みじかい小説#172『くもりの日』
くもりの日は大好きだ。
空いっぱいがまだらに灰色がかっていて、ところどころ薄くなったところから日の光が透けている。
雨の降る気配はまったくない。
気温は20度。
ちょうどいい。
こんな日はアスファルトの道の上を、急ぎ足で、大股で歩く。
影の落ちない地面を見やって、麻衣子はひとり、にんまりとする。
あたたかな風が、麻衣子の体全体を通り過ぎてゆく。
上空では鳶が旋回しながらひと声、ふた声、鳴いている。
烏も元気だ。
線路を走る電車は、踏切で一旦停止している。その中には、まばらに人の影が見える。麻衣子と同じ、学生とおぼしき影も見える。
再び、一陣の風が、麻衣子の体をぬってゆく。
麻衣子はふふふとご機嫌になる。
車道をゆく車も、夕方5時ともなると、徐々に量が多くなる。
定時を守るバスには、部活動を終えた学生や、仕事を終えた会社員の姿が見える。
みんな、なにかに揺られている。
それはまるで人生のようで。
麻衣子は、そんなふうに考える自分が好きだった。
世の中には、何を見ても気に入らない人もいる。逆に、何を見ても自分の都合のいいふうに決めてかかる人もいる。
麻衣子は、そのどちらでもなかった。
ただ目の前の現象を、自分と言うフィルターを通しはするものの、それでもつとめてありのままに受け取ろうとする自分が好きであった。
それはまるで、人間の意思がどうしても混じってしまうデッサンのようで。
麻衣子は、それでも世界を描写するのが好きであった。
目に映ったことを、なるべくありのままに、丁寧に、受け取るのだ。
そうして、受け取った後には、自分なりに咀嚼してみる。
いま目の前で起こったことに、自分はどう感じたのか、自分に問うてみる。いい感じなのか、悪い感じなのか、なんとなくでいいから、自覚的になってみる。
すると、自分がどういう人間なのかがだんだんと分かってくる。
そうやって把握した自分を、麻衣子はとても愛しいと感じられるのであった。
また、余裕のある時には、あえて反対の感情を抱いてみることもある。
自分がとっさに嫌だな、と思ったら、いいなと思ってみる。逆にいいなと思ったら、次は嫌だなと思ってみる。
そうして色んな視点から、自分の感情で遊んでみるのが、麻衣子はとても好きであった。
いま、麻衣子は広告代理店で働いている。
働き始めて、もう10年になる。
最近は忙しさのあまり、ろくに空を見ることもなかった。
けれど今日は違った。
麻衣子は外回りの帰りに、久々に空を見上げた。
天気はくもり。
あの頃の感覚が蘇ってくる。
麻衣子は久しぶりに感覚を遊ばせる。
地面を見ると、影の無い、いや、景色に溶けた麻衣子の影が、うっすらと足元に広がっていた。