映画は家族や友人や恋人同士で観に行くもの
これは揺るぎのない事実。
この前名探偵コナンの試写会へ行って来たのだが、家族連れが多かった。
当然と言えば当然だろう。
尤もコナンはオタクだけでなく家族や恋人や友人らも観に行くものだ。
親子連れの場合、親自身がコナンを読み(観)続けて来たファンだろう。
親子2代で続くコンテンツである。
もう何十、何百以上と映画を観に行くのにその事すら気付かなかったのである。
恐らくスラムダンクの大ヒットもこれだろう。
若い人は友人達を誘ってリピを繰り返していく。
特典商法に頼らなくても作品に自信があればリピは沢山つくのである。
しかしどの映画も何週目入場特典を付けてリピを狙っているのだが、こういう付焼刃的なことをしなくても本当に面白ければ外出の娯楽としてメリットある作品で勝負をするのである。
シン・仮面ライダーが伸び悩んでいるらしい。
しかし既に10億円を突破していてこれまでのメガヒットと比べたらではあるが十分すぎるではないか?
作品的には庵野秀明監督のネームバリューもあるが、内容に関しては癖が強いのもそうだろうが、次回作の声も掛かっているらしい。
オタク向けに作れば忽ち人を選ぶだろう。
そうなった場合は一回観たきりで終わる。
オタクは基本的に友達がいない。
いても半径2メートル内のセカイしかない。
よく言うヤンキー社会(マイルドヤンキー)は半径5キロメートルと揶揄されるが、それで十分だろう。
それを“絆”で束ねたのが野党時代の谷垣禎一元自民党総裁である。
ワンピースが常に無茶苦茶流行るのもワンピースがヤンキー社会にも支えられているからであり、ワンピースこそが日本のヤンキーらを束ねているからではないのかと感じる。
話は逸れるが九州や沖縄の出生率が他の地域と比べて高めなのはこの地域がヤンキー気質があるからではないかと感じる。
日本は分断国家でもあるようでヤンキーとして生きれば少子化なんぞ解決してしまう。
儒教的国家の韓国や中国は超高齢化社会に突入するが、考えてみれば中国はヤクザ社会の本場みたいなものでエリート社会の裏はこうしたものに裏打ちされるので恐らく黄巾の乱みたいなことが起きれば乱世となって人口が急激に増えていくんじゃないかと予想が出来てしまう。
ヤンキーは横の繋がりが強いので伝播力も強い。
オタクはその名の通り家に引き籠っているので伝播力は小さい。
仮面ライダーも好き嫌いがあったりするのでオタクが仮面ライダー好きと言っても他のオタクが嫌いだったり興味がないと言ってしまえばそれで終わってしまう。
娯楽を提供する人々はとっくに気付いているからこそ特典商法で釣るしかないのである。
シン・エヴァンゲリオンが100億円超えたのも特典商法だけじゃなく、嘗て少年だった者が大人となり親となったからでもう一度振り返りたいという想いがあったのではないかと思う。
仮面ライダーは50年以上前の作品なので中年どころか老年に差し掛かろうとする人々が中心となる。
幾ら人口が多いとされる世代でも、当時子供だった人がそのまま観に行くと言う訳でもなさそう。
人の親になっていたりするので時間を見つけて観に行くのかどうかである。
ある程度の引き延ばしのリミットは30年までと考えるべきか。
スラムダンクもるろうに剣心も30年限度だ。
とは言っても実写版るろうに剣心シリーズは10年掛けて上映したので期限とかの危機はなさそうだった。
50年となればそれは最早入れ替わっているという前提に立たなければならないのだろうと感じる。
仮面ライダーはシリーズ通して今もテレビでやっているが、今回のシン・仮面ライダーP12という区分を設けられてしまったのでそこがネックになっているのではないかと感じる。
鬼滅の刃もP12だったが無茶苦茶大ヒットしたし小学生の観客も動員されていた。
庵野秀明の拘りが出ていたのでそこで人を選んだのではないかと思う。
それでもついていく人は筋金入りだと思う。
特典商法を使えば同じ人が何回にも分けて映画を観に行くので映画料金は1900円と決して安い値段ではないことは分かるが、それを5回も繰り返したら幾らぐらいになるか。
9500円と一つの作品で一万円近く掛かってしまう。
その後に出る初回限定版のBlu-rayが1万円くらいするので一つの作品に2万円以上掛けることになる。
その人達は当然グッズも買うので一つの作品につき3万円以上使うことになる。
友達のいないオタクが一つの作品を支えるために10人分の御布施を続けるのである。
そもそも最近では初めからお金を自力で集められないことがあるのでクラウドファンディングという形を使ってお金を集めて映画を作り上げるということもある。
映画クドわふたーもクラファンで上映が出来たパターンである。
スタッフロールにクラファンに参加した人の名前がびっしりと書かれていたのを覚えている。
映画を上映することは一種の権威を感じているのだろうか。
よくよく考えてみれば、映画こそテレビのない時代の大衆が目を通して観ることの出来る娯楽(または社会問題を追求するメディア)だった筈である。
戦後こそ映画館が沢山あったのはそれが日常の生活の一部だったからで、白黒とはいえテレビが出たことで映画は衰退を始める。
映画館がなくなり、映画そのもののジャンルが消え失せるかと思われたが、そうはならなかった。
非日常を楽しむためのレジャーとして転身したからであろう。
初めに戻るが家族で観に行ったり、恋人と観に行ったり、友達と観に行ったり。
少子化や非婚化が進んでしまい映画そのものの存在意義が薄れ出すと狙ったのがオタク向けと言われるものだった。
東映まんがまつりが既にあったが、少子化となればそれは望めなくなってしまう。
特撮はそれなりにヒットはしており生き残ってはいたが、アニメ映画では異例のヒットを飛ばしていた劇場版エヴァンゲリオンに続いてオタク向けアニメが作られるようになっていく。
東映まんがまつりだけでなく元々ジブリやディズニーの映画はあるのだが、ジブリはオタク脱色を狙っていたので声の人も声優以外を使うことが増えてしまった。
ここからオタク達とアニメ映画(またはディズニー)との乖離が始まってしまう。
まだまだ家族向けで作られていたので非声優のキャスティングで固められてしまい苛立ちを感じていた。
アニメじゃなくて漫画の実写化をこれでもかと濫発して更にオタク達をがっかりさせていた。
それだけ爆発的なヒット、継続を続けることが難しかったのではないかと思われる。
しかし、非声優に頼らずともヒットを飛ばせる作品が存在するようになったのもここ最近である。
鬼滅の刃やシン・エヴァンゲリオンはゲスト声優(タレントとか芸人)に頼らないで100億円以上の興行収入を得た作品である。
元々ネームバリューはあったが、思い出を振り返るだけでなくコロナ禍での鬱憤を晴らすべく大衆が駆けつけた効果もあったのではないかと感じる。
シン・エヴァンゲリオンを観に行った人の中には多くの妊婦さんもいたという。
アニメや漫画は大人になってから卒業しなさいと言われていた筈だが、そうした小言を言うような大人がいなくなってしまったということだろうか。
となれば、オタクがそのまんま大人になって家族を持ってもオタクでいてくれている証拠でもある。
とは言っても、新作に触れることはなく過去のネームバリューでしか嘗てのオタク達は触れようとはしない。
30年振りのリバイバルもそれでしかない。
オタクを狙おうと考えても、○○の声優が出ていれば観に行くといったこれまたジャニーズが出ているからアニメも実写も観に行こうとするジャニオタに当て込んだ映画と変わらなかったりする。
別の見方をすれば見えて来るものもあるが、結局立方体を見るようなものだとどこかで気付いてしまう。
基本的に変わらないのは初めに戻るが「映画は家族や恋人や友人同士で観に行くもの」である。
オタクに当て込もうとした時には特典商法を付けるしかないのである。