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藁人形

わたしは藁人形。心臓はないが心はある。証明はできない。きっとあなたは信じない。

今日は隣の木に打ち付けられた新入りに手紙を書こうと思う。隣の木なのに、なぜ手紙なのか。わたしは移動できない。声もない。だから手紙を書こうと思う。

手紙というのは良いもので、何度も書き直しができる。書いたけど出すのをやめて捨てることもできる。

まずは葉っぱを手に入れよう。ひらひらと落ちてくる葉っぱを捕まえて、わたしの体から藁をひとすじ引き抜いて、藁の筆で葉っぱに手紙を書こう。

目の前をいくつもの葉っぱが落ちていく。わたしの手の届かないところに落ちていく。時間ならたくさんある。わたしの体に触れるほど近くを落ちる葉っぱを待とう。

待ちながら手紙の文を考えよう。えー、こんにちは。わたしは藁人形。あなたもおなじ藁人形。仲良くしましょう。今日はいい天気ですね。たまに手紙を送ってもいいですか?

まあ最初はこんなものだろうか。いきなり「あなたはどのような呪いを?」などと訊いてはいけない。それは礼儀知らずの藁人形の所作である。そんなことはわかっている。我慢だ。

わたし? わたしの呪いはもうわからない。わたしを作った誰かはわたしに会いにこなくなった。わたしを必要とする人はいなくなってしまった。

いかん、いかん。そういうことを告白するのは仲良くなってから。いや、仲良くなってもよく考えてからだ。

葉っぱが落ちてこないまま夜になってしまったぞ。文を変更しようか。「今日はいい天気ですね」のところを、「今日はいい闇夜ですね」としようか。少し踏み込んでみるとすれば、「呪いにいい夜ですね」などどうだろうか。そう、こんな夜は呪いがよく効く。うらやましくなんてない。けれど、こんな夜に働けたなら、きっと、満足してもらえたのだろうな。

おや、人がきた。隣の新入りのあるじか。いいな。役目のある藁人形は。わたしのあるじはどうしているのだろう。


ChatGPTの分析と感想

ChatGPTに書いてもらったつづき

「藁人形」を書いて一夜明け、ChatGPTに「続きを書いてみてください」とお願いしてみました。

部分的に私の好みが織り交ざっていてすごいのです。
私が気に入ったところを抜き出してみます。

それはおそらく呪いの言葉か、願い事か。人間の願いは重い。わたしもかつてはそうだった。

ChatGPTに書いてもらったつづきより

自分で書いたほうの作中で、実は、私は「呪い」と書くか「願い」と書くか考えたところがありました。結局、「願い」は使わなかったし、ChatGPTともそういう会話はしませんでした。
ChatGPTが作ったつづきの中に「願い」が出てきたので、わーって思いました。

彼が去った後、わたしは気づく。彼が残したのは、葉っぱだった。藁人形が手紙を書くための葉っぱ。

ChatGPTに書いてもらったつづきより

上の文章は、前段からの流れとしては、「葉っぱ」が「わたし」の手元にあるのが謎な気がするのですが、最初に読んだときは気づきませんでした。ハルシネーション?

「こんにちは。わたしは藁人形。あなたも同じ藁人形。仲良くしましょう。今夜は星が綺麗ですね。たまに手紙を送ってもいいですか?」そう書き始める。

書き終えると、葉っぱを風に任せて飛ばす。わたしの言葉が隣の藁人形に届くかどうかはわからない。けれど、少しホッとする。話しかけることができた。わたしは再び夜空を見上げる。星がきらめく。彼らもまた、遠い誰かに話しかけているのだろうか。

ChatGPTに書いてもらったつづきより

えっ、ちょっとこれは、ほぼ?パーフェクトに私の好みをトレースしているのでは??? 本人的にはありよりのありです。もちろん、現実で実際に自分が書いたら違うものを書くのだろうとは思うのですが、とても興味深い体験です。

いちおう補足します。仮にぴったり自分の作風みたいなのが生成AIで出せるようになっても、自分で書きたい気持ちには影響しない感じがしています。

ある夜、不思議なことが起こる。わたしの前に小さな蝶が舞い降りる。色とりどりの羽を持つ蝶。そして、その足には小さな葉っぱが結ばれている。まさか、と思いながら葉っぱを開くと、そこには言葉が書かれていた。

ChatGPTに書いてもらったつづきより

以上です。
気に入ったところが多かったです笑