見出し画像

るてん

 足裏の感触は土なのです。しかし、水のように流れているのです。そして私の姿を映しているのです。しかし私の足は流されることなく、その上を歩いているのです。一歩進めば、ぽつぽつと、草に明かりが灯るのです。こうも魅かれるのは、ここが魔の道、帰ることはできないのでしょう。

 気付くと隣りにいたのです。白い、蝋のような、獣脂がしたたっているような、なめらかな肌をしています。顔の三分の二ほどを専有する眼が、私を見上げていました。それは黒く、深い穴のようですが、私を見ています。
 私がまばたきをすると、その穴は、左右から閉じました。白目のない眼が、私のまばたきを追いかけて、ぱちぱちと、まばたきました。

 私は歩き続けます。一歩、また一歩、歩くたびに、草に明かりが灯ります。振り返ると、蒼白い闇の中に、橙色の灯りが二列、点々とつながっています。

 白いものは、ガリガリと音を立てながら、私の背後にいるのです。蛇のような胴体に、まんべんなく連なっている脚が、柔らかく動いています。土を、水のような土を、削っているのです。剥落していきます。道が、なくなっていくのです。しかし怖くはないのです。前を向けば、道があります。

 永遠のように思っていました。ところが、突然、進めなくなりました。遮られています。大きな流れが、眼前を横切っています。黒いのか白いのかわからない、暗くて重そうな水が、うねりをあげて流れていきます。

 前へ進みたい。うねる水の向こうへ行きたいと、私は思うのです。もしかしたらと、触れてみました。水面をすり抜け、私は水に招かれます。うねりに押されて、流されそうになります。ここまで歩いてきた道とは違いました。

 白いものが、その首を伸ばしました。
「交換してあげようか」
 小さな唇が動きました。朱色の、花弁のような唇です。湯気が滲み出ています。私は、温かく湿った湯気に包まれました。湯気は霧になり、白い光になっていきます。

「渡りたいんだろう?」
「はい」
「体を交換してあげようか」
 白いものは、足をかざぐるまのように遊ばせました。
「この足なら、どんな水も渡れるよ。交換してあげるよ」
 うねる水は、少しずつ、かさを増していました。今はもう、白光の霧の壁を隔てて、目の前にあるのです。さっきまで見下ろしていたうねる水は、目線の高さになっていました。

「あなたは、渡らないのですか?」
「渡るさ」
「体を交換したあとで?」
「あぁそうさ」
「私の体で渡るのですか?」
 花弁のような唇の端が、少しだけ上がりました。
「わからないのならいいだろう? さぁ、交換しよう」
 私には、私の体が見えないのです。交換する前に、もう一度、私の姿を見てみたい。しかし、私の姿を映す水の道は、振り返っても、もうありません。

(おわり)