
よみびとしらず #03 聖子 第十一章 入り口
「ありがとう、もうここで結構だ」
良成、八郎、聖子、犬千代の四名は、右京の端に位置する妙蓮寺の前で牛車を降りた。
妙蓮寺は物の怪である狸が、人界において人型を得て住職をつとめている寺である。
寺の裏手には杉林が広がっており、中でも一等大きな杉の木には、まあるくぽっかりと『入り口』が口を開いていた。物の怪はこの『入り口』を使い、妖界と人界を行き来するのである。
寺は、人界にあっては廃寺に近かった。物の怪がそこここに巣くって、手入れする者がいないためである。人界では、狸はもっぱら物の怪たちの世話で忙しかった。
その狸は今、妖界にて宋卓と交戦中である。
そうとは知らない四人は、妙蓮寺のところどころ崩れている塀に沿って歩を進めていた。
「だいぶ廃れておりますね」
誰にでもなく、犬千代がぼそりと言う。
みな、さきほどの頼明との対戦でぴりぴりしている。
「手をいれたくなる廃れようじゃなあ」
つとめて明るく、聖子が言葉を重ねた。
「この戦いが終わったら、みなで狸殿をせっついて大掃除でもしてやりたいものじゃのう」
八郎が気前のいいことを言ってのける。
良成は、生徒たちのそんな様子を先頭に立ちながら聞いていて静かに笑っている。
四人は寺を囲む塀伝いに歩き、正門である斜めに傾いた四脚門をくぐった。
抜き足差し足、周囲に気を配りながら慎重に歩を進める。
金堂、講堂と見て回り、裏の杉林を進む。
ふと、先頭を歩いていた良成が、歩を止めた。
良成は、みなに手振りで腰をかがめるように指示を出した。
それからある方向を指さし、みなの視線を誘導する。
良成が指さした先には、人だかりがあった。
何者じゃ。
みな、茂みの中にあって固唾をのんで成り行きを見守った。
見ると、人だかりはみな坊主である。
坊主が十名ほど、同じ方向に向かって同心円に座っているのでる。
なぜ――。
良成は更に目を凝らした。
すると、坊主達が座っているその中心には、大きな『入り口』が、ぽっかりと口を開けているのである。
いや、ぽっかりと口を開けていた、と言った方が正しい。
『入り口』は今まさに、坊主達によって、こちら側から結界により閉じられようとしているのであった。
「師匠」
声をかけたのは聖子である。
「分かっている、急がねば」
急がねば、『入り口』が閉じてしまう。
『入り口』が閉じると、狸を筆頭とする物の怪が、人界と妖界とを行き来できなくなってしまう。
物の怪は、人の思念が形となったものである。
人の世にあって物の怪は、なくてはならぬものなのであった。
それほど人は物の怪に依存している――。
今では良成も生徒たちも、それを理解していた。
「ん」
言って坊主達のうちの一人が、異変を感じ取ってか急に後ろを振り向いた。
その瞬間、周囲から楽器の音が、こだました。
良成、聖子、犬千代の音である。
音は霊力をまとっていた。
「何者」
しかし耳を閉ざす間もなく十名ほどの坊主達は、音の結界にからめとられていった。
「八郎、いまじゃ」
聖子が叫ぶ。
「ああ、いってくる」
八郎は元気よく返事を返すと、あっという間に、動きを封じられた坊主たちの間をすり抜け、閉じかかった『入り口』へと飛び込んでいった。
あとには、鳴りやまぬ音と坊主達が残された。
八郎は走った。
狸のための形代を懐にたずさえて。
一路、願良寺へと、妖界の中を走って行った。
残された良成、聖子、犬千代の三名は、霊力の続く限り楽器をかなで、坊主達の動きを封じていた。
しかし付け焼き刃の勢力である。
すぐに霊力は底をつきた。
まず犬千代の笙が、息切れを起こした。
次いで良成の龍笛が、途切れ途切れになった。
三名はあせった。
良成は龍笛から口を離し、叫んだ。
「ここは私に任せ、一旦逃げなさい」
聖子は己の龍笛に一層の力を込めながら、首を大きく横に振った。
犬千代はもう笙から口を離している。
「師匠、それは」
犬千代が叫ぶ。
「命令だ。行きなさい。陰陽寮へ、走りなさい」
息をきらしながら良成は告げた。
その目は反対を許さなかった。
「はい」
聖子と犬千代は、それぞれの楽器を手に持ち、後ろを振り向かずに走って行った。
己の龍笛に再び口をつけ奏ではじめた良成は、そんな二人の後ろ姿を最後まで見送り振り返った。
そうして龍笛から口を離すと、懐に手を入れた。
「めんどうなことだねえ」
そう言うと良成は法具を取り出し、最後の霊力を一心に込めた。
「狸殿」
八郎は叫んだ。
願良寺に到着したのである。
狸は八郎の姿を見定めると、『おおん』と呪をかけ、一時宋卓をその場にしばりつけた。
そうして八郎の元へ飛んでやってきた。
「どうした、八郎。人界では何が起こっておる」
狸はそのどっしりとした体躯を上下に揺らしながら八郎に問うた。
「師匠が、康親様が、頼明めにやられました」
八郎は息をきらしながらそう告げると、その場に倒れ込んだ。
かけつけた明水が八郎の体を助け起こす。
「やはりか。して他の奴等はどうした」
狸は冷静な目を八郎に向ける。
「玄庵様は頼明と交戦中。良成様と聖子と犬千代は、願良寺の『入り口』を閉じようとする謎の坊主集団と交戦中です」
八郎は一気にまくしたてた。
それを聞いた狸は、ううむと唸ると黙り込んでしまった。
それから間を置いて、口を開いた。
「『入り口』を閉じる、じゃと」
明水に助け起こされながら、八郎は息を整えもう一度告げた。
「謎の坊主集団が、願良寺の裏の『入り口』を、結界により封鎖しようとしておったのです」
「そやつ、頼明の差し金か。おそらく宋卓の仲間じゃのう」
「はあ。良成様と若い連中で坊主等を止め置き、その間に私が『入り口』を通ってこちらまでやって来たというわけです」
「なるほど。ご苦労じゃったのう、八郎」
狸は涙声の八郎の肩に手を置いた。
思わず八郎の目から涙がこぼれる。
「泣いている暇はないぞ。こちらはよい。急いで人界へ助力に行かねば。頼明は玄庵一人では倒せまい。妖界に閉じ込められる前に。急ぐんじゃ」
「はい。良成様たちがまだ踏ん張っておられれば、妙蓮寺の『入り口』が使えるはずです」
「うむ。では急ごう」
「私も参ります」
明水は八郎の肩に手をあて立ち上がった。
頼もしい言葉に安堵した八郎は、恥ずかし気に次をつなげた。
「忘れていました、これは玄庵様からのことづてです」
言って八郎は、懐から『聞耳』の形代を二枚取り出した。
「何かあれば叫べ、とのことです」
狸と明水はそれぞれ受け取り、あいわかった、とこたえた。
狸は宋卓をその場にしばり続け、妖界の物の怪達に留守を頼んだ。
そうして狸、八郎、明水は、空飛ぶ牛車に乗り、一路妙蓮寺を目指したのであった。
「はっ。見くびられたものじゃのう」
そううそぶいたのは宋卓である。
宋卓は狸の呪により、願良寺にほど近い山の山頂にしばりつけられた。
その周りには、狸に言われて、烏天狗と奏が見張りについている。
「強がりを言うでない。大人しくしておれ」
烏天狗が振り向きざまに言う。
「そう言うでない。『おおん』」
宋卓がそう短く唱えると、あたりに霧が立ち込めはじめた。
「おぬし、何をした」
奏が叫ぶ。
「なあに、ちょっと姿をくらますだけでございますよ」
「宋卓」
烏天狗の叫びが、むなしく空をきる。
霧が晴れると、宋卓の姿は消えていた。
「ごきげんよう、狸殿」
空飛ぶ牛車の中、狸はどこかから、確かに宋卓の声を聞いた。
あたりをきょろきょろと探したが、宋卓の姿はどこにもない。
気のせいかと思い、前に向き直した時であった。
「『おおん』」
宋卓の声がはっきりと聞こえた。
「おのれ、抜け出したか宋卓」
狸は牛車から飛び出し中空へ出た。
牛車と同じ速さで飛びながら、狸は警戒を続ける。
「どこにおる宋卓。出てこい」
狸は全身の毛をそばだてた。
「『弱化』」
『弱化』とは、陰陽師の術でいうところの『解除』、つまり術を解く術である。
『弱化』の術をかけられた狸は、一時術をかけられなくなる。
空を飛んでいた狸は、真っ逆さまに都の街へど落ちていったのであった。
「『浮遊術』」
狸が都の街に吸い込まれそうになった時である。
牛車に乗っていた八郎が、落ちてゆく狸に向かい『浮遊術』を展開した。
『弱化』を受けて、立ち並ぶ屋敷の屋根に追突しそうであった狸の体が、宙に浮く。
「おお、助かったぞ八郎」
「大丈夫でございますか」
八郎は牛車の御者に言って、狸のところまで降りてくると、素早く狸のそばにかけよった。
『解除』または『弱化』は、相手の術を一瞬の間すべて解く術である。一旦解かれた後は、再度術をかければ済む話であった。
屋敷の屋根に移り、八郎が『解除』をした後、狸は己に改めて『浮遊術』をかけた。
再び宙に舞った狸と八郎は、宋卓の姿を探した。
「おのれ、どこにおる」
二人は全方位に注意を払うも、宋卓は姿を見せない。
その時であった。
「『影針』」
どこかから宋卓の声がこだましたかと思うと、二人はそのままの姿で中空に留め置かれた。
『影針』とは、相手を影にてその場に縫い付ける術である。
「くそ、おのれ宋卓、姿をみせろ」
八郎が叫ぶ。
くつくつという宋卓の笑い声が、あたりに響く。
「しばらくそのままでいていただきましょう」
宋卓のその言葉を聞いて、狸が吠えた。
「おのれ、『入り口』が封鎖されるまでの時間稼ぎか」
「ご名答。大人しくしていていただきましょう」
術の有効時間は、術の主の自由である。もしくは術の主の死亡である。
「くそ」
八郎の声が、むなしくその場に響いた。
聖子と犬千代は陰陽寮へ向かい、朱雀大路を北へ北へとひた走っていた。
師匠の良成は、二人を先に行かせその場にとどまった。
半月で仕上げた良成の霊力と技量では、とても十何人のてだれの坊主には太刀打ちできないことは明白であった。
聖子はいつのまにか泣いていた。
己の非力さ、成り行きの不幸、死を間近に感じた恐怖、そういったものが入り交じり、聖子の涙になっていた。
後ろを走る犬千代に気づかれないように、聖子は袖口で涙をぬぐった。
今はただ、陰陽寮へ――。
水干姿の二人は、振り返る人の視線も気にせず、ただ北へと走った。
「ごめんください」
息をきらしながら聖子は陰陽寮の戸口に立った。
陰陽寮の玄関は、いつにもまして人でごった返していた。
聖子は、その人込みの中を、犬千代を連れて奥へと進む。
小走りでその場を立ち去ろうとする下女をつかまえて、聖子は息もきれぎれに叫んだ。
「陰陽師の方はいらっしゃいますか。一大事でございます。なにとぞ、お取次ぎを」
聖子の必死な形相を見て、下女はただ事ではないとふんだのか、にわかに顔色を変えると「わかりました」と言って奥へ引っ込んで行った。
しばらくして、下女は再び聖子と犬千代の前に現れた。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
そう言って下女は二人の先に立って案内をした。
一刻の猶予もならぬ。
聖子と犬千代は、血の気を失った顔で下女の後について行った。
いくつかの部屋を通り過ぎ、とある部屋の前で下女が止まった。
「こちらへ」
促されて、二人は部屋の中へ入る。
するとそこには老人と言っていいほどの妙齢の、男女の陰陽師が二人、長椅子に腰をかけてこちらを見ていた。
「こんにちは」
聖子と犬千代はとりあえずの挨拶をした。
男女の老人二人のうち、女性の陰陽師は夏宮、男性の陰陽師は義則(幼名を竹丸)と名乗った。
聖子には、嫌な予感がした。
このような老人をよこすとは、安く見られているのだろうか。
犬千代も、態度にはだしてはいないが、声が若干こわばっているのが分かった。
そんな聖子の内心を慮ってか、老人のうちの一人が口を開いた。
「まあ、座りなされ」
言う通り、聖子と犬千代は差し出された椅子に腰かける。
「聞けば一大事とのこと。具体的なことを教えてくれぬかの」
そう言われて、聖子は深呼吸をし、早口におおまかな顛末を話しはじめた。
「半月ほど前から、私どもは頼明という陰陽師の対峙を計画しておりました」
開口一番そう説明した聖子の言葉で、陰陽師二人は表情を変えた。
「頼明じゃと」
「もしや康親が関係しておるのか」
聖子は「康親」と聞き、はっとした。
康親様は陰陽師、ということは目の前の二人と関係があるのだ。
伝えねばならない――。
「はい。康親様は、頼明めにやられてしまいました」
「なに」
義則と名乗る陰陽師の顔色が変わる。
「なぜじゃ。なぜ我らを呼ばなかった」
そう言われても、康親の内心を、聖子が知るはずもない。
沈黙が流れる。
「まあよい。それは過ぎたことじゃ。して、今頼明はどこにおる」
「願良寺で玄庵殿と交戦中でございます。おひとりで」
「なんとまあ」
二人は驚きの声をあげた。
どうやら二人は玄庵と顔見知りらしかった。
「では急がねばならぬな。玄庵殿一人では危うかろう」
二人が顔を見合わせて腰をあげようとした時である。
「お待ちを。それよりも重大な問題がございます」
「頼明よりも急ぎの用じゃと」
再度椅子に腰をおとした二人が尋ねる。
「妙蓮寺裏の『入り口』が、十数名の謎の坊主集団により封印されようとしております。なんでも物の怪の出入りを封じるとかで。こちらは良成様がおひとりで対処しております」
「なんじゃと。『入り口』をか。これは大変なことになっておるのう」
そう言うと夏宮は大きなため息をした。
「物の怪は人界にとって必要な存在じゃ。まずは物の怪をこちら側へ呼ぶのが先決じゃな」
「そんな」
聖子は思わず口にした。
「良成様はどうなります」
少しの間のあと、義則が口を開いた。
「もう、やられておるじゃろう」
「そんな、でも、急がねば」
聖子の悲鳴にも似た叫びが、部屋の中に響く。
「聖子といったね、悪いが陰陽師としては物の怪の問題の方が重大なんじゃよ」
夏宮がぴしゃりと言う。
聖子は急に怒りが湧いてきた。
何のために走ったのか。
犬千代も同じであるらしく、握りこぶしを作っている。
「聖子、犬千代、二人にも働いてもらうぞ。今からお宮へ行き、狐殿の呼び出しじゃ」
聖子と犬千代は、無言でそれにこたえた。
陰陽寮の裏には、これも修行の一環として、小さなお宮が設けられていた。
夏宮と義則は、聖子と犬千代をつれてお宮の前までやって来た。
手には榊と米を一束ずつ持っている。
「では、呼び出そう」
言うと夏宮と義則は、お宮の前に敷いてあるござに座り、一心に祈り始めた。
聖子と犬千代も、それにならう。
祈りの言葉が終わると、夏宮は手にしていた米をお宮にそなえ、榊を握り左右に振りだした。
「狐殿、出て来てくだされ」
そう言いながら夏宮は聞きなれない呪を唱える。
しばらくの間その儀式が続いた。
「なんじゃなんじゃ」
どこからともなく声が響く。
見ると、お宮の中に光るものがある。
よく見てみると、光の中に狐の影があった。
「狐殿」
義則が叫ぶ。
「おう、義則と夏宮ではないか。久しいのう」
狐はお宮から出てござの上に座り直した。
「今妖界はえらいことになっておるぞ」
狐は開口一番そう言った。
「『入り口』の二つが閉じられたのでございましょう」
「さすが陰陽師じゃ。話が早いのう」
言って狐は、口元から伸びるひげを指で遊ぶ。
「我ら陰陽師に出来ることはありましょうや」
「それよ。我らが人界へ行ければよいのじゃ。それでな、こう、『召喚』でもなんでもよいから我らを呼び出して欲しいんじゃ」
言われて夏宮と義則は顔を見合わせ笑顔を見せた。
「なるほど。その手がありましたか」
「手をこまねていている時間はありませぬな」
「では早速」
そう言うと夏宮と義則は、ござから立ち上がり、間をとって並んだ。
そうして揃って唱えた。
「『百鬼夜行』」
空にはたちまち黒雲が立ち込め、けたたましい鳴き声とともに宙に穴が開き、そこから物の怪が塊を成してなだれ込んできた。
夏宮と義則が立つその場所には、足元から旋風がわき起こっている。
「これは」
聖子と犬千代は言葉をなくし、目を見開いた。
目の前では宙からとめどなく物の怪があふれている。
すると、物の怪の塊の中から、聞いたことのある声がした。
耳をよくすませる。
「聖子、犬千代、それに夏宮に竹丸か。久しいのう」
そう叫びながら降りてきたのは、いつか見た狸であった。
狸はかっかと笑いながら矢継ぎ早に言った。
「いや助かったぞ。あやうく妖界に閉じ込められるとこじゃった」
その姿を見て、聖子が言う。
「狸殿、八郎を知りませぬか。そちらに向かったのですが」
聖子の問いに、狸が言いづらそうにこたえる。
「八郎はのう、あちらに閉じ込められたままじゃ。人間は召喚できぬからのう」
「なんと」
聖子の心に新たな焦りが生じた。
「しかし私がこちらに来たからには百人力じゃ。頼明など蹴散らしてくれよう」
「われらもご助力いたしますぞ」
狸の言に、陰陽師の二人が重ねる。
「はい……」
遅かった。
内心の焦りをおさえつつ、聖子と犬千代は少々の安堵と悲しみの中、そう返事をしたのだった。
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