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みじかい小説#131『針と血と』
ぷつり――。
先端に黒々とした穴のあいた、銀色に光る細い針が、いま、容赦なく俺の体に入ってゆく。俺はその様子を、両の目でじっくりと観察している。看護師はいよいよ手に力をこめ、針をずぶりと奥へ押し込む。無事、血管に刺さったのだろう、注射器の中に、赤い液体がこぽこぽと遡ってゆくのが見える。
「はあい、拳を開いてくださあい」
二の腕をしばっていたゴムを勢いよく外すと、看護師は甲高い声で俺に指示を出した。俺は言われた通り、拳を開き、力を抜く。途端に、腕の中を勢いよく血が巡っていくのが分かり、頭がふわっとする。思わず、目を閉じる。
「終わりました。ご気分はいかがですか」
看護師の声に、俺はゆっくりと目を開く。
「大丈夫です」
俺はそう言うと、まくりあげていた袖をさげ、上着を着て、座っていた椅子から立ち上がる。少しふらふらするが、気のせいだろう。
「じゃあ、どうも」
それだけ言うと、俺は献血ルームをあとにした。外へ出るとテントが設置されており、その下では長机にドリンクが並べられている。
「お疲れさまでした、これ、どうぞ」
首からタオルをかけて人懐っこい笑顔をした初老の男性が、一本のドリンクを差し出してくる。
「どうも」
そう言って、俺はドリンクを受け取る。苺味だ。
それから俺はスマホで母に連絡をとり、現在、午後19時であること、これからスーパーに寄って帰宅することを手短に伝えた。
母に伝えた通り、俺はスーパーに立ち寄った。血を抜かれた後だから、レバーでも買っておくかと、総菜コーナーでレバーを見つけ、買い物カゴに放り込む。どれほどの効果があるのかは知らないが。
「ただいま」
「おかえり」
リビングに入ると母がスマホで動画を見ているのが目に飛び込んできた。
「飯は」
「まだ」
「レバー買ってきたから」
そう言って俺はビニール袋からレバーを取り出す。
「あら珍しい」
「献血してきて、血、抜かれた」
俺は手短に説明する。
「あら、社会貢献じゃない。立派ね」
本当にそう思っているのかいないのか、母はそんなことを口にした。
それから、親子二人でささやかな夕食となった。会話はほとんどない。
いったいいつまでこんな生活が続くのだろうか。とりたてて楽しいわけでもないが、おそらく恵まれているのだろう、そんな食卓である。
まあいい、今は生きているのだから、目の前のことだけに集中しよう。できるだけ、母との時間を大切にしてやろう。
そんな殊勝なことを思いながらも、頭の反対側では、早くこの生活が終わらないかとも願っている。たまに、腹の中のどす黒い感情と衝動が、体の中をかけめぐり、一気に噴き出しそうになる。それを必死におさえながら、日々をやりすごしている俺がいる。
だから、たまに息抜きならぬ、血抜きが必要なのだ。俺は血の気が多いから。
そんなふうに言い訳をして、俺は腕に貼られた止血テープをはがし、そこににじんだ自分の血をいつまでも眺めていた。
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