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長島☆自演乙☆雄一郎の残したもの

2月22日大阪で行われたミャンマーラウェイの試合で長島☆自演乙☆雄一郎(以下乙とする)が出場し、コスプレ現役生活を終えることとなった。

色々と含みを残したように感じるが、当初乙が主張しているように勝っても負けても一区切りをつけたかったようである。

こちらとしてはニコニコのブロマガ最後となるブログでほぼ語り尽くしたのであまり言うことはないが、今後の展開と展望について述べようかと思う。

以前はニコニコのブロマガで不定期掲載をしていたのだが、やはり時代の流れに対応し切れなくてブロマガから今回のnoteに切り替えることにした。

久々に長く語っているのでリンク先から以前の記事が読めると思う。

今回の試合に関してはほぼこれ以上言うこともないだろう。
勝つ見込みははっきり言ってなかったと思う他ない。

本人も一週間に一度だけしか練習する期間がなかったと言うし、膝も負傷した状態での強行出場だった。

もっと言ってしまえば2年前の交通事故に巻き込まれてから生きているだけでも奇蹟というくらいで体はボロボロの状態だったらしい。

怪我の具合も治ってはいなかったようである。

しかし、ジムを開いて大阪大会もあって丁度良いタイミングだったということなのだろう。

これを逃せば今度他のチャンスが巡って来ることもなくそのままフェードアウトする可能性とてある。

有終の美?とは言えないが乙本人としてはこれで一区切りだった。

今回のこの記事のサムネイルは乙が以前出場したクンルンファイトのもので左側に映る対戦相手はロシア🇷🇺のアルテム・パシュポリンという若い選手だった。

今思えば乙もこの試合を破れかぶれ的にしないで距離を保っていればボコボコにされてしまうこともなかったのにと思う。
そもそもこの対戦相手は実は直前に変わったということで対策も取れていなかったというものである。

乙はいつもこうした緊急事態的に呼ばれて試合を組まされることがある。

今回のラウェイも準備期間がほぼなくて対戦相手も直前になって知らされたものである。

それでも引かずに挑んだのだから称賛に値すべきだと思う。

実際にツイッター上では乙のラストファイトを労う声でいっぱいだった。

明らかに格闘技の歴史を変えた男だ。

記録よりも記憶に残る男と言えばいいだろう。

はっきり言ってしまえばリスクだけしかないのにコスプレ入場で世間に注目を集めさせるのだから求心力は計り知れないものである。

偶にテレビに出れば自演乙だと人々は思い出すように昔を語る。

あれから10年が経っている。

地上波に出ていた期間は僅か2年程度しかないがそれでもインパクトに残っているのである。

10年経っているということは今の小学生にとって殆ど知らないようなものである。
テレビ中継がそれほど重要じゃなくなってしまった現在、格闘技はユーチューバーに頼ることなしに生き延びることが難しくなっているのだろう。

時代の流れは残酷だろう。

自演乙という名前自体が2ちゃんねるの掲示板文化から生まれた自作自演お疲れ様の略語から取られているものである。
2ch、ニコ動文化と共に生まれて生きた平成を駆け抜けたようにも感じる。

2ch文化はTwitter文化に取って代わり、ニコニコ動画はYouTubeに取って代わった。

だからと言って乙が取り残されたというものではなかった。

だが、乙に取って相応しい環境がK-1以降与えられた訳でもなかった。

もしもK-1が現在でも地上波を続けていたらどうなっていただろうか?

ライト級を創設することは前提にあったので今のK-1と同じように更に小さな階級も出来ていたことであろう。

乙が現役を続けられていたかどうかは不明だが、ダメージを抜く為に休むという選択肢を取ったこともするので長く続けられていた可能性もある。

現実的には後継の選手達をK-1休止の5年間育てることが出来なかった。

みんな焼け野原から生き残った人々で再出発するしかなかったのである。

武尊もデビューした時にはK-1がなくなって絶望に打ち拉がれていたという。

K-1 MAXの選手達の視点と武尊のような視点で語られるK-1は興味深い。
武尊からK-1の物語は再出発しているのである。

新生K-1での武尊の立ち位置はメインのスーパーライト級トーナメントと比べてその他大勢でしかなかった。
K-1復活の鍵は対日本人無敗のゲーオだったからである。
武尊がK-1の中心になったのは、2年前の初のさいたまスーパーアリーナの単独興行であるK'FESTA.1に於いて大雅が途中で抜けてしまった穴を埋めるべく急遽開催されたトーナメントで優勝して3階級制覇を成し遂げたことによるものである。

実は武尊自身はまだまだ中心ではなかった。
大雅を食らうことで成功する筈だったが、大雅が先に武尊よりも階級上の王座に就いていたので追いつく必要があった。

しかしその時の大雅はギリシャのスタウロスにKO負けを喫したこともあり王者の立場が揺らいでいた。

スタウロスはマイク・ザンビディスが名乗っていた鉄の拳の名前を持つ。

大雅はHIROYAの弟。

いずれもK-1の名前がついて回る。

それを食らうことで武尊は正真正銘K-1の看板を背負って立つことが出来る訳である。

武尊は大雅が倒せなかった相手を倒すことが出来、最終的にトーナメントを勝ち抜いて3階級制覇を成し遂げてK-1を救った。

K-1がピンチの時に現れる救世主が名を残す。

乙も実はK-1の興行が不安定で開催も危ぶまれた状況でスポンサーを見つけて継続させることが出来たのである。

その間も乙はトーナメントを勝ち抜いて優勝することが出来た。
それでギリギリながらも地上波継続が出来て一年保つことに成功するのであった。

あの時そうしていればという考え方はある。

世界トーナメントで鉄の拳のザンビディスに敢えて殴り合いをせずに蹴り中心で距離を保っていれば準決勝を勝ち抜くことが出来たかも知れない。

準決勝の相手がペトロシアンだったらどうなっていたかは分からないが、少なくとも優勝することは不可能ではなかったと思う。
乙が踏み込んで突進するような攻撃はペトロシアンには苦手なのではないかと思われる。
ペトロシアンはその後のGLORYでアンディ・リスティとの対戦で突進攻撃になす術もなく負けてしまったこともあるから可能性としてはゼロという訳でも無さそうであった。
決勝戦は佐藤嘉洋とぶつかる可能性もあったが、その後のホーストカップで対戦することになり結局は敗北することになるのではあるが。

乙が優勝していたらK-1は継続出来ていたのだろうか。
K-1はお金がなくなってGLORYから未払いを訴えられてしまっていたから継続出来たかどうかは怪しい。

結局どうすることも出来ないので最後のフロンティアである大晦日興行を開催する道を選んだということなのだろう。

何故そう思うか。

乙がこれまで歩んできた道を眺めれば自ずと分かって来る筈だ。

乙は途中で降りてしまったがその道を今後は誰が歩んでいくのであろうか。

バトンを渡された訳でもないがその役目を負っているのが城戸康裕だと感じる。

城戸は何度目のトーナメントだろうか。
城戸が果たして最後に巡って来たこのチャンスを掴み取ることは出来るのか。

来月その結果が分かって来る。

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