就職氷河期世代問題はもう終わっている
そう感じた。
政治の方からもそんな声すら出て来なくなった。
既に去年からの出生数が80万人を切ってしまい、そこから異次元の少子化対策が前面に出されてしまったので、今更就職氷河期世代をどうこうするという話ではなくなってしまった。
今後は国家があらゆる手を講じて一つの家庭に対してどれだけ手厚い保護や補助をしていくかという段階に入っている。
政府としてはいつ結婚できるか分からない氷河期世代を支援したって効果が薄いと言うことくらい分かっているのだと思う。
コロナ禍さえなければもう少しまともな支援を受けられていたことだろう。
ただ、そんな蜘蛛の糸は垂らされることはなかった。
相変わらず厖大な票田である高齢者向けの政策をコロナ禍でも採ってしまったので彼らのことはすっかりと忘れ去られてしまった。
正直、政府は職あぶれの彼らのことなんて今後気にもしないのだろう。
「就職氷河期世代」と検索すればトップで厚労省のページが出て来る。
それだけ喫緊に迫ったことだったが、最終更新が去年の10月で止まっているようだ。
恐らく国や政府としては“十分に”やり尽くしたのだろう。
だからこれはここで終わり。
後はどうなるか、どうするか、ある程度の事態を政府としては把握というか想定していることなのだろう。
社会不安が訪れるかも知れないが効果の薄いところにお金を投入しても金溝(金を溝に捨てる行為)なので、そうした金は子育て支援に回した方が効果が得られると“やっぱり”考えるのだろう。
それでは彼らはどうなる?
社会不安に陥れるようなところまでいくのだろうか。
年老いるしかないのでそんな実行力はなかろう。
あるとすれば貯蓄が出来ないので生活保護の申請で国庫を食い潰すといったころか。
それでこそ就労支援だった筈。
だがそれが叶わないと分かったのでどうやって大人しく退場して貰うか、政府として考えることは一つ、“捨てる”ということなのだろう。
特別な支援はしないといういつもの最低限の政策で済ますのだろう。
生活保護のために国庫を食い潰すから余り長く生きて貰っては困るのでヘルスケア等の支援も特別にさせないのだと思う。
ほっといて、最低ギリギリラインで生かして、短く人生を終えさせることで国庫を成るべく食い潰させないという“調整”を取るのだろう。
そうした分断工作をやっても直ぐにバレるのでどこかでガス抜きをさせるとは思う。
そこで現れたのが名前も言いたくもないドバイ在住の元国会議員だった。
彼は結局一度も国会に出席しないまま除名をされてしまい国会議員の資格を失った。
しかし、個人名で28万票も稼いで当選したのである。
参議院選挙での当確ラインは10万票とも言われる。
元議員に投票した世代は若者ではなく、4~50代の負け組男だと言われる。
丁度この世代は就職氷河期世代でロスジェネでもある。
当然氷河期なので結婚も逃してしまった世代でもある。
彼らが既存の政党に何かを期待する訳でもなく結局国家や社会そのものを破壊しようと、嫌がらせをしようとしか考えてなかったのである。
与党も野党もこんな28万票なんか欲しいのだろうか?
人の成功を兎に角憎み、引き摺り下ろしたいという有権者がいるのである。
特に何もする訳でもなく悪目立ちばかりするしかないが、かと言ってこんなので有権者の達成感を得られれば歳費も安上がりで済むのではないかと思う。
効果の得られない数十億、数百億の氷河期世代対策に金を掛けるよりも数千万円程度の議員としての給料を与えた方がよっぽど“対策”に適っていたのではないだろうか。
国会は彼を追放したがまた第二のアレが出て来ることは間違いないのである。
結局棄民扱いであっても選挙権までは剥奪されてないのだから、憎悪の鬱憤はまたどこかで爆発する。
丁度アレは政党名を変えたので引き続き棄民達のスケベ心で投票して貰おうと考えているのだろう。
ギリギリではあるが今春の統一地方選挙がやって来るので棄民らはアレに投票することだろう。
結局“勝って”しまうのである。
棄民達が国民であるという証を手に入れるためには結局政治の力しかないのである。
与野党も自分達なんかに投票しなくてもいいからそっちで満たしてくださいなと考えていることだろう。
そうやってガス抜きが行われ、問題は解決していくのである。
戦国時代が終わって武器を持った武装集団の処遇をどうしようかと江戸幕府は考えた。
幕府はさっさと武装集団に海外へ行かせて傭兵に就かせることをさせた。
ある程度掃けたら貿易を打ち切り彼らが戻って来るのをシャットアウトさせたのである。
これが“戦後処理”なのだが幕府というよりも国内の懸念材料をどうするか今までの歴史が証明してきているのである。
鎌倉時代では御恩と奉公で土地の切り分けをやり過ぎて結局幕府が弱体化してしまったのである。
江戸時代では先ず大量の武装集団を海外へ行かせて足切りを行った。
その次に身分を固定化させて何とか役人化させようとした。
そして大名クラスになれば影響力の強いところは僻地に追い遣って金を使わせて取り潰しをさせようとしたのである。
これでほぼ争いがない260年間の平和が訪れたのである。
ただ、時代は進み明治時代となればこうした士族らの処遇をどうするか考えてしまうのである。
本来なら江戸時代で潰すべきだった士族が生き残ってしまったので、仕方なく補助金をあげて緩く滅ぼすつもりだったのだけど西郷隆盛が文句を言い出して士族を焚き付けてしまって遂には国内最大の内戦が戊辰戦争に続いて起きてしまった。
結局この西南戦争を機にして政治も変わり始めまともな国家運営をするようになったのである。
時代は昭和の戦後に移るが、多くの兵隊達はどうなったのだろう。
正直ヒロポンが流通していたのも混乱を避けるために目を瞑っていたのではないかとさえ思える。
人権がどうのこうのと全ての人を救うつもりでいたら国家はもたない。
どこかで見切りをつけて切り捨てる覚悟を持たなければその選択肢を得られない。
結局国家がなければ人権を保障すら出来ないのである。
国家が崩壊してしまったソマリアやアフガニスタンやイエメンがどうなっている。
誰も救えなくなってしまう。
所謂若年女性のこれでもかと言えるような手厚過ぎる保護がなされるのも結局国家の存続のために必要なのではないかと思える。
これはこれ以上言わなくても分かるだろう。
少子化対策と若年女性保護はセットである。
最早就職氷河期世代にその就職をクリアさせたところで結婚に結び付けようとしても恐らく何も効果は得られないので初めから支援というものはしない。
国家はどれが重要事項なのか分かっているがやはり有権者の声を聞かなければならないので表向き支援した振りをするのだろうと考えられる。
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