ホットでスイート、そしてビター。難民・移民フェスに家族で行ってきた
※本稿の写真はすべて、さまざまな環境・状況下にいる方に配慮しています。出店者の顔は撮影せず、国名などについても言及していません。一般来場者や出演者についても撮影許可のないものは画像加工しています。あらかじめご了承ください。
会場は気圧されるほどの熱気。ランチは辛くて、うまいうまい。
公園に着くなり
「このうた、しってる!」
娘が私の肩車の上で、手拍子をとった。
「Oh Happy Day, Oh Happy Day!」
ゴスペルシンガーのソウルフルな歌声が、会場に響き渡っていた。
集まったオーディエンスが、熱いハンドクラップで呼応する。
人だかりはステージ前ばかりではなく、会場全体が人いきれに満ちていた。家族で足を踏み入れるのに、少し躊躇してしまうほど。
娘からはきっと、カラフルな服や肌の人々が視界いっぱいに混ざり合って、対流しているように見えただろう。
これは熱い。
雨の第二回もたいがいだったが、この第三回は桁違いだった。
2023年5月20日、第三回難民・移民フェス。私は家族を誘って訪れていた。
わざわざ日付を記載したのは、きっと今後も続いていくと確信しているからだ。それくらい、東京・練馬の平成つつじ公園は熱気に包まれていた。
来場者は前回の何倍に及んだのか。2倍や3倍で足りるはずがないことだけはわかったが、それ以上は想像できなかった。あの日、練馬でもっとも人口密度が高かったことだけは間違いない。
来場者の振る舞いは、一様にどこか慎みを感じさせるものだった。誰もが一定のコードを意識しているような。フェスと謳いながらも、たんなるお祭り騒ぎでないことは明らかだった。
しかし同時にフェスらしい和やかさもあり。皆がわきあいあいと、その場の雰囲気を楽しんでいた。祝福していた、に近いのかもしれない。開催できてよかったね。会えてよかったね。グッドバイブス。
この盛り上がり。腹ペコでついていけるテンションじゃない。私は肩の上の娘にきいた。
「なんか食べたいもの、そこから見えるか?」
聞くまでもなかった。会場のあちこちに長蛇の列できており、それぞれの蛇は、フードを提供するブースに頭を突っ込んでいた。行列があったら並んどけ状態。
アジア、アフリカ、中東、その他も。いろいろな国の、いろいろな料理の、スパイシーな匂い、甘ったるい芳香が鼻をくすぐってきた。
旅先で感じる、異国ならではの風。あれを思い出した。
中でも私たち家族の目を引いたものは、ブリックというチュジニア料理。
大きめのクレープのような生地に、卵、ツナ、チーズ、たまねぎ、パセリなどをくるんで揚げていた。料理人さんの鮮やかな手際から、外はパリパリ、中はふわとろな一品であることは間違いなさそうだった。79億人全員が好きなやつ。ゴクリ。
「アレだな」
「でも、えれぇ並んじょんで」
妻がつぶやくと
「これ、美味しいですよ。並んででも食べる価値はあります。私が保証します」
と、横からマダムがオススメしてくれた。
こんな何気なく交わされる会話もまた、このイベントの楽しみの一つだ。
決定。妻はパリふわ担当。私はお菓子とスイーツ担当。二手に分かれて列の最後尾についた。
と思ったら、数分もしないうちに妻が私の元へ取って返してきた。
「あかん。売り切れたって」
「まじで?」
「ごめんなさい、ここまでです。っち」
残念。パリふわ不発。しかし、私はなんだか嬉しくなった。
「おお!繁盛してるってか!結構なこった!」
そうこなくちゃ。今日は、売って売って売りまくってなんぼ。こっちだって、誰かの足しになるといいなと願いながら来ているのだから。
改めて周囲に目をやると、あっちのメニューにもこっちのメニューにもバツがついている。売り切れ続出。
そりゃそうだ。ブースを出しているのは、難民申請者や仮放免者などの人たち。飲食店のサポートを得られる人ばかりではない。それどころか、明日の食事にも困るようなことがあるかもしれない。それでも数十人分の食材を買い込み料理しているってだけで、料理のありがたみ数十倍。
とはいえ、ちゃんとメシにはありつけた。カレー。そしてコットゥというカレー風味の野菜炒め。どちらもスリランカの料理。
家族で三人ちょこなんと植え込みの縁石に尻を乗せ、蓋を開いた。かぐわしい温気がふわり。どうしてあの国々の人たちは、こうもスパイス使いが上手いかね。
野菜炒めは、縁日の屋台焼きそばのように豪快に調理されていた。結果、野菜炒めというか、痛めというか。野菜たちはまったくもってやる気を失っており、クッタクタ。
でもそれがいいのだ。この敷居の低さ。家庭料理感あってこそ、こちらも物怖じせずにいただけるというものだ。
すでに娘は箸を割り、野菜炒めにロックオン。普段は初めて食べるものを敬遠するのに、この日ばかりは最短距離で手を伸ばした。いかにも外国の料理でござい、という趣きだったらこうはならなかっただろう。
「からい!からいからいからい!」
娘が悶絶した。そう。辛かった。油断を誘いつつ、味は本格派。しかもインパクト大。外国料理を本場の人に作ってもらう醍醐味だろう。
娘だけではなく、辛いものがとんと苦手な妻もギブアップ。一方、辛いものが好きな私は、期せずして独り占めする幸運に恵まれた。
「あーから。あーうま」
日本で手に入る食材や調味料で、なぜこの味が出せるのか不思議なくらい美味かった。
白いご飯が進む、それ以上にビールによく合う味付け。故郷の味原理主義というわけではなく、ちょっと日本のカレー風味に寄せてくれているのかもしれない。手に入る調味料の都合なだけだったのかもしれない。
母国から逃げ日本に渡り、ここの生活を合わせる辛苦を思った。
国の数だけお菓子を楽しむ。スイートなアロマグッズを一目惚れ買い。
「外国のお菓子、食べ放題だけど行かない?」
そんな口説き文句で、この日私は娘を連れてきていた。
だから娘にとってお菓子がメイン。ごはんが辛くて食べられなくたって、なんの問題もない。甘いお菓子でお腹いっぱいにしよう。今日はカタイこと言いっこなし。
娘が最初に手をつけたのは、ミャンマーのスイーツだった。シュエ・イン・エータという。ココナッツミルクにタピオカやゼリー、パン、そしてお赤飯のような餅米が入ったもの。ふだんの生活ではなかなか出会えない一品だった。
「ぎゅうにゅう?」
「いや牛乳じゃない」
ココナッツミルクも、甘くして食べるお米も、娘は初経験。ひと匙、口に運んだ。
「・・・・・パパにあげる」
娘が器をそっとよこした。そうか。ココナッツがアレだったか。それもまたヨシ。料理を悪く言わなかったのはエライ。じゃ、お父さんがいただきます。
甘い。暴力的に甘い。でも、いける。スパイスで灼けた舌に、優しく染み渡った。
私だって、お赤飯をココナッツミルクにひたして食べるのは初めて。なんとも不思議な味わいというか食感というか。液体版のおはぎといったところか。気取らない一本調子な甘みも、庶民的な和菓子と相通じる気がする。
これはふとした瞬間に思い出し、無性に食べたくなるたぐいのもの。きっとミャンマーのソウルフードなんだろう。
6歳の口には未知との遭遇すぎたけれど。いつかあの国が平和になった時、一緒に旅しよう。その時にまた食べてみよう。現地の風に吹かれながら食べれば、きっとほんとの美味しさが分かる。
とうの娘は、知らぬ間にマドレーヌのようなパンを平らげており。次なるクッキーに齧り付いていた。
三日月型で、チョコレートが塗ってある。どこの国のお菓子かはチェックしていなかった。三日月なので中東やアラブに近い国だったのかもしれない。
「おいしい!おとうさんとおかあさんも、おひとつどうぞ」
クッキーはちょうど三つ。親子でリスのようにいただいた。
見た目はなんの変哲もない焼き菓子。しかし、一口かじると、その口当たりに驚いた。ギュッと詰まっているのに、ふわっと砕ける。サクッとしているのに、しっとりまろやか。なんだこれ。どう焼いたらこんなに美味しく焼けるのか。
「これ、うまいやん。見た目よりやらかいな」
妻はうなづきながら半分残して、娘の手に戻した。
「あとあんた食べ」
娘はそうなることが約束されていたかのように、ニコッと笑った。
さ。お腹もくちくなったところで、次はお買い物お買い物。それも大きな楽しみの一つだった。
第二回で目ぼしいグッズを買ってしまった私は、欲しいものあるだろうかと、やや訝しんでいたのだが。
そこはさすがの難民・移民フェス。秒で購入を決めたものがあった。サヘルローズさんの「さへる畑」ブースだった。
「可愛い!」
「かわいいね」
「かわええやん」
スタバのタンブラーをひっくり返したような白亜の陶器製。ピンクの葉をつけたヤシの木や、オレンジの猫などが描かれている。明るくて丸みのある画風で、スイートなデザイン。
アロマランプだった。
40過ぎのおっさんの寝室にスイートもへったくれもあるまいとは自覚しつつも、私はもうこのアロマランプから目が離せなくなっていた。
人はこれを一目惚れというのでしょうか。しかも1,000円。一目惚れにしては安くあがったもんだ。
「買います!」
と前のめりになる私に、でしょうね、と言わんばかりの笑顔で店員さんは応えてくれた。
不眠に悩まされ、柄にもなく寝室にお香やアロマを導入しようと考えていた私にとって、想像のはるか上をいく満足度。これを買えただけでも、練馬までえっちらおっちらやってきた甲斐があったというものだった。
苦しみと希望をライムで綴る、日本一腰の低いヒップホッパーFUNIさんのライブ。そして、綱引き大会の行方。
その日のメインイベント。それは、ラッパーFUNIさんのライブだった。
自称・日本で一番腰の低いラッパー。ステージでの自己紹介では、川崎出身で在日コリアン2.5世って言ってたっけ。親戚一同、みなオーバーステイだったと。
ヒップホップでメジャーデビュー。その後、IT社長へ転身。ビッグマネーを手にするも、なんだかんだで放浪の旅へ。再びラッパーに戻り、ライブはもとより映画への出演・楽曲提供や、テレビ出演、少年院や高齢者施設などでラップワークショップしてたりする。Enough respect.
氏が登壇していた明治大学のシンポジウムをオンラインで見てから、ずっと注目している。
彼の動画を調べていたら、かつて新宿のMARZというハコでやってたShinjuku Spoken Word Slum(SSWS)というイベントに出場していた。あ。俺が毎回いってたやつ。ということは、当時の俺はきっと彼のことを見ているはず。思わぬ再会だった。
私はプログラム時刻を見計らって、客席最前列を陣取った。
そしてライブが始まった。
たしか演ったのは3曲程度だったと思う。
FUNIさんの生い立ち。マイノリティというアイデンティティを抱えて生きる苦み。国籍による困難を抱える同胞たちへ送る、励ましと希望。
そんな曲たちだったと思う。正直に言えば、曲とMCの境も曖昧なのだ。それくらい、ステージに没頭していた。
リリックはシビア。それだけではなく、現場のリアルを生き抜いた生々しさがあり、タフネスを感じる。かっこいい。
その割にはハードコアな印象が強すぎないのは、声が柔らかい上に、歌も上手いからだろう。フロウがメロディアスで、独特の優しさと説得力がある。彼のキャリアや年齢がなせる円熟味なのかもしれない。
彼の背中越し、オーディエンスが首を振り体を揺らしているのが見えた。その隣で子どもたちが遊んでいる様子が、とても絵になっていた。
14:45から始まったライブは、15:00までのたかだか15分。あっという間だったのに、ものすごく深いところまで潜ったような感覚を覚えた。
リリックは死ぬほど飛んでくる。ビートはガンガン鳴っている。でも、それ以外は何も耳に入ってこない。頭の中は、音楽で満たされた静寂だった。
濃密な時間。フリーダイビングってこんな感覚なのかもしれない。
ほとんど何も覚えていない。とても感動したのに。情報量が多過ぎて、記憶がトンでいる。
打ちのめされた衝撃だけが、残響として残っているだけだ。ついさっきまで見ていたのに、目覚めて忘れた夢のように。
それでも、覚えているパンチラインがある。
Hey Hood, don't make it bad. 友よ、へこむなよ。
彼しか歌えない曲がそこにあった。
ヒップホップはリアルが流儀。生き様で魅せる残酷なアートフォームだ。自分しかモノにできない曲で勝負していく文化。少なくとも、私はヒップホップのそんな側面が好きだ。
だから、あの日、あの場所で、あれ以上にふさわしい曲はありえないと思う。
どこまでもリアル、そしてビター。でも、Peace, Love, Unity, and Having funを忘れない曲。いや、諦めない曲。
苦味と痛みと優しさと希望をステージにぶちまけて、オーディエンスをロックして。そしてまた頭を下げながら、FUNIさんはステージを降りていった。
降りるというほど段差のない素朴なステージを、私は仰ぎ見る気持ちだった。
このイベントには、大変な状況にある難民や移民の人が多く参加してる。だから安穏と暮らしている自分なんかが、勇気づけられるのはお門違い。弱音を吐くなんてもってのほか。そんなことはわかってる。
でも。FUNIさんのラップは、傷が心のどの部分にあるのか、思い出させる。密かに抱える生きづらさを疼かせる。痛みを感じているうちは、まだ大丈夫。
その痛みから目を逸らしたヤツから、隣の弱い者を叩き始めるんじゃないのか。自分の弱さを棚に上げてるヤツほど怖いものはない。そういうヤツ、そういう組織、多過ぎないか。正気かよ。
やった曲はなんていう曲名だったのかな。家に帰って、またYouTube聴こう。CD欲しいな。時代は配信か。オールドスクーラーには、ちと世知辛いな。私は、客席のベンチから立ち上がった。
ビクッ。
司会の人がマイクでがなった。
「では本日最後は、綱引きです。このあとみなさんの後ろでやります」
みたいなことを言った。
出た。
この日一番の謎プログラム、綱引き。
なんで綱引きなんだ。どっから綱を借りてきたんだ。なんだかんだで楽しそうじゃないか。
娘は一目散に陣営の最後尾につき、ちゃっかり綱を握っていた。やる気まんまん。目の前には、鮮やかなピンクの服の女性が。あ、司会者の人だ。たぶん主催者の金井真紀さん。あらま。がんばれ娘。がんばれ金井さん。
金井さんのがんばりで、今日どれだけ多くの人が、明日生きる糧を手にしたことか。大変な人を代弁するつもりは毛頭ないけど、私はなんだかお礼を言いたくなった。いつか会ったら、ありがとうを言おう。開催してくれてありがとう、と。
ん〜〜〜〜。奮闘虚しく、負けた。娘は悔しがりながら
「またきたい」
なぜかリベンジを誓っていた。あの目は本気だった。娘よ、これは綱引き大会ではないのだよ。
ゴミをバッグに詰め込んで、アロマランプを手にぶら下げて、家族で練馬駅に戻った。
繋いだ娘の手は、カイロのように温かくなっていた。
私は前回の反省もあり、今回はあらかじめ入場料程度の寄付をして参加していた。現場でもできるだけ飲食し、買い物し、参加者の足しになることを心がけたつもりだった。
しかし。お金しか、それもたかだかの額しか出せない後ろめたさは拭えなかった。今回も金で解決ってか。
自分たちだけに閉じた幸せは、居心地いいかい?
帰り路。電車に揺られながら、自問が止まらなかった。
せめて参加を継続することかな、と自分に言い訳をするしかないのが、とても情けなかった。
もちろん楽しかったのだけれど、今回もやっぱり、心に苦いものが残った。
本当は向いてないんだろうな、こういうイベント。でもまたきっと、行くだろうな。行きたいな。
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