
よみびとしらず #04 光 第二章 襲来
午の刻を知らせる鐘の音を聞き、光と朔は狐殿に別れを言い、裏山の社をあとにした。
くだりの道では、二人とも無言であった。
しかし光の心の中では朔に対する様々な疑問が渦巻いていた。
「朔、おぬしはいつから狐殿と知り合いじゃ。幼い頃より山に入っていたと聞く。そのころからか、それともつい最近のことなのか。おぬしが不思議の術を扱うようになったのは、狐殿に関係しているのか、否か。おばさん――聖子殿は知っておるのかおらぬのか。長い間一人の胸の中にしまっていたであろう社の秘密を、なぜ此度俺に打ち明けたんじゃ。まだまだ分からぬことが山ほどある。一晩じっくり話を聞きたいものじゃがいかがか」
光は、喉元まであがってくる疑問の数々を、山道をくだりながら口に出せずにいた。己がそれらを口にしないことで、二人の関係が成り立っているように思われたからだった。
ともあれ二人は無言のまま山をおり、正午過ぎには聖子の小屋へと戻って来ていた。
「ただいま」
二人の声に、返事はない。
いつもであれば、この時間は聖子が忙しく昼餉の準備をしている頃である。
「何か用事でも出来たんじゃろ。その辺のものを煮て食べるとするか」
朔がそう言った時であった。
何やら悲鳴のような甲高い声が、遠くの方から聞こえた。
「なんじゃ今のは」
「朔も聞こえたか。何事じゃ」
二人は慌てて小屋から飛び出した。
表の道には人っ子一人通ってはいない。
この時間、この陽気であれば、村人は畑で数人が集まって昼餉をとっていてもおかしくはなかった。
静かすぎる――。
二人は村の中心部の方へ向き直り、耳をそばだてた。
この季節にしてはあたたかな風が、田畑の上を通っていく。
はるか頭上で、鳶が空を切って旋回している。
聞こえてくる音といえば、その鳶の鳴き声くらいのものだった。
しかし。
鳶が今ひとたび旋回しようかという時であった。
再び、今度ははっきりと、村の中心から甲高い声が上がった。
かと思うと、光と朔が目を向けていた村長の家から、数人の人がぱらぱらと表にはじき出されたように見えた。
「なんじゃあれは」
二人が視線をそれへやると、表に出てきた人を追いかけるようにして、鎧兜の一団が村長の家から出てきた。
そうして先に表に出た逃げ腰の人々に対し、手に持った刀で切りつけにかかっていくのが見えたのであった。
「あれは、余所者じゃ。余所者が村を襲っておる――」
朔の言葉は震えていた。
光は朔の手を握りしめた。
「大丈夫じゃ。朔はここにおれ。俺は様子を見てくるでの」
「しかし」
「いいから、ここにおるんじゃ。行ってくる」
光は朔にそれだけ言い残すと、ひとり村の中心部へ向け、走っていった。
光は走った。
どこへ向かうかは、もう決まっていた。
村の中央部からは、相変わらず甲高い悲鳴が聞こえている。
それを右にとらえながら、光は勢いもそのままに村の西に位置する円両寺の門をくぐった。
「誰ぞおらぬか」
光はまっすぐに、最奥に位置する講堂へと向かった。
境内は異様な静けさをみせている。
「誰ぞ」
光は幾分か声を落として周囲をうかがったが、返事をする者は誰もいない。
講堂へ到着すると、光は草履を脱ぎ、それを手に持ち、影の落ちる室内へと入った。
円両寺は、村で唯一の寺である。大和国の内にある寺がみなそうであるように、円両寺も、かの興福寺の末寺に数えられていた。
興福寺は、太古の昔に権勢を誇り今にも至る藤原氏の氏寺である。また興福寺は、同じ藤原氏の氏神タケミカヅチをまつる春日大社を擁していた。このタケミカヅチのつかいが、鹿であった。
そのため、円両寺の至る所に鹿の彫り物がほどこされていた。
光は、廊下の天井付近にほどこされている鹿の彫り物と、目が合った気がした。
その時である。
「光か、こちらじゃ」
光を呼ぶ声がした。
長く暗い廊下の奥から聞こえるその声は、つとめて密やかである。
光が目を凝らし暗闇を見つめると、突き当りの屏風の前に、動く気配があった。
闇に慣れてきた目でそこを凝視すると、見慣れた姿が浮かび上がった。
声の主は、聖子であった。
「おばさん、無事か」
光は思わず走りより、両手で聖子の肩を叩いた。
「ああ、大丈夫じゃ。病人の手当をしておる。いま、水を汲みに出るところじゃ」
「奥の人たちは無事か」
「ああ無事じゃ。早く行って顔を見せて安心させてやるんじゃ」
そう言うと聖子は、奥へ向かう光とはすれ違いに、空の桶を持って明るい方へ出て行った。
「奥の人たち」というのは、寺で世話をしている病人たちのことである。この円両寺では長年、親を失った子らを引き受けたり、村で出た病人を看病したりしている。
光は、生来の気質もあってか普段からよくこの寺の奥へ入り病人をみてまわっていた。
村の異変に際して、まず光の頭に浮かんだのは、病床から動けないでいるここの病人たちであった。
「みな、無事か」
光は広間に入るなり声を張り上げた。
広間は十二畳ほど。板の間に敷物が無造作に広げてあり、その上で病人たちが思い思いの姿勢でくつろいでいる。総勢十余名。病も歳も異なる面々が、寺の庇護の元に集っていた。
一瞬の間ののち、光の姿に反応した歓声が、あたりに沸き起こった。
「やあ光、おぬしは無事なんか」
布団に横になったまま、そう声をかけるのは、一番年長の桃子である。
「桃子姉さん、無事でなにより」
言われて桃子はくしゃくしゃの笑顔を作ってみせる。
桃子の年齢は誰も知らない。百を超えているという噂もあった。
光は鼻で笑ってみせる。
「外で侍どもが暴れておると聞くが本当か」
鼻息がかからんばかりの距離に近寄りながらそう尋ねるのは、耳の遠い権兵衛である。
「本当じゃ。何人か切りつけられておるのを見た」
光の言葉に、一同がざわつく。
「ここにもやってくるかのう」
「儂らは殺されてしまうんか」
「えらいことじゃ」
みな口々に、不安を訴えた。
「大丈夫じゃ。そんなことにはならん」
光はつとめて強い姿勢で、みなを落ち着かせた。
しかし「そんなことにはならん」保証など、どこにもないのであった。
「おぬしまでそんな顔をしてどうする」
動揺が表に出ていたらしい、水をくんで戻ってきた聖子に開口一番、そう言われた。
「わしらは出来ることをせねばならん。あとは村長がどうにでもしよう」
聖子はみなの顔を眺めながら、そう説き伏せた。
その時であった。
「にぎやかじゃのう」
広間に顔をのぞかせたのは、村長の重吉であった。
いつもと変わらない重吉の様子に、一同は安堵した。
「侍どもは」
聖子が単刀直入にたずねた。
「まだ村人を襲っておるのか」
重ねて光もたずねる。
「待て待て順番じゃ。まずはここに入れたい怪我人が表に数人おる。その手伝いをしてくれ。話はその後じゃ」
言って重吉は動ける者を集め、廊下の明るい方へと連れだって行った。
怪我人は、体を袈裟切りにされた者、足を切られた者、刀が腕をかすった者などがあった。
聖子と光は重症の者から手際よく傷口をあらためていった。
すべての怪我人の手当が終わったころ、それまで黙っていた桃子が口を開いた。
「あの侍どもは、何者なんじゃ」
この問いに、一同が静まり返った。
少し間を置いて、重吉は口を開き語りはじめた。
「みなも知っての通り、巷では『侍』なる者たちが仲間を集め争っておると聞く。儂らには関係のない話と思うなかれ、その『侍』とやらの出どころは土地を守るために立ち上がった民というではないか。それが時の権力と結びつき、今では大きく平氏と源氏に別れて争っておるという。この村にもいよいよその波が来た、という訳じゃ」
重吉は、耳の遠い権兵衛にも聞こえるよう、ゆっくりと大きな声でみなに話して聞かせた。
「なんとも迷惑な話じゃのう」
聖子が思わず愚痴をこぼす。
「では、村人はなぜ襲われておったんじゃ。関係ないではないか」
光は憤りを隠せなかった。
「それはじゃな」
広間の入り口を背にしていた光の背後、廊下の突き当り、ちょうど影になった場所から不気味な声がした。
かと思うと、声の主は次の瞬間には広間の重吉の肩を抱いていた。
身のこなしが尋常の者ではない。
「村長、その男は」
わざとであろうか、肩をぶつけ脇をすり抜けていった男に、光は怒りを感じた。
男の出で立ちは、「侍」のそれである。
男は重吉の耳元でささやいた。
「村長、紹介を」
それを受けて重吉は一旦ぐっと目を伏せ、うすく瞼を開き言葉をひねり出した。
「この方は、名を平兼家という。かの平氏の側の侍じゃ」
重吉の言葉に、一同は静まり返った。
重吉は続ける。
「そして廊下におられるのが――」
光は背後を振り返った。
まったく気づかなかったが、もう一人、光より一回り小柄な侍が、そこに控えていた。
「平若丸殿じゃ。同じく平氏じゃの。みな、ご挨拶を」
重吉の言葉で、みなが我に返ったように、ぼそぼそと挨拶をした。
「で、その平氏様が、なぜ我等の村を襲うのか、お聞かせねがいたいのじゃが」
光は、怒りを隠さず語調にこめた。
「それはじゃな」
重吉の肩に腕をまわしている兼家が口を開いた。
「敵方が民のふりをして隠れておるかも分からんでの。片っ端から切ってまわっておったのよ」
その口調は軽い。
光は、内から熱いものがこみあげてくるのを感じた。
「それはあまりにも無法。我等に抵抗の意思はない。どうか刀をおさめていただきたい」
光の内心をおもんぱかってか、聖子がつとめておだやかに言葉を綴る。
「いやしばらく。病人の中に敵方のまわしものが紛れ込んでおるかもしれぬ。改めさせてもらうぞ」
兼家はそう言うと、若丸と二人で部屋の端から布団をはいでまわり、病人が武器を隠していないか身柄を確認してまわった。
桃子などは布団を引っぺがされ、着物まで半分もっていかれた。
この季節、衣一枚では風邪をひいてしまう。
権兵衛などはくしゃみをして抵抗したが無駄であった。
ひととおり見て回ったのち、兼家と若丸は布団をよけて部屋の中央に胡坐をかいて座った。
「まあ座れや」
兼家はそう言い、重吉と聖子と光を目で指図した。
周囲には再び布団を得た病人たちが身を寄せ合って座っている。
光たちは促されるままに、部屋の中央に並んで座った。
「よいか。この村は俺達のものになった。これからは俺達のいう事を聞いてもらう」
その言葉に、場はしんと静まり返った。
反対する者がいないことを確認してか、兼家は長い間を置いてから次を続けた。
「それでじゃ。さしあたり仲間の分も合わせて二十ばかりの食事と寝床を用意してもらいたい。これは依頼ではない、命令じゃ」
兼家は野太い声で言い放った。
眉をひそめる者が多数。ひそひそと兼家の言葉を反復する声がどこからともなく聞こえだす。
聖子と光は、顔を見合わせはしたが、黙っていた。
「分かった。望みはそれだけか」
みなの動揺をおさめるべく、村長の重吉が声をあらげて問うた。
「そうじゃな、さしあたってはそれだけでよいじゃろう」
それから村中の者が円両寺の境内に集められた。
寒い中、みなが足踏みをし体を温めながらであったが、互いに顔を突き合わせて歓声をあげ、無事をよろこび合った。
ただその中で、鼎のおじさんこと次郎の姿だけが、見当たらなかった。
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