山岳信仰と紀伊半島~信仰心が無くても惹かれるモノ
神戸から紀伊半島の入り口?あたりの吉野へ引っ越して3年程。
近いようで知らなかったこの地域を少しずつ巡るようになって、知れば知るほど惹かれるモノを感じ始めた私です。
まだまだ知られていないこの地域の事をみなさんに知って欲しくて、実は「<泊まらなければわからない奥大和の魅力を知るツアー ~山岳信仰の山を感じる編~」というモニターツアーを企画しています
吉野 と言えば桜で有名なのは言うまでも無いわけですが、その桜は修験道の信仰の証に植えられたシロヤマザクラであることを知ったのも、吉野山にある金峯山寺(きんぷせんじ)さんが山岳信仰である修験道の総本山であることを知ったのも、移り住んでからの事でした。
修験道とは何なのか、未だにちゃんと理解はできていませんが、山を歩く”修行”を通して、山を感じ、畏敬の念を抱くと聞いて、何か神秘的なものを感じていました。
また、山岳信仰の修行として山に入ることは、どうやら登山とは違うようだとは思っていましたが、先日知人の山伏さんから「修行で山に登る時は、登頂はしない。山の頂上に立つことは、神様の頭に立つようなものだから・・・」と聞いて、ナルホドと納得しました。
私自身は仏壇の無い家庭で育ち、カトリック教会の幼稚園に通い、その後9年も教会の日曜学校に通ったあげく、洗礼を受けないかと誘われて逃げ出した人間です。我ながら信仰心の無い人間だなと思いますが、とは言え日本人の血しか流れていない身としては、八百万の神々の存在は違和感なく受け入れられる気がします。山岳信仰は自然を敬う、という点で日本人の生活そのものから生まれたのだろうと感じます。
ここ吉野に移り住んでからは時々山を歩く機会に恵まれ、何も考えずただひたすら歩いて山の風景、空の変化、木々や草花の可憐さ、鳥のさえずり、風の音、山から流れ出る水の美しさ・・・そんな五感を喜ばせてくれるものに浸る時間の心地よさに段々惹かれるようになりました。
なんせここ紀伊半島の山に登ると、360度山、山、山、なのです。
私の生まれた静岡や長く住んだ神戸では、北を見れば山、南は海、というのがお決まりでしたが、ここでは四周が山なのです。そして何層にも山並みが連なる景色は本当に美しく、惚れ惚れします。
また、神戸に居た頃は何度か六甲山系を歩きましたが、この吉野の山奥は空気感が全然違います。倒木に苔生したような山中を歩くと、気持ちがとても落ち着くのです。
さてこの惚れ惚れする山の景色を山岳信仰の山として感じていただきたい!と企画する今回のモニターツアーの概要をご紹介していきたいと思います。
始まりは吉野山 金峯山寺さん
(ちなみに、関西では場所や店や会社の名前などに皆 ”さん” を付けます。ご了承のほど(笑))
そして大峰奥駈道の途中にある前鬼の里も訪問します。
この試みは、本気で山岳信仰を体験したい方向けの修行体験とは違い、宗教的な部分も一つの文化として知って頂くというスタンスでの企画となります。観る”観光”から一歩外して何を感じていただけるか、何を共有できるのか・・・私自身も楽しみに掘り下げて行きたいと思います。
モニターツアーの訪問先情報は次回に・・・
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