なんの想像力もない言葉で組みたてられていく。あるベストセラー作家は七十冊の本を書いたという、さらに上をいくベストセラー作家は百二十冊の本を出したと豪語する。だけど日本の大半のベストセラー作家たちの作品は、彼らがお亡くなりになると、その一か月後にはその大量の本はゴミとなって捨てられていく。彼らは大量のゴミをまき散らして去っていった人種ということになるのよね」
 そして須賀さんはこう言ったのだ。
「私の本もまたゴミみたいなものね」
 須賀さんが「ミラノ霧の風景」という極上の本を投じて読書社会の登場したのは、六十歳になったときだった。それから六十九歳で没するまでに須賀さんが刊行した本はわずか五冊だった。それらの本をゴミみたいなものよと須賀さんは言ったのだ。

間もなく山崎範子著「谷根千ワンダーランド」が草の葉ライブラリーから登場していきます。

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