みじかい小説#175『美代子のカレンダー』
美代子は、今日もカレンダーをめくる。
15cm×20cm四方の、白地に黒の文字がでかでかと載った、シンプルな日めくりカレンダーだ。
朝7時に起きて顔を洗うと、美代子は決まってカレンダーをめくる。
今日も朝7時に目を覚まし、いつものようにカレンダーをめくった。
テレビをつけ、今日の天気をチェックする。
ついでに星占いの結果もチェックする。
美代子の夫は、3年前に他界した。
90歳の大往生だった。
以来、美代子は、とめる息子夫婦のいう事もきかず、一人暮らしをしている。
夫がいた時は、夫を支える自分の役目に誇りを持っていたけれど、夫が亡くなった今となってはその誇りもいい思い出となり、今では気楽にやっている。
美代子は、ひとりぶんの朝ごはんをこしらえると、そっと食卓につく。
献立は、ごはんに味噌汁、卵焼きに鮭の塩焼き、それにお手製のたくあんが三つ。
誰にも気兼ねすることなく、のびのびと食事をとる。
食事を終えたら、これまた誰に気兼ねすることなく、のんびりと食後のコーヒーと洒落込む。
満腹のおなかに、コーヒーの香ばしい香りが優しく届く。
ふと、美代子はそばの柱に目をやる。
逆さに吊られたドライフラワーの下に、ピンでカレンダーがとめられている。
そこには、でかでかと中央に書かれている日付の下に、小さな文字で「今日の名言」と題して、こんなことが書いてある。
「死に至る病とは絶望のことである。byキルケゴール」
気になって手元のスマホで調べてみると、キルケゴールは「19世紀前半のデンマークの哲学者」らしい。なんでも、「実存主義」の先駆者であるとか。
へえ。
実存主義のなんたるかは分からないけれど、このキルケゴールという学者は存外いいことを言う。
美代子はしばらくその小さな文字の羅列を眺めていた。
「死に至る病とは絶望のことである」
口のなかで文字を転がしてみる。
口から出た音が耳に届き、改めて、文字の内容が頭の中で咀嚼される。
「うん、その通りだ」
美代子は合点がいったとばかりに、スマホに目を落とすと、メモ帳アプリに「キルケゴール、実存主義」と記入し、それを鞄にしまった。
そうして、余所行きの服に着替え、鞄をシルバーカーという名の手押し車に乗せて、一路、図書館へと向かった。
「死に至る病は絶望のことである」
そう、口ずさみながら。