「想い」のないところにデザインはない
日常生活の中で、物事を哲学的な視点で考察した経験はありますか?
私たちが日常生活を通じて繰り返すさまざまな行動や選択、一日を始めるコーヒーの入れ方や出勤時の服装選び、夕食のメニュー構成など、これらの日常の細部にも、実は哲学的な背景や考え方が深く関与しています。皆さんは、このような日常の中での自らの行動や選択が、どのような哲学的要素や価値観に基づいているのかを意識的に考えたことがありますか?
例えば、私たちが毎日手にする家電製品やアクセサリー、さらには選んだ服装にも、機能やデザインの外見だけでなく、作り手の哲学や、私たちの文化、価値観が織り込まれています。それは、単に物としての存在ではなく、私たちの生活や感性、歴史と密接に関わる要素を持っています。
デザインの中には、形や色、機能だけでなく、その背後に存在する独自の哲学や、大きな文化的背景、そしてそれにまつわる人々の価値観や信念、生活のスタイルや慣習が反映されています。これらの哲学的要素は、私たちが製品やサービスに感じる感情の質や、それに対する評価や使用方法の核心を形成しているのです。
さらに、私たちが普段目にするデザインやアート、音楽などは、私たちの地域や国の文化、歴史、価値観が反映されており、それらはまた私たちが住むこの宇宙という無限の空間との中で、人間の役割や存在意義とも関わり合っています。デザインやアートを深く、哲学的に探求することで、私たちはそれらが持つ真の本質や価値を更に明確に理解することができます。これにより、私たちの生活はより色彩豊かで意味深いものとなり、私たちとデザインの間の関係性もより深く、持続的なものとなるのです。
1. 存在論的な考察
【 存在と非存在 】
デザインというものは、単なる物質的な存在を超えて、私たちの心の中や感情、文化、社会の中で特定の意味や価値を持つ存在として認識されます。例えば、特定のデザインは私たちに幼少期の記憶や特定の感情を思い起こさせることがあります。マルティン・ハイデッガーの哲学における「存在」とは、私たちが世界と関わる中での存在の仕方や存在するものとしての関係性を指します。デザインが存在しなければ、私たちの日常は機能的で無機質なものとして感じられることでしょう。
【 可能性の哲学 】
デザインは数多くの可能性を秘めており、未来の形を示唆するビジョンやまだ具現化されていないアイディアを持っています。それは、これらの可能性を現実でどのように実現させるか、また異なるシナリオでどのように展開するかの考察のフレームワークを私たちに提供しています。
【 形而上的な存在 】
デザインが持つ物質的な形とは別に、それが持つ独自の価値や意味、目的などの非物質的な側面を指します。たとえば、シンプルな椅子のデザインでも、その背後にはデザイナーの考える「理想の座り心地」や「空間との調和」といった形而上的なコンセプトが存在することが考えられます。
【 本質と事故 】
どのデザインにも、変わることのない固有の性質や特徴、すなわち本質が存在します。一方で、それを取り巻く環境や条件、時代背景などによって変わり得る要素を事故と呼びます。アリストテレスの哲学において、この本質と事故の区別は、物事の理解において中心的な役割を果たします。デザインにおいても、例えば「シンプルさ」や「機能性」といった本質的な要素と、使用される素材や色の選択などの事故的な要素とを区別することが重要です。
2. 真実と客観性
【 真実の多様性 】
デザインの解釈や評価は、異なる文化、時代、または地域のコンテキストにおいて変動します。例えば、あるデザインが一つの文化においては革新的とみなされる一方で、別の文化では伝統的なものとして捉えられるかもしれません。ポストモダニズムの哲学は、絶対的な真実の存在を否定し、真実の多様性や文脈依存性を強調することで、デザインの解釈の多様性を理解する手助けとなります。
【 形而上学的真実 】
一方、デザインの中には普遍的な真実や理念が隠されているという立場も存在します。プラトンのイデア論は、変わることのない永遠の理想の形が存在し、現実のものはそれを模倣する形で存在すると考えました。この観点から、デザインもまた、普遍的な美や機能の理念を具現化するものとして評価されることが考えられます。
【 主観的真実と客観的真実 】
デザインはデザイナーの主観、つまり信念や価値観、経験を反映するものです。しかし、デザインが公になった瞬間、それは多くの人々の解釈や評価の対象となり、多様な価値観や背景を持つ人々から異なる反応がもたらされます。これは、イマヌエル・カントの「物自体」と「物象」の考え方と似ています。物自体は、私たちが直接知覚できない、物の真の本質を指します。一方、物象は私たちが知覚や理解することができる物の表象を指します。デザインにおいても、デザイナーの意図する「真のデザイン(物自体)」と、受け手が感じ取る「デザインの表象(物象)」との間にはギャップが存在することがあります。
3. 認識論との関連
【 認識の源 】
デザインを通じて得られる知識や理解は、私たちの感覚、経験、文化的背景から来るものでしょうか、それとも理論や抽象的な思考に基づくものでしょうか。認識論は、私たちが知識を獲得する過程や、その知識の正確性、限界についての疑問を取り上げます。デザインのコンテキストにおいては、どのようにしてデザインが私たちの認識や価値観に影響を与えるのか、またその逆のプロセスはどのように機能するのかということが重要なテーマとなります。
【 デザインの言語性 】
デザインは、しばしば言語やテキストを介して解説され、解釈されるものですが、そのプロセス自体が必ずしも単純ではありません。デザインを言葉でどのように表現するのか、どの言葉を選ぶのか、それらの言葉がどのようにデザインの理解を形成するのかということは、認識論的な問いとして考察されるべきです。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、言語の構造や使用の仕方が、私たちの世界の認識や理解をどのように影響するかを明らかにしようとしました。彼の「言語ゲーム」という概念は、言語の文脈や状況に応じた変動性を強調し、デザインの解釈や評価がその文脈においてどのように行われるかを理解する上での有用な道具となります。
4. 倫理的な側面
【 デザインの徳 】
デザインには、形や機能の美しさを超えて、その背後にある意図や価値観が関わってきます。これはデザイナーの倫理的な態度や価値観が反映されることを意味します。アリストテレスの徳倫理学は、行動や選択の背後にある性格や習慣を重視します。徳は、正しい習慣を通じて培われるとアリストテレスは教えました。デザインにおいても、その品質や価値は、デザイナーの培われた習慣や道徳的判断によって大きく左右されます。
【 デザインと公正 】
すべての人々に平等にアクセス可能で、差別のないデザインが求められる現代において、公正性は非常に重要なテーマです。デザインがどのように作成・提供されるか、特定の集団や個人を排除することなく、広い範囲の人々に利益をもたらすようにする必要があります。ジョン・ロールズの「正義としての公正」は、公正な社会を形成するための理論を提供しており、デザインにも適用可能です。エマニュエル・レヴィナスの哲学は、他者との関係の中での倫理的責任を強調します。デザイナーは、デザインを通じて多様なユーザーやコミュニティとの関係性を築くことが求められ、その中での公正性や責任を考慮する必要があります。
Without passion, there is no design.
デザインは、見る者の目に触れる形や色、そして機能性を持つものとして存在しますが、それだけがデザインの全てではありません。実際のところ、デザインの奥深さはその背後に隠されています。それは、作り手の心の中に秘められた情熱、想い、そして愛から生まれるものです。この情熱や愛は、私たちが日常生活で経験する存在の意義、真実の探求、自己の認識、そして道徳的な価値というテーマと緊密に結びついています。
例えば、木の温もりを感じる家具や、人の手の温かさを感じさせる手作りの品物など、あるデザインが「あたたかみがある」と評価される理由は、作り手がそこに注ぎ込んだ愛や情熱が感じ取られるからです。
デザインの中には、私たち自身の価値観や感じる感情、人生の経験を反映する要素が散りばめられています。これを理解し、探求することで、デザインが私たちの心や生活にどのように関わっているのか、その深い関連性や影響力を捉えることができます。私たちが美しいと感じるデザインには、作り手の心から湧き出る純粋な想いや愛が織り込まれています。その愛や情熱がないと、デザインはただの無感情な物体に過ぎなくなるでしょう。
日常の中で私たちが接触するさまざまなデザインは、実は私たちの心や価値観と常にコミュニケーションを取っています。デザインの背後に隠された真実を探ることで、私たちはデザインの持つ真の魅力や意義、そして私たちの生活におけるその役割をより深く理解することができ、それに対する感謝や愛情も自然と深まるでしょう。