みじかい小説#133『家族』
午後から急に雨模様になったので、斗真はいそぎ駆け出した。
校門を出てまっすぐに西へ伸びる坂を下ると、斗真の家はもうすぐそこだ。あっという間に、ぽつり、ぽつりと、降りだし、梅雨明けの街を覆うアスファルトは、じっとりと湿り気を帯びはじめる。
「母さん」
斗真は家へ入るなり、そう叫んだ。
返事は無い。
玄関で乱暴に靴を脱ぐと、そのまま廊下をどたどたと進み、リビングへ駆け込む。見ると、部屋の中央に置かれた茶色いソファの上には、取り込まれたばかりの洗濯物が無造作に投げ捨てられている。
間に合った――。
今朝の洗濯物の当番は斗真だったので、空模様が悪くなりはじめてすぐに頭に浮かんだのだった。斗真は一呼吸置いて、乱雑に置かれた洗濯物を丁寧に集めていく。少し湿っている気がするが、それは気のせいだろう。
庭に通じる窓は開け放たれており、半分までかかったレースのカーテンが、生ぬるい風を受けて膨らんではしぼみを繰り返している。その向こうでは、さあという雨音が聞こえている。
「斗真、何してんのあんた」
声のした方を振り返ると、タオルを頭からかぶった母がリビングとキッチンの間に立っていた。肩からかけている黄色いエプロンの上には、雨粒の染みが出来ている。
「いや、洗濯物が気になって」
「ふうん」
母は斗真の顔を見て、にやりと笑う。
「母さん、大丈夫なのに」
そう言うと、母はソファに横になる。
そのおなかは、もうぷっくりと膨らんでいる。
「いいの」
斗真は、そろそろと母の隣に腰を落ち着ける。
そしてそうっと、母のおなかに手をのせた。
「ちゃんと生まれてくるかな」
「何もなければね」
母のその返事に、斗真は少し、むっとする。
「母さん、そういう時は『きっとね』って言うんだよ」
「あら、母さん不確かな事は口にしない主義なの」
そう言うと、母は両手を頭の上へ持っていき伸びをする。
「なんだそれ」
斗真は鼻で息をする。
「ちゃんと生まれてくるかは運次第。母さんに出来るのは、母さんに出来ることだけ。斗真もそこんとこ、よろしくね」
「なんだそれ」
斗真は今度は強めに、鼻で息をする。
「あ、それから、今週はお父さん、帰ってこれるって」
「ふうん」
斗真の父は単身赴任中である。
斗真が生まれた時からそうなので、これからも多分、そうなのだろう。
斗真にとって父親とは、そういう存在である。
「斗真、プリン、食べよっか」
母の話題は、いつも次から次へと飛ぶ。
「べつに、いいけど」
「じゃあ冷蔵庫から取って来て」
「自分で行けば」
そう言いながらも、斗真は冷蔵庫へ向かう。
冷蔵庫の中には、プリンが4つ。
賞味期限は、来週の月曜日だ。
「ねえ、父さん待ってから食べない?」
斗真が提案する。
「えー、今たべたい」
おそらくソファでまだ伸びているであろう母の声は、どこまでも自由だ。
斗真は諦めて、プリンを3つ取り出すと、そっと冷蔵庫のドアをばたんと閉めた。
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