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みじかい小説#182『化粧』

 今日子きょうこは化粧が嫌いである。

 十代のころ、今日子がまだ学生であったころ、今日子の友人はみな、先生にばれない範囲で薄い化粧をはじめた。
 今日子は、両親がそういったことを嫌う厳格な性格であったため、なんとなく自分も彼女たちを嫌うようになっていた。
 今日子は、彼女たちが化粧をするのを、「若いうちから顔に添加物を塗って。将来、肌がだいなしになるのに」とすら思っていた。
 実際、男性の目から見れば十代の女性の肌は卵のようにすべすべで、弾力性があり、化粧などせずともそれだけで美しくみえるものである。
 しかし今日子の友人たちは化粧をし続け、今日子は化粧をしない日々が続いた。

 大学に入り、今日子は親元から離れた。
 つまり、今日子の身の回りから、化粧を嫌う人間がいなくなったのだった。
 ある日、今日子は友人のすすめで、好奇心から化粧品を手に取ってみた。
 素人にも分かりやすい、そして当時肌にやさしいとうたわれていた、無添加の化粧品であった。
 その日、今日子ははじめて、化粧をした。

 鏡の中の自分は、一枚のベールをかぶせたように、どこか他人のように見えた。
 笑うと、ひいたリップもつられて笑う。
 頬の上にのせたチークが、自分でいうのもなんだが、かわいらしい。
 眉はペンシルで書いたぶん、きりりとし、すっぴんの時と比べると随分印象が違う。
 目元はアイシャドウで縁取ふちどられ、パンダのよう、とはいかないまでも、立体感が増している。
 まつ毛はビューラーで丁寧にカールされ、マスカラをぬっているため一本一本が際立っている。
 「化粧」とは、今日子にとって、「変身」であった。

 今日子にとっての化粧の前には、男も女もなかった。
 ただ好奇心のみが横たわっていた。
 今日子は好奇心のおもむくままに、化粧を楽しむ日々をおくった。

 そのまま今日子は社会人になった。
 社会において、女性は薄化粧が好まれるため、深く考えることなく、今日子もそれにならった。
 そんな今日子に、彼氏が出来た。
 今日子は鏡をよく見るようになった。
 そして、彼氏を意識したおしゃれをするようになった。
 けれども化粧だけは、今日子は自分のしたいようにしていた。
 決して、彼氏の目を意識した化粧はしなかった。
 なぜかは分からない。
 今日子にとって、化粧はやはり、男性のためのものではなく、どこまでいっても自分のためのものだったのだろう。

 数年後、今日子は彼氏と別れた。
 今日子は泣かなかった。
 ただ、ああ、彼氏と別れたのだなあと思った。
 そして今日子は、プライベートで化粧をしなくなった。
 単純に肌によくないのと、面倒くさくなったのだった。
 男のために化粧をしていたのではなかったけれど、それでもどこか、男の目を気にしていたところがあったのだろう。
 今日子はそんな自分を素直に認めた。

 そして今、今日子は新たな恋をしている。
 相手はネットで知り合ったビジネスマンで、まだ知り合って一週間もたっていない。
 お互い相手に好印象を持っており、このままいくとつきあうのだろう。
 十代の頃のようなみずみずしい恋ではないが、そのぶん大人のつきあいができると期待して、どこかわくわくしているのが現状だ。
 住んでいる場所が遠いのでつきあうとなれば遠距離恋愛だが、そんなことはかまわない。
 そんな恋である。

 今日子は鏡の前に立つ。
 そして数年ぶりに買いそろえた化粧品を前に、満面の笑みをつくってみせる。
 鏡の中の今日子は笑っている。
 いい感じだ。
 今から、今日子の新たな変身がはじまる――。
 

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艸香 日月(くさか はる)
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