みじかい小説#166『戦火の図書館』
これにしよう。
ダンは、図書館で「これで分かる世界の事情」という本を手に取った。
毎日ニュースで流れている内容に、少しでも詳しくなれればと思ったのだ。
さっそく家に帰ってページをめくると、そこには様々な国の、さまざまな事情が載っていた。
「世界の問題」「世界の宗教」「世界の紛争」「世界のお金」といった小見出しが目次に並ぶ。
ダンはなんとなく「世界の紛争」を選び、ページにとぶ。
そこには、現在紛争中の地域のことが詳しく書かれてあった。
毎日ニュースで見るやつだ。
ダンは「へぇ、ニュースで言ってたこの紛争の実情はこんなことだったのか」と思った。
次は「世界の宗教」にとんだ。
そこでは、現在、各地に存在するさまざまな宗教のことが書いてあった。
これもたまにニュースでとりあげられているやつだ。
ダンはまた「へぇ、世界のこの地域にはこの宗教の人が多いのか」と思った。
ダンは何かを読む際、書いてあることを、とりあえずそのまま取り込む。
「AはBである」と書いてあると、「AはBて書いてあるな」という具合に。
書いてある内容を取り込む際、「善」だの「悪」だの「好き」だの「嫌い」だのといった判断や感情は、とりあえず脇に置いておく。
その方が、学んでいて抵抗がないのだ。
いちいち読む内容に感情を挟んでいては、自分の感情がフィルターとなり、書いてある内容とは違ったモノが記憶されてしまう。
なるべくフラットに、幼子のように、インプットをする。
これが幼い頃から意識して身に着けてきた、ダンの読書スタイルだった。
だから現在紛争中のある国とある国について書かれてあることでも、どちらかの国に味方した内容であれば、まずはその通りに読む。自分がどちらの味方かということは、その際、一旦脇に置く。
自分がどちらの味方なのかということと、今、読んでいる本がどちらの味方で書かれているかということは別なのだ。
自分はある国の味方だけれど、ニュースを取り込む際や本を読む際には、それを理由に偏りを持たせたくないのだ。
そうでなければ視野が狭くなってしまう。
チェスや将棋のプロは、幼い頃から一つの盤をくるくるまわしながら一人で試合を進めるという。
ダンの国は現在紛争中である。
幸い、ダンの住む地域には戦火はのびていない。
現在紛争中だからといって、ダンは敵国にあたる国の本を読むことを止めない。
ダンはもちろん自国の味方だけれど、それは自国寄りの本だけを読むことを意味しない。
色んな本を読みたいのだ。
それが、視野を広く持つことだと思っている。
今日もダンは図書館へと向かう。
自国の誰かが、戦火のうちにあることを知りながら。