京都大学出ても少子化対策が一夫多妻制しか出せなかった都知事候補達🗼🗳️🎓
肯定的に捉えても京都大学出ようとも少子化の解決は出せないものだと感じる。
この人(サムネの人)が選挙後のテレビ番組に呼ばれて少子化対策はどのようにすべきかという問いに「一夫多妻制や遺伝子操作で産む」みたいな答えを出していたが、本心ではなく例え話だろうきっと。
遺伝子操作って何のことだか分かりもしないだろうけど、人工子宮みたいな話なのだろうか。
個人的に少子化対策の一つに一夫多妻制を導入しろと言ってもそれは対策にはならないと以前のnoteに書いた。
仮に人工子宮を導入してもコスト高となり誰もやらなくなるのがオチである。
それなら代理母に任せるのだろう。
貧富の差が固定化されれば代理母ビジネスは益々加速化されるだろうが、これも依頼客(変な言い方だな)側が「受取拒否」みたいなことをやってしまったら一気に稼げない上に貧困層を抱えることになる。
独身男が人工子宮に頼るのか。
答えは否である。
それならば自分の寿命を延ばす選択肢を取るだろうが、これもまた自分に寿命があることを思わないのでそうした選択肢を取ることはない。
寿命を延ばすという考え方は、自分に守るものが存在しないと健康に気を遣おうとは思わないからである。
独り身が自分の健康に気を使うのか。
大体セルフネグレクトだったりするので長生きするという意識すら湧かずに還暦迎える前におっ死んでしまう。
結婚したら大体妻が夫の健康や異常に気付くので難を流れたりすることがあるのだ。
統計では独身男が既婚者よりも10歳くらい早く死ぬらしい。
年金を貰う前に死んでしまうので、氷河期世代がこのまま年金貰う前に死んでしまえば国による保険料の負担を強いられることもないという計算ができることになる。
結婚を促すのではなく、年金を納められるくらいの稼ぎを作り出すというのは間違いないので物価高の現象は当然とも言える。
機械的に育てると考えれば、ハウス栽培や地下栽培が思い浮かばれる。
ハウス栽培は年中暖かくするので冬場でも作物が育てられるというメリットがあるが、その分だけ燃料費やら水道光熱費がかかるのでそれだけ価格が上がったりする。
ハウス栽培や地下栽培みたいな感じで胎児を育てるのだろうか?
母体の事故とかを防ぐ可能性があるが、子供を残す行為が相続と考えればやっぱりメリットなどなくなる。
それならば150歳でも200歳でも長生き出来る方法を採るだろう。
実はその長生きする方法を採った為に少子化が起きていたりするのである。
縄文時代の人間の平均寿命は30歳くらいだという。
とある研究では縄文人でも60歳くらいまで生きることが出来たらしいが、戦後まで大体人口比はピラミッドである。
齲歯による歯の欠損で長生き出来ないことを考えれば人間の歯自体30代くらいでボロボロになり始めるのでそれで寿命を終える。
鮫とか歯が生え変わり続ける生き物もいるが、人間は9〜12歳で歯が生え入れ替わる。
親不知が大人になってから生えて来ることがあるが、生えて来ない人もいる(埋没している場合もあるが)。
現代は歯科技術も発達しており栄養を十分に摂取出来る技術や環境も揃っているので明治時代の40代からすっかりと2倍になってしまった。
勿論社会インフラや衛生状況も改善され予防接種や病院にも掛かれたりするので長生き出来る要因は沢山ある。
早く大人にならなければならないのでみんな生き急いでいた筈である。
15歳で元服なのだから平均寿命が30〜40代だと残り20年くらいしかない。
娯楽もないので急いで結婚もする必要があったのだろう。
しかしそれは人の命が大事とかではなく、一族の土地を守る為というものだからどんどんと結婚して子供も産ませる必要もあったのである。
女よりも男の方が割と少し多めに生まれて来るのも大人になる前に早めに死んでしまうという設計がなされているからなのだろう。
冒険心は男の方が強めなので開拓の最中事故死するということも前提とした遺伝子の設計なのかも知れない。
男を多めに産んでおかないと誰が自分が妊娠中や子育て中に狩りに出かけられるのかということである。
男を多めに産んでも戦争やら狩りの失敗やらで極端に少なくなることもあっただろう。
その為に未亡人を囲った一夫多妻制がある所の共同体に採用されたと思われる。
太平洋諸島の母系社会やユーラシアの山嶺の一妻多夫の社会制度もあるが一夫多妻は戦争や遊牧社会で見られる形式だろう。
これがもっと社会が成熟化していくと中世の封建社会へと発展していくのだろう。
西洋と東洋とじゃ立場は違ってくるだろうが、おんなじ時空間を共有するかのように部族単位の古代社会が随分と熟れていって他部族と姻戚関係を結んで纏まっていくというものだと感じる。
部族単位で纏まって行って、姻戚関係を結んで民族の長が出来れば「王国」となるのである。
古代日本なら四道将軍や大和武尊や雄略天皇などそうだろうと察しがつく。
そして豪族から公家へ、公家から武家へと政権が移ってもやってることは同じで、天下統一した政権が他の武家との姻戚関係を結んで大きくなっていくという繰り返しをする。
とは言ってもまだ国民国家という概念が存在しないのでずっと取られたら取り返すという繰り返しばかりやって結局外国から武器を輸入して天下統一するまで国民国家的な枠組みを作るまで随分と時間がかかってしまうのである。
それでもまだ、武家連合みたいな政権なのでまだまだ政略結婚やら土地に根付いた大名家の繋がりでしか国を運営できなかった。
明治になってから漸く一夫多妻に終止符が打たれ、近代的な道を歩むことになる。
現実的に江戸幕府が側室を多く囲っても尻すぼみになっていることがあり、そもそもの目的が跡継ぎを残すということだけなのだから多く側室や妾を囲っても財政を圧迫するだけなのである。
直系男子(しかも健康な)を産むだけでどれだけガチャを引かねばならないか。
徳川綱吉は生類憐みの令を発したことでも有名だが、跡継ぎがいなくて124cmと低身長だったという。
綱吉は近世では割と長く62歳まで生きていたが結局体の方は余り強くなかったようだ。
次代の六代目は甥に当たる家宣に受け継がれることになる。
徳川家ですら側室囲っても何度も尻すぼみになっている(御三家が駄目になって御三卿に引き継がれる)ので制度的な一夫多妻制を設けた所でそれが根本解決になるものでもないのである。
ただ、現代でも徳川家が残っていることを考えれば初代がどれだけ尻すぼみにならないように過去の歴史から繙いて参考にして来たのか分かって来る。
とは言っても、徳川家も伊達家も島津家も毛利家も織田家も武田家もその子孫は割と多いが繋がりは苗字程度で他人同士の感覚が強いだろうと思われる。
家の制度もなくなって単純にご先祖さんが残した遺産を管理するような財団となってそれを引き受けるだけのような気もする。
こういう武将達の子孫も最早普通の何処にでもある家庭生活を営んでいることだろう。
戦後となれば一夫多妻なんて出来やしないので跡継ぎをどうするかと言ったら婿入りや親戚から養子を取ったりすると言うことをしているようである。
どうしても子供が多くてもその子供達が必ずしも同じように鼠算の如く増えるとは限らないのである。
人類というか、不思議なものである。
多く子孫を残そうがほぼ必ず尻すぼみになる。
勿論江戸時代や戦国時代も普通に婿や養子を迎え入れていたが、結局この養子を取って家を存続させるという考え方は現代だとそれすら余り取られなくなったようである。
自民党政治では三バンを維持する為に婿や養子を迎え入れていたが、結局個人の人生を尊重するという考え方の方を優先するようになってそれすらやらなくなったようにも見える。
二世ならば別に男女余り関係なくなって女性の政治家も「皮肉」なのか増えて来たと感じる。
思想や政策を優先すればもう血統とか関係なくなってしまっているようだ。
遺伝子じゃなくてミームを残すのは人類では一歩前進だと思う。
単なる血の繋がりのみで採用して来ても結局尻すぼみの原因とも言うべきポンコツしか出来上がらないからである。
そもそも何故一夫多妻制なのかを考えれば単純に「家を継ぐ」ためだということを忘れてはならない。
ハーレム囲って悦に浸る話ではないのである。
女性の政治参加が出来るようになったので別に男に任せる必要もなくなった。
自分の娘に政治家をやらせる意思があるかどうかは分からないが、政治家として動けるような婿も迎え入れる必要も無くなった。
そして政策に合意出来ればもはや自分の子供じゃなくても弟子や秘書にその三バンを譲っても構わないのである。
さて、現代で一夫多妻を実現しているような家庭はあるのかと思ったら、金持ちとか名士とかそういうのではなく、特異な家庭くらいしか目立っていない。
離婚や結婚を繰り返して実質大家族になっているような家庭とかそうだろう。
テレビで放送されていたビッグダディもそうだったが、みんな何故か大家族ものが好きである程度の視聴率を稼げていた。
ただ、本人や元奥さんが目立っていてもその子供達が大人になって活躍しているかと言ったら「否」である。
普通の子供であり普通の人である。
プロレスラーを目指していた子供が二人いたが一人は逃げ出したようで、もう一人の方は逃げ出さずに現在も活躍しているようである。
何十人子供がいても(悪名にならない)有名人になるのも至難の業だと感じる。
一夫多妻を採用しているアラブ社会は奥さんを平等に扱えと言う。
結婚離婚繰り返して実質一夫多妻となっているような本邦とは違うようだ。
大体この場合は夫の方が妻に飽きて来て浮気をしてしまう。
または妻の方が夫に対して厭気を差し始めて究極別れてしまうということも。
芸能人は離婚と再婚を繰り返すことがあるが、元々普通ではないのだから一般家庭のようにはいられないと思う。
ハーレム囲うことを夢に思う人以外は普通の家庭を選んだりする。
それは政治家も金持ちもだが、しかし人間は飽きる生き物なので不倫という形を残してあっちこっちに飛んだりするのである。
大体の人は一夫多妻(一妻多夫)を選ばないのに何故それを主張というか認める方向に行くのか、予見だが答えが分かって来そうである。
答えは非モテがどうせ選ばれないのならアルファオスが総取りしたって構わないよという諦めから来るものである。
韓国のネットスラングに皿洗い男という言葉があるようだが、多分その期待すらなさそうだから諦めているようにも思う。
少し前ならお零れに与れる筈だが「お皿」は別に非モテに洗われなくてもいいから補助や支援さえあればいいと考えている節があるようだ。
昔だったらお皿は誰かに洗って貰おうとしていたが、お皿を投げるような男もいるので食洗機(行政の支援)で洗って貰おうとする選択肢を取るお皿が案外増えているようにも思う。
そうやって益々非モテは結婚出来る機会を失い、この際国を憂えるなら一夫多妻でもいいよと投げ出すことに決めたようにも見えてしまう。
結局行政の支援や福祉さえあれば態々結婚しなくてもいいのである。
働こうと思わなくても福祉に繋がれば生きていける。
こういう考え方が増えてしまったらやっぱり国としては終わりである。
国家として考えれば由々しきことではあるが、ほぼ誰しもが国のためになんか子供を何十人と産み育てようとは考えてない訳である。
繰り返すが統一協会は自分たちのところへ献金が繋がればどんな方法だっていいので、子供のいない家庭が同じ信者から養子を貰ってシェアリングをさせたりするが、こういうことをやったって少子化の根本解決にはなってない。
殆ど戦後のベビーブームが奇蹟としか言えない
第一次ベビーブームというが、第二次ベビーブームは団塊の世代の子供達のことを指すと言う。
戦後平然と4〜5人くらい子供が産まれていたが、産まれ過ぎて寧ろ政府が抑制を考えていたと言う。
戦後の産児制限とも言われる旧優生保護法も子供が産まれ過ぎて餓死者を出さないようにするためだとされていたので、その当時の女性の政治家達も含めてほぼ全会一致で通ったと言う。
人口グラフを見れば分かるが団塊の世代とジュニア世代の人口構成がほぼ同数である。
既に団塊は後期高齢者に突入していて幾らか数が減っているのだがそれでも多い。
その団塊が子供を産んだら流石に4、5人鼠算のように増えていくものでもないので多くても4人で大体この頃から「少子化」と言われるようになっていく。
父と母二人が子供二人こさえれば同数なのでやっぱり同じくらいの人数になる。
インフラも大体安定していくので教育にお金を掛けるようになり、学歴社会の受験戦争に突入していく。
更に、余裕が出始めると婚期も遅れて(先送り)くるので同数の子供が同時に生まれて来ることがなくなった。
これがじわじわと来る少子化の正体である。
晩婚になれば一人っ子になるので、若い世代に子育て支援をするのは当然で2人よりも3人産んだ方がいずれは少なくなっていくが急激な少子化にはならないのである。
政府はそれを考えた上での子育て支援を考えるが、そもそも教育費が厖大になるので子育て世帯は尻込みするし結婚適齢期に入る人達には結婚を躊躇う。
教育に特に金をかける必要など本当はないのだが、これを政治家や候補者が主張出来ずにゆとり教育を導入しても結局失敗してしまったのは誰もエッセンシャルワークをやりたがらなかったからである。
いい大学に通っていい会社に勤めれば人生安泰と長らく昭和的価値観が蔓延ってしまったことも因るのだろう。