
よみびとしらず #01 初春 番外編 竹丸(下)
竹丸は暗闇の中にいた。
「友政、友政はおらぬか」
竹丸は小さな声で呼んでみた。
返事はない。
辺りを手探りしてみるも、冷たい石の上に座っていることが分かったくらいだった。
囚われておる――。
竹丸は自ら置かれている立場を理解した。
友政もどこかへ捕らえられているに違いなかった。
何故、と問うのは滑稽であった。
犯人はおそらく村人であろう。
儂らが龍をやり込めてしまえば村人は『龍の背』から外れることになる。
自ら望んだ住まいを奪われることになってしまう。
それを拒んだ村人の仕打ちであろうことは容易に想像がついた。
竹丸はとりあえず自由を奪われているらしかったので、待つことにした。
「出られよ」
人の声で目覚めた竹丸であった。
声の主は数少ない村人の一人で、確か名を『江介(えすけ)』といった。
江介は松明を持ち檻の前で仁王立ちに立っていた。
「聞こえなんだか、出られよ、と申した」
「聞こえた聞こえた、悪かった。寝起きで少し耳が遠かったんじゃ」
江介は松明を竹丸の足元を照らすように持ち、長い廊下を先導していく。
どうやら古い時代からある牢らしく、竹丸の入っていた檻の他にもいくつかの部屋が見受けられた。
突き当りにある階段を昇れば、そこは地上であった。
竹丸は地下牢に入れられていたのだった。
辺りは虫の音が聞こえ、空には満月が浮かんでいる。
途端に、腹の虫がなった。
「これはすまぬ」
竹丸はくすりと笑った。
竹丸はある座敷に通された。
示されるがままに下座に座る。
隣には友政がいた。
「友政、無事か」
「大変な目にあってしまいましたな」
悠長なやりとりは空腹のせいかと思われた。
そこへある人影が近づいてきた。
松明の火に照らされた人影の主は、住職であった。
住職が上座に座るのを待って竹丸が口を開いた。
「ご住職、何故このような真似をなさる」
住職はそれを受けて丸い頭をひとなでして答えた。
「それはこちらの台詞。『龍の背』に乗る我等を知っての龍退治、黙っておられるわけがない」
「これは正直な物言いじゃ。のう友政」
「まさに。しかしご住職、いつまでもここにおってはいかんのも事実ではあるまいか」
住職は渋い顔をして答える。
「なぜいつまでもこのままではいかんのじゃ。答えてみよ」
住職のこの問いに二人は詰まった。
竹丸が小声でとつとつと継いだ。
「時の流れに取り残されてしまう」
住職が大声で答えた。
「それがどうした。桃源郷とは昔からそのようなものよ」
「違う。ここは断じて桃源郷などではない。時は進んでおる」
思わず竹丸は叫んでいた。
間をおいて住職が沈んだ声で答える。
「確かに時は進んでおる。しかし結界で守られておる。故に誰も出てはいかぬ」
「住職、おぬし『見える』のか」
「多少ではございますがな」
子狐の持っていた団子は、住職が供えたものであった。
しばしの間、沈黙が流れた。
「竹丸殿、なんとか儂らをここに留め置いて帰る手段を探してはいただけないじゃろうか。頼む」
竹丸はふっと笑った。
「そのように上座から頼まれては断る道理がございませぬな」
「まさに」
友政が同意を示した。
龍を退治せずに『龍の背』を外れる――。
果たしてそのような事が出来るのであろうかと思いながら、竹丸と友政は住職を伴って例の社まで来ていた。
「子狐殿、今ひとたび九尾の親方を呼んで下さらぬか。団子ははずみますゆえ」
子狐は飛び上がって喜び、しゅるりと尾を巻いて一旦姿を消した。
そうしてしばらくすると狐めが姿を現した。
「なんじゃ何度も何度も」
「申し訳ない狐殿。折り入って相談があるのですが」
「ただでと申すか」
「団子をたんまり供えさせていただきます故」
「ふうむ、申してみよ」
狐めはまんざらでもない様子で耳をそばだてた。
「実は龍を退治せずに『龍の背』から外れる道を探しておるのです。狐殿なら何かご存知かと思いまして」
「なんじゃと。龍を退治せずにじゃと。無理じゃな」
狐めはぴしゃりと言う。
「そこを何とかならないかと思案しておるのです。是非ともご助力を」
「そんなら龍を調伏(ちょうぶく)してしまえばええんじゃ」
「龍を退治してしまうのですか」
「退治ではない、『調伏』をするのじゃ」
「はぁ」
「『調伏』とはなんじゃ」
「陰陽師の術では物の怪を支配下に置く術にございます」
「そうじゃろう。退治ではないんじゃ」
「なるほど、支配下に置いて、今までと同じ動向を命じると」
「そういうことじゃな」
竹丸と友政、そして住職は顔を見合わせて頷き合った。
「それならいけそうじゃな」
「はい」
「まぁ励むんじゃ」
狐めは、何のかんのと言いながらも付き合ってくれている。
「狐殿、ありがとうございます」
「ではまたのう。団子を食べに来るでの。供えておけよ」
そう言うと狐めは再び尾をしゅるりと巻いて姿を消した。
「では、参ろうかの。友政」
「はっ」
呼ばれて友政が住職に向き直る。
「ご住職、我等の腰のものを返して頂きたいのじゃが……」
二人は牢に入れられている間に丸腰になっていたのだった。
「ああ、これは気づきませんで。数々の御無礼申し訳なく」
「そちらも訳あっての事。今となってはとやかく言いますまい」
「かたじけのうございます」
住職が人を呼んで二人の太刀を持ってこさせた。
「では、行って参ります」
「村の事、くれぐれもよろしくお願いいたします」
遠ざかってゆく二人の影に向かって住職は深々と頭を下げた。
住職等と別れた竹丸と友政は、夜道をまっすぐに船頭の待っているであろう船着き場へと向かった。
「おうい、船頭や、起きておるかの」
友政が竹丸に先んじて舟に乗り、中で丸まっていた船頭に声をかけた。
「起きろ。帰れるかもしれんぞ」
「これはお前様方、本当でございますか。すぐに舟をお出ししましょう」
船頭は飛び起きて櫂を握った。
舟は一路都を目指す。
「今度こそ大丈夫でございましょうね」
船頭が不安気に尋ねる。
「実はな、無事に帰るには龍を調伏せねばならん」
竹丸がすまなさそうに答える。
「ほうらやっぱりそんなことだ。ついてないなあ本当に」
「まぁそう言わず付き合ってくれ。都に帰るためだ」
「本当でございましょうね」
「本当だ、請け合う」
それを聞いて船頭は仕方なしと櫂を握り直した。
「では参る。『邪見』ならびに『全点透視』」
竹丸は唱え、水中を見据えた。
「おお、あるぞあるぞ足跡じゃ。濃さを見るにまだ新しい。友政、調伏の準備じゃ」
「はっ」
命を受けて友政は形代の準備を始めた。
「船頭や、もう少し右じゃ、そう、右にいったら今度はまっすぐじゃ」
竹丸は足跡から目を離さず巧みに船頭を誘導していく。
そうして半時ほどが過ぎた頃、水中に管のようなものが見えだした。
「ややっ。これは……龍の髭(ひげ)じゃ。もう儂らは龍の背に乗っておる」
竹丸のこの発言で一気に船内に緊張が走った。
竹丸は急いで服を脱ぎ褌(ふんどし)姿になった。
「では竹丸様。ご武運を」
友政が竹丸に形代と玉を手渡した。
「うむ。参る」
形代を受け取った竹丸は短くそう答え、身を水中に投じた。
体術に長けた竹丸である。泳ぎも得意であった。
水中で薄く目を開けると、なるほど龍の体がそこにあった。
龍の体は水で出来ておるため水上からは見つけにくかったが、水中にて臨むとはっきりと分かるのであった。
竹丸は油の塗られた形代を人差し指と中指で挟み、龍の体に押し付け唱えた。
「『調伏』」
水中で唱えるとだいぶ息が漏れる。
一度潜ると一度しか使えぬ呪であった。
竹丸は一心に念じた。
我に下れ――。
しかし竹丸に気づいた龍が抵抗を始めた。
「悪いようにはせぬ。我に下れ――」
水中から顔を出し竹丸は叫んだ。
そうして再び潜ると二度目の調伏を試みた。
「『調伏』」
今度は龍の体に玉を押し当てて唱えて見た。
すると龍は飛び上がり水中から姿を現した。
そのままもんどり打って水面に体を打ち付ける。
龍の顔からそう遠くない胴体に竹丸がひっついている。
「我に下られよ――『調伏』」
三度目の呪であった。
龍の体に食らいつきながらも竹丸は諦めない。
龍が再び水中へ潜るかと思われた、その時であった。
「『調伏』」
竹丸が四度目の呪を唱えた。
すると龍は急にしゅるしゅると渦を巻き、形代の中へ消えていったのである。
「おお、竹丸様」
友政は感嘆し天を仰いだ。
「お前様方、やったのか」
船頭も固唾をのんで見守っていた。
そんな二人に向き直り、竹丸が叫んだ。
「二人とも、成功じゃ。龍は儂に下ったぞ」
「やった」
「やった」
舟の中では船頭と友政が肩を抱き合い喜んでいる。
その様子を見ながら、竹丸は舟へと戻ってきた。
「いやあお主等の助力がなければ成功しておらなんだろう。改めて礼を言う」
「そんな竹丸様、あなた様の手柄でございます」
「そうそおう、儂らは何もしておらん」
「謙遜がすぎるぞお前様方」
竹丸のその言を受けて三人は大いに笑った。
「では早速じゃが召喚をさせてもらう。舟の端に寄ってくれ」
今度は住職との約束通り、龍を元の軌道に乗せなければならなかった。
「いでよ『水龍』」
竹丸が呼び出す。
すると大きな水の塊が持ち上がり龍の姿を形作った。
「調伏した途端に呼び出すとは。主(あるじ)よ、悪いようにはせぬと申したではないか」
「そうとも、勿論悪いようにはせぬ。一つだけお願いがござってな。今までぐるぐると同じ場所を回っておったろう。それを今後も繰り返して欲しいんじゃ」
「なんじゃそんなことか。お主等はいいのかそれで」
「ああ、お主により閉じ込められておった者等の了承も得ておる。そちらの方が何かと都合がよいらしい。儂らは外れるがの」
「それは有難い。しかし主よ、たまに市場に寄りたいのじゃがいかがかのう」
「そうじゃお主、何故都の市になんぞ顔を出しておったんじゃ」
「いやあ儂はこう見えても新しもの好きでなあ。たまにああして市を見回りに行くのよ」
「なるほどそうでござったか。しかし今後は難しくなるのう」
「いや、そこで主よ。儂の分身を肩に乗せていってはもらえぬじゃろうか」
「分身とな」
「これのことじゃ」
龍は言うが早いか片手に乗るほどの小さな龍を、水で出来た体から分離させ竹丸の肩に乗せた。
「おお、なんともめんこいの」
「こいつに市の様子を沢山見せてやって欲しいんじゃ」
「あい分かった。ではそちらを頼んだぞ」
「承知した」
龍はそう言うと水中へと姿を消した。
「さあ再び龍の背に乗ってしまう前に都に帰るとするかの」
「はっ」
「合点承知」
舟は青白く光る満月の夜の下をさらさらと進んでいく。
舟が都の市に近い船着き場に着いたのは、明け方になってからだった。
「船頭や、長旅ご苦労様でございました」
竹丸が礼を言う。
「それで報酬の方は」
船頭はちゃっかりしていた。
「今から牛車で運んでくるでの、待っていてくれぬか」
「いや一緒に行く。逃げられてはいかんからの」
船頭はしっかりしていた。
そこへ懐かしい声が響いてきた。
「おうい、竹丸のお兄さんや」
卯花である。
「どこへ行っていたの」
「ちょっと龍に会いに」
「はぁ」
「お主(ぬし)こそ何じゃこんな朝早く」
「仕入れだよ。早く行かないと『ええもん』がなくなってしまうからね」
「なるほど。そういえばあの玉は『ええもん』だったぞ」
「でしょうとも」
ふふっと笑って卯花は仕入れに行ってしまった。
「これから沢山『ええもん』をご覧に入れますからね」
肩にのる龍に向かって竹丸がつぶやく。
「それは楽しみじゃ」
龍は小さく答えてぎぃと鳴いた。
「お主、喋れるのか」
友政が驚いた顔で言う。
竹丸はからからと笑った。
「さてまずは米を取りに家に戻らねばならん。陰陽寮はその後じゃ」
「はっ」
言葉通り、竹丸は友政と連れだって船頭を家へと案内した。
そこで船頭は約束の米を頂き、さっさと別れたのであった。
「もうこんな渡しはこりごりだ」
とは、別れ際に船頭の残した言葉であった。
その後、竹丸は友政に牛車の用意をさせ陰陽寮へと報告へ向かった。
陰陽寮へ到着し、友政と別れ寮の中へ入ると初春と夏宮がいた。
「おぬし、なんじゃその肩の小さいのは」
開口一番、初春が飛び掛かって来た。
「ええい龍じゃ龍。龍の調伏に行っておったのよ」
「へぇ。その子かわいいじゃない」
「龍の分身じゃ。というか俺の見張りじゃな」
竹丸が肩の小さいのに目をやると、小さい龍はぎぃと鳴いた。
「保憲様を見なんだか」
「奥にいるよ」
「何々、面白い土産話でもあるの」
「面白い話ならあるぞ。それは後でのお楽しみじゃ」
そう言うと竹丸は寮の奥の部屋へ向かって歩いて行った。
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