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実朝と公暁  一の章

実朝は殺された。しかし彼の詩魂は、自分は自殺したのだと言うかもしれない。──小林秀雄


序の章


  源実朝は健保七年(一二一九年)正月二十七日に鶴岡八幡宮の社頭で暗殺された。この事件の謎は深い。フィクションで歴史を描くことを禁じられている歴史家たちにとっても、この事件はいたく想像力をかきたてられるのか、その謎を暴こうと少ない資料を駆使して推論を組み立てる。しかしそれらの論がさらに謎を深めるといったありさまなのだ。それもこれも、実朝を暗殺した公暁がいかなる人物であったかを照射する歴史資料が無きに等しいところからくる。
 しかし鎌倉幕府の公文書とでもいうべき『吾妻鏡』を、なめるようにあるいは穴の開くほど眺めていると、この公暁がほのかに歴史の闇のなかから姿をみせてくるのだ。というのもこの『吾妻鏡』のなかに「頼家の子善哉(公暁の幼名)鶴岡に詣でる」とか「善哉実朝の猶子となる」といったたった一行のそっけない記事が記されていて、それもすべてを並べたって十行余にすぎないが、しかしそれらの一行一行の奥に隠された公暁の生というものに踏み込んでいくとき、そこから公暁はただならぬ人物となって現れてくるのだ。
 それは歴史学者たちが好んで描く、実朝暗殺は幕府の重臣たちの権力闘争であったとか、北条一族が権力を握るために公暁に暗殺させたとか、公暁が狂乱の果てに起こした刃傷沙汰だったといったことではなく、なにやら公暁なる人物が、主体的意志をもって時代を駆け抜けていった事件、公暁が公暁になるために──すなわち鎌倉に新しい国をつくるために画策した事件であったという像が、ほのかに歴史の底から立ち上ってくるのだ。
 したがってこの謎に包まれた事件に近づいていくには、暗殺の首謀者である公暁を、どれだけ歴史のなかから掘り起こしていくかにある。もし公暁に生命を吹き込むことに成功したとき、私たちははじめてこの歴史の闇のなかにかすかであるが、一条の光を射し込ましたということになるのであろう。
 
  

一の章

 
 さきの和田義盛の乱で灰燼に帰した幕府は、京より建造と陣用という二人の棟梁を招聘して、京の御所を模しての大規模な建造がはじまったのが四年前だった。まず実朝の住居となる寝殿がつくられ、幕府の閣議や重要な行事が行われる正殿、公務をつかさどる南殿や北殿、校書殿、問注所、講堂、客堂、武者詰め所、庫裏、それら建物をつなぐ長い回廊、そして中門北門南門がつくられ、その周囲を高い土塀で取り囲んだ幕府の建物の工事が完了したのはごく最近のことであった。
 実朝はその建設の最中にいくつもの注文を出していた。彼が居住する寝殿の造作が気に入らず改築させたり、寝殿のわきに書庫をつくったり、砂利がまかれた所内にふんだんに樹木を配することなどを。とりわけ寝殿の庭には楓や紅葉の木立を植えさせた。秋になるとそれらの木立があざやかな紅葉黄葉に色づく。どこか武骨な幕府のなかに雅の世界をつくりだすのだった。
 雨が降っていた。
 実朝は寝所から縁に出て、木の葉を打つ雨に眼をやっていた。このところ鎌倉に雨がなかった。あらゆるものがかさかさに乾いていた。ひさしぶりの雨だったのだ。乾いた大地に清涼な雨が気持ちよく降り注ぐ。実朝がその配置まで気を配った樹木の葉が、雨をうけてさわさわと躍っていた。
 実朝の手が筆をもとめた。彼が筆に手をのばすとき、それは彼のなかに言葉が岩清水のように滴り落ちてくるときだった。屋根瓦から落ちる雨を硯にうけると、政府の文書や書籍が積み上げられている文机の前に座り、彼のなかにあふれてくる言葉を磨くかのように静かに墨を磨るのだ。このような律動にとらわれ、硯を取り出し、墨を磨ることも久しくなかったことだった。
降りしきる雨音がすべての音を消していたが、しかし実朝の鋭敏な耳は従者が廊を踏む足音を捉えていた。その足音が彼の部屋の前で止まると、板戸を通して甲高い声がとんできた。
「大江広元さまが、お見えでございます」
 実朝はふと訪れた豪華な時間を中断されたのを少し怒るように板戸に向かって、
「廂の間で会おう、廂の間で待たせよ」
戸惑う従者の声が訊き返してきた。
「廂の間でございますか?」
 廂の間とは寝所のわきにとりついた部屋だった。そこはいわば寝所の続き間のようなもので、そこで人と会うことなどめったになかった。実朝はもう一度、広元を廂の間に待たせるようにと繰り返すとまた墨を磨りはじめた。
墨をさりさりと磨る、それは創作の呼吸を整えるときであった。そして筆に墨をたっぷりと含ませる。それは生命の一滴あるいは言葉の精髄の一滴となって、和紙のなかに吸い込まれていく。実朝がこよなく愛する豊穣な一瞬であった。
 広廊を歩く足音が近づいてきた。実朝の一種病的とも思われる鋭い聴覚は、その足音が誰のものかさえわかるのだ。言葉の一滴がまさにこぼれ落ちんとする豊穣な一瞬を破らんとする足音を耳にうけながら、しかし彼はなおもさりさりと墨を磨りつづけた。彼の指からいま言薬が滴り落ちようとしているのだ。実朝は筆を取り、その筆にいま磨りこんだ墨をたっぷりと含ませた。そして文机の上においた和紙に筆を走らそうとしたが、しかし滴り落ちようとしていた言葉がきれいに消え去っていることに気づくのだった。
 檜の一枚板の引き戸を開くと、廂の間にはぴしりと背筋を立てて座している広元が頭をたれた。その姿態は地に根を深く張ったゆるぎない古木のような風格をただよわせている。そのとき広元は六十八歳だった。
 実朝は消え去った豊穣の一瞬を追いかけるように、庭に眼をやって、
「雨だな」
「はい、雨でございます」
「木立の葉が喜び騒いでいるようだ」
「ひさしぶりの雨でございます」
 実朝は雨の景色に心を残すようにして広元の前に対座した。実朝にとって広元は、あるときは父のような存在であり、またあるときは師の存在だった。実朝が幼児であった頃は、しばしば広元の膝の上にのったこともある。悪さをしてぴしゃりと手を叩かれたこともある。頼家のあとをおそって将軍の座に就いたときも、つねに広元は厳しい師範でありつづけた。廷々と続く閣議にあきて思わず大きなあくびをしたりすると、広元の叱責の視線がとんできた。わずか十二歳で鎌倉の最高の地位に就かなければならなかった実朝を、広元は父となり師となって支えなければならなかったのだ。
 しかしそんな関係も、実朝が右も左もわからぬ少年の日のことであった。元服をすませ、きりりとした将軍に成長していくにつれて、広元の実朝に対する態度はへりくだり、いつしか頼朝に仕えていたときのように忠実な部下となっていった。それは実朝が広元をも配下にする文字通りの将軍に成長を遂げていったことでもあった。
「上さまとこうして、じきじきに対座する日は、もうないと思っておりました」
 広元は幕府の閣僚だから、正殿において他の幕僚たちとともにする会見の場では始終顔を合わせる。しかしこの一年、実朝は二人で向き合うことを露骨に避けていた。その広元を今朝は寝室の続きの間に呼び寄せ、手もふれんばかりの近さで向き合った。その感慨を広元は口にしたのだ。
「何を言うか、そなたはいつでも私を導く師だ」
「そのお言葉、うれしく存じます」
「話を聞こう、さきにそなたに頼んだ探索の報告を聞かせてくれ」
「その件でございますが、上さまのお尋ねにお答えできるよう委細をつくして探査いたしましたが、なにぶん三年前の事件であるがゆえご満足のいくお答ができますか、かいつまんで申しますと」
 と広元が切り出したとき、実朝はちょっとけわしい口調でさえぎった。
「かいつまむことはない、余が聞きたいのはその子細のすべてだ、かいつまんだ報告などすでにたっぷりと耳にしている、余がそなたに尋ねているのは事の一切である。どのようにして事は起こったのか。誰の策謀であり、誰と誰が語らってその陰謀は形成されていったのか、どのようにしてそれが発覚し、それを察知した幕府がどのように対応していったのか、その一切である」
「事の発端は、和田の残党がしきりに同士を募っているという噂を察知した六波羅が、その探索をつづけておりましたところ、岡崎四郎なるかつて和田に仕えておりました浪人者の挙動すこぶる怪しく、これを捕らえてきびしく追及したのでございます、するとその岡崎らが栄実さまを擁して、諸国にいる和田の残党と連絡をとりあう一方、さらに北から南から同士を集め、さらに朝廷さえも抱き込んで、一気に鎌倉を転覆させんとする陰謀が明らかになっていったのでございます」
「そのときすでに彼らは栄実を抱き込んでいたというのか」
「そのようでございます、栄実さまを擁することがその企みの核になるからでございましょう、六波羅よりその旨の急使が届くと、幕府は六波羅に戒厳を指示すると同時に、鎌倉からも佐々木廣綱以下十五名の武者を派遺いたしました、厳しい内偵をつづけておりましたところ、正覚寺近くの旅籠屋で和田の残党ら十余名が集会をもっているところを探知、急遽六波羅と幕府の戒厳部隊がその密会の場を急襲したのでございます」
「その密会の十五名はすべて討ち取られたわけか」
「はげしい斬りあいの末に七名はその場で討ち果たしましたが、残る七、八名は逃亡したということでございます、その後必死の捜索にもかかわらず、逃亡した者の行方はわかっておりません」
「その集会は陰謀のためであったという証拠でもあったのか、六波羅に斬られた和田の浪人たちは、真実、鎌倉を転覆せんとする策略を企んでいたのか」
「それは間違いございません」
「余はいまでも義盛の事件は、無駄なことであったと思っている、あの乱は余の一生の痛恨事であった、余が事の全体を早い時期に把握しておれば、あのような事件にはならなかったであろう、つくづくと余の怠慢を思うばかりなのだ、和田の残党が、無念の嘆きをいだいて、この地をさまよっているのはまことに哀れと思うばかりだ」
「お言葉でございますが、政事というものは嘆きや哀れみのなかで行うべきものではございませぬ、それは頼朝さまが一番嫌ったことでございました、頼朝さまがこの地に幕府を打ち立てることができたのは、ひとえに哀れみや嘆きを迫放したご決断をなさったからであります、和田の乱は大江にとっても痛恨の事件でありました、和田の残党が家族ともども諸国を流浪していることはまことに哀れをもよおします、しかしその残党の数は数百にものぼり、それらの者がやがて結集し、鎌倉をよからぬと思っている勢力、あるいは平家の残党、あるいは朝廷と手を組み、一つの大きな勢力となって謀反の旗を翻すことになるかもしれませぬ、その謀反の芽をつねに摘み取ることもまた政事の重要な仕事でございます」
 頼朝とともに鎌倉幕府の骨格をつくりだしてきた男であった。頼朝なきあと幾度もの騒乱があったが広元の地位は少しも揺らぐことはなかった。広元はつねに幕府の中心を歩いてきたのだ。実朝はそんな広元に、
「ならば尋ねるが、政事とは謀反の芽を摘み取るということだけなのか、そのことだけに政事は力を注ぐものなのか、近年の鎌倉の政事は、政事の大道を忘れていつもそのことだけに始終してはいないか、政事とはそのようなものではないはずだ」
 広元が返す言葉にしばし戸惑っていると、
「いや、いまはそんなことをそなたと議論すべきことではなかった、謀反の件はそなたの探査の通りであったとしょう、それで千寿丸(栄実の幼名)のことだ、千寿丸はその翌日に自ら果てたというが、その子細を聞きたい」
「その件は残念ながら伝聞をつなぎあわせての類推にすぎませぬが、心を許しあった同志の死をいたく絶望しての自刃であったと思われます」
「どのようにして果てたのだ」
「小刀を首にあてて一気に」
「栄実はその前年にも同じような事件に巻き込まれている、そのことがあって剃髪させ京の寺にあずけられた、その男が一年もせぬうちに同じような陰謀に巻き込まれ、あげくの果てに自刃するとは奇妙な話ではないか」
「永福寺の僧房で、小刀にて自刃したという報告しか受けておりませぬ」
「そのとき彼は何歳であったのか」
「たしか十三歳か十四歳ではなかったかと」
「十三とか十四といえばまだ少年ではないか、世のならいもよくわからぬ少年が、そのような覚悟の自殺をするものなのか、栄実をそなたも子供の頃からよく知っているはずだ、兄に似て気性のはげしい子供であった、その子が小刀を首に突き刺して自ら果てるものなのか、奇妙な話だ、奇妙だとは思わないのか」
「なにぶんにもはるか都で起こった事件であります、しかも三年の月日が流れております、その子細をこれ以上しらべる術はありませぬ」
「そなたたちはなんでも自殺とか病死とかにすれば、それで事が片付くと思っているのではないか、兄頼家は病死であった、その長子一幡は自殺であった、そしてまた栄実も自殺であったという、すると残る公暁もまた自殺か、あるいは病死なるものに追い込んでいくのか」
 広元はいつも無表情だった。広元の笑いに崩れた顔を側近でさえも眼にしたことがない。彼の前に白い刃が突きつけられても、この男は表情を変えないだろう。その広元の眼が驚きのひかりを放った。そのとき実朝の口から広元がまったく予期せぬ言葉が発せられたからだ。
「公暁さまを?」
「そうだ、公暁を即刻鎌倉に戻せ、鶴岡宮の定暁どのが入滅なさったが、公暁をその後釜につけたいと思う」
「公暁さまを鶴岡宮の別当に就かせるのでございますか」
「公暁が園城寺にあずけられて、もう六年になるであろうか、聞くところによるとなかなかの修行ぶりらしい、心身ともに大きく成長しているとのことだ、公暁を鎌倉に戻したい、余の手元におきたいのだ」
「それはまた意外なお話であります」
「そなたに栄実の事件の探査を命じたのは、千寿丸が夢にあらわれたこともあるのだ、実に可愛い子供であった、胸に焼きついているその千寿丸が、泣きながらおれに向かって駈けてくる、泣きながら、叔父上さま、私の無念を晴らして下さいと叫んでいるのだ、その夢をみたあとに、しばしば公暁を思うようになった、父が亡くなってからもう十七年の月日が流れた、父の血をうける人間が一人また一人と消え去っていく、いまやおれと公暁の二人になってしまった、たった二人だ、その一人をまたもや陰謀なるものに巻き込んで自殺させるのか」
「それは、大江もまた、もっとも恐れることでございます」
「公暁をおれの手元におきたいのはそれだけではない、大江にはすでにおれの気持ちがわかっているはずだ」
「………………」
「おれは孤独だ、たった一人で幕府の中に立っている、どんな政事を繰り出しても孤独の海に消えていく、しかし公暁がおれのかたわらに立ったら、かつて父上が烈々たる熱情でこの鎌倉に新しい国を打ち立てたように、おれたちもまた熱情と新生の光をこの鎌倉に注ぎ込むことができるのだ」
 広元は表情をほとんど変えずに実朝の言葉を聞いていたが、しかし実朝にわかっていた。広元の心が大きく動いていくのを。だから実朝は心をさらに晒すように言った。
「おれはそなたを遠ざけたことなど一度もない、遠ざけようがないではないか、大江はいつもおれのなかに立っているのだ、おれには心を打ち明ける人間はそなたしかおらぬ、大江、おれにもっと近寄ってくれ」
 

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