【短編小説】静寂の住人
萩原リクトは現在ニートである。
失業して以来、週末ごとに郊外を歩くようになった。時間を持て余しているのと、家にいると息苦しさに襲われるからだ。就職活動は思うようにいかない。
(仕事……。探さなきゃな)
ある日、ふと通りかかった古いアパートの前で、貼り紙に気づいた。
【清掃ボランティア募集:管理人室までお越しください】
そのアパートは、手入れが行き届いておらず、まるで廃墟のようだった。学生時代は趣味で廃墟巡りなどをしたものだ、と興味をそそられた。興味本位で管理人室を訪ねると、リクトの前に現れたのは色白で小柄な少女だった。肌も白ければワンピースも白い。身長はリクトの胸のあたりくらいだ。少女は、シュリと名乗った。
「ボランティアに来たの? ありがとう」
シュリは、自分をアパートの管理人だと言った。幼い彼女がなぜこんな仕事をしているのか、リクトは訊ねたが、シュリは答えをはぐらかした。それよりも、共用部分の掃除がどれだけ大変か、住人がいかに協力的でないかを淡々と無表情で語るのだった。
リクトはアパートだけでなく、この無表情な少女に興味を持ち、翌日から清掃ボランティアとして活動することにした。
それから数週間、リクトはシュリと一緒にアパートのいたる場所を掃除した。ボランティアなので報酬は出なかったが、昼食は出してもらえた。
シュリはつかみどころのない性格で、いつも淡々と話す。しかし冗談を交えながらも、住人たちへの愚痴をこぼすことが多かった。特に、三階の部屋に住む老夫婦については、頑固でわがままだと何度も話していた。
「でも、あの人たちは過去に大変なことがあったらしいからね。少しは仕方ないのかも」
まるで実際に遠い昔を見てきたような、シュリはそんな物言いをするのだった。
夜遅くまで掃除を手伝った日、シュリはアパートの天窓を見上げながらリクトに語った。
「星って、光ってるけど遠いでしょ? みんなが星を見るのは、ただ明るいからじゃなくて、自分の場所を見つけたいからだと思うんだよね」
リクトはその言葉の意味を深く考えなかったが、シュリが空を見上げるたびにどこか切ない表情を浮かべるのが気にかかっていた。
ある日、リクトが掃除を終えて管理人室に戻ると、シュリは見慣れないノートを持っていた。中を見せてもらうと、アパートの住人たちについての詳細なメモが書かれていた。
「このノートは?」
「ここの人たちのこと、忘れないためだよ」
リクトはシュリの言葉に少し違和感を覚えた。しかしそれ以上追及することなく、その日は帰った。
翌日、アパート全体の様子がおかしいことに気づいた。ヒソヒソと話している住人に聞いてみると、三階の老夫婦が姿を消したと言うのだ。管理人室に駆け込んだリクトに、シュリは静かに笑った。
「引っ越ししたみたい。いつだったかな……」
「何を、言ってるんだ?」
まるで、老夫婦が随分と前からいなかったような物言いに、リクトは背筋が冷えるのを覚えた。
それからというもの、二人が掃除をするたびに徐々に住人が消えるようにいなくなっていった。
掃除を続けるうちに、リクトはアパートの裏手で古い地下室の存在を知った。中には住人たちが次々と失踪する前に使っていたものと思われる、散乱した私物があった。そしてその奥で驚愕の光景を目撃する。
壁に貼られた無数の写真。それはアパートの住人たちが、シュリと一緒に笑顔を見せる姿だった。だが、奇妙なことに住人たちの姿は歳を取っているのに対し、シュリの姿はずっと変わっていなかった。さらに目を凝らすと、その写真の中にはリクトの姿もあった。
リクトは、背後に立つシュリに問う。
「ここの住人はどこへ行った?」
「知らない。きっと、星へ帰ったんだよ」
リクトはその意味を考えたくなかった。そして、かろうじて言葉を絞り出す。
「俺はまだ、そんな気はない」
「そう、残念だな」
シュリはそう言うと人差し指をリクトに向け、背中の中心をトンと押した。
「帰っていいよ」
*
気づけばリクトは建物の外にいた。
最後にシュリが何か呟いたような気がするものの、記憶が定かではない。
目の前には変わらず古びたアパートがあったが、清掃ボランティア募集の貼り紙は無くなっていた。
数日後、気になってアパートの前を通ると警察が来ていた。
数人の警官が建物の周囲を歩き回り、一人は玄関の古びたドアを押し開けて中へと入っていく。入り口には立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、近所の住民と思われる人々が遠巻きに様子をうかがっていた。
「ここに、シュリという少女はいませんでしたか?」
「おかしなことを聞くね。ここはもう、随分と前から誰も住んでいないよ」
なんとなく予想はしていたが、案の定な答えが返ってきた。
リクトは、シュリと共に掃除をした日々を思い出し、アパートを見上げる。
「シュリ、お前の星は見つかったのか?」
(本文:2000文字)
花澤薫様のこちらの企画に参加しています。