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よみびとしらず #01 初春 番外編 竹丸(上)

 桜の咲く頃であった。
 その日、竹丸は近習で友人でもある友政(ともまさ)と連れだって市場の方へ出向いていた。

 京の市場は左京の端にある。
 ちょうど都の南東に川が流れており、流れを利用して船で物品が運ばれていた。
 船着き場から都へ入ったところに市場があったのである。
 
 さてその市場に出向いていた竹丸であるが、久々の市に気分は高揚していた。
「今日は何を見てまわろうかのう、友政」
 そう言って友政の肩を抱きながら傍を通った反物屋の反物を物色している。
 この頃の商売は物々交換が主流である。
 まだ銭の流通量は少なく、信用もなかったのである。
 しかし竹丸は違った。
 先日手に入れた大量の銭を早く使いたくてうずうずしているのであった。
 そう思っているところへ、竹丸の友人である卯花(うのはな)がやってきた。
「まぁ竹丸のお兄さん、友政様と連れだって一体どこへ?」
「おお卯花、久しぶりじゃ。なんぞええもんが入ってはおらぬか」
「『ええもん』て言っても最近は天気も良くてみんな『ええもん』ですよ」
「聞いたか友政。ようし今日はたらふく喰ってどしどし買うぞ」
 竹丸はにかっと笑った。
「手始めに卯花、その反物を見せてくれぬか。いい色合いじゃ」
「はいどうぞ。一級品ですよ」
「ああ、そうじゃろう。よし買った」
「米五升ね」
「いや米では払わん。今回はこの銭で支払う」
「なによそれ。そんなもの何の足しにもならないじゃない。これで同じ反物が買える保証がどこにあるって言うの。上の人もそんなものを浸透させようなんて何考えてるんだか分かりゃしない」
 卯花でなくとも、市場一帯がこの調子であった。
「ううむ。これでは宝の持ち腐れよの。仕方がない、米で支払うか」
「そうこないとね」
「どうせ支払うならその玉とあちらの帯も見たい」
「はいはいまいど」
 竹丸は後ろに引かせている牛車の中から米を取り出しその場で支払ってやった。
 市を右から左へあっちへふらふらこっちへふらふらしながら、竹丸は牛車二台分も買い物をしてまわった。
 流石に荷が牛車に乗らなくなってきた頃、それでも買い物を続けようとする竹丸に友政が声をかけた。
「竹丸様、そろそろ……」
「分かっておる」
 竹丸は人通りを離れ市場の脇へ牛車を寄せた。
 そうして筆記用具を取り出すと、さらさらと呪を書き始めた。
「ではまいるぞ。『邪見』」
 『邪見』とは、物の怪を目で見る呪である。
 竹丸が市場を隅々まで通して見据える。
「続いて『全点透視』」
 『全点透視』とは、物の怪の痕跡を見る呪である。
 今度は隅々を凝視するように見据える。 
 実は本日、竹丸は市場の見回りにかこつけて買い物に来たのであった。
「ややっ。友政、一つ、大きな足跡を見つけたぞ」
「それはまことでございますか。遡(さかのぼ)ってまいられますか」
「いや、まずは陰陽寮へ報告じゃ」
「はっ」
 そういう訳で竹丸は、買った荷を家へ置いた後、友政と連れだって陰陽寮へ戻っていったのであった。

 軒に咲いた桜と梅を眩しく眺めながら、ふらふらと良い心地で竹丸は陰陽寮へ戻ってきた。
「ただいま戻りもうした、竹丸にございます」
 寮の入り口で竹丸は大きく挨拶をした。
 それに答えたのは保憲(やすのり)であった。
「おお竹丸、市場はどうであった」
「大きな足跡を一つ見つけもうした」
 買い物の事などおくびにも出さない。
「足跡とな」
「はい、こう海鳥のような足跡でございました」
 これは本当であった。
 三、四本の爪に水かきがついていたのである。
「どうじゃお主、辿たどってみる気はあるか」
「よろしいのですか」
「見事調伏した暁には陰陽師へ昇級させてやってもよい」
「まことにございますか」
 まさかの処遇に竹丸の心は踊った。
「ではぜひに」
「うむ、励めよ」
 やりとりが終わるやいなや竹丸は家へ戻り友政に支度をさせ市場へ舞い戻ったのであった。

「友政、聞いてくれ。俺も陰陽師になる日が来たぞ」
 竹丸は、保憲とのやりとりを友政に聞かせてやった。
「竹丸様はなんでも気が早うございます」
 友政はぴしゃりと言う。
「しかしだ、この足跡を辿っていけば主(ぬし)にたどり着く。そこで調伏をして俺も晴れて陰陽師よ。こんなに嬉しいことはない」
「くれぐれも油断なさらぬように」
「分かっておる」
 市場へ舞い戻る道すがら、牛車の中で二人はそんな会話を繰り広げていたのだった。

 牛車が市場へ到着すると、二人は牛車を降りて市場の脇へ寄った。
 そのまま牛車は家へ帰らせ、竹丸は再び『全点透視』を試みた。
「見えるぞ……こちらじゃ」
 竹丸には、市場の中央付近から続く足跡がくっきりと見えていた。
 竹丸がぶつからぬよう友政が警護にまわる。
 そうして二人はゆっくりゆっくりと歩を進めていったのであった。

 足跡は川の方へ続いていた。
 竹丸はゆっくりとそちらへ移動していく。
 更に進むと、足跡は川の中に入ってしまった。
 仕方なく竹丸は友政と渡しを雇うことにした。
「お前様方はどちらへ」
 渡しが尋ねた。
「ちょっとそこまでじゃ。とりあえず俺の言う方向へ進んでくれ」
「なんだいそりゃ」
「頼みます」
「仕方ねぇな」
 そう言うと渡しは二人を乗せ、竹丸の指示通り川を下ってゆくのであった。

 半時ほど経ったろうか、舟は山城国を出て摂津国へ入っていた。
 相変わらず竹丸は『全点透視』で水中を見据えている。
「こんな変わった客は初めてだ」
 船頭(せんどう)が言って櫂(かい)を上下に揺らす。
「実は陰陽師の雛でして」
 友政が申し訳なさそうに白状をした。
「成程、それで言動がおかしいんじゃな」
「はぁ」
 歯に衣着せぬ船頭である。
「しかしお前様方、もう半時もすりゃあ海へ出てしまいますよ」
「いや、とりあえずこのまま進んでくれ」
 竹丸が水中から目を離さずに口だけで答える。
「さようで」
 船頭は次第に不気味さを覚えてきた。

 舟はゆっくりと海にむかっていた。
 川の水と海の水が合わさる辺りまで来て、次第に霧が濃くなってきていた。
「お前様方ぁ、ちょっとそこまでじゃなかったんじゃないですか。このままじゃあ霧の中で迷子になってしまいますよ」
「その為に澪標(みおつくし)があるんじゃろうが」
 竹丸が指をさして言う。
 『澪標』とは、小舟などの航路を示す杭である。
 見るとなるほど、そこには海から突き出た棒が何本も並んでいた。
「しかし遠くに来すぎですよ。帰りましょうよ」
 船頭はすっかり怖気づいてしまっていた。
「もう少しの辛抱じゃ」
 竹丸は自らに言ったのか船頭に向けたのか分からぬ言葉を吐いた。
 その時である。
「方向が変わったぞ。あっちじゃ」
「へいっ」
 船頭が慌てて櫂をきる。
 すると霧の影にうっすらと陸地が見えだした。
「跡は陸へ上がっておる」
「へい。では私はこれにて……」
「いや、帰りも頼みたい。ここで待っていてくれぬか」
「そりゃあいいですが、戻ったら待っていた間の分もお願いしますからね」
「ちゃっかりしておる。ではここで待っていてくれ」
 竹丸はそう言うと友政を伴って舟を降りた。
 竹丸の目は依然として足跡を追っている。
 友政はずっと竹丸の手を握り周囲を警戒しつつ歩を進めている。

 陸地に上がったはいいが、そこは小さな漁村であった。
 おそらく漁師の子が物珍し気にこちらを見ている。
「足跡はこの村に入る手前で消えておる。はて」
 竹丸はずっと下を向いており肩が凝っていたため頭をまわし首をほぐした。
「少々村人に尋ね歩いてみるか」
「はっ」
 二人は、十ほどある村の小屋を一軒一軒まわって歩いた。
「ごめんくだされ」
「はあい」
 一軒目にして幸先のいい返事が返ってきた。
「私は陰陽師見習いの竹丸と申す。こちらは近習の義親でございます。つかぬことを伺いますが、最近何やら奇妙な事が起こったりしてはおらぬでしょうか」
「さあて、奇妙な事ねぇ……さあてねえ」
「例えば今日は霧が出ておるようですが、その霧が珍しいなど、ささいなことでもかまわないのですが」
「霧ねぇ、確かに今日は霧がいつもより濃い気はするねえ。気のせいかね」
 一軒目ではこれが精いっぱいの収穫だった。
 次いで二軒目、三軒目とまわっていくも、人当たりは総じて良かったもののやはり収穫はほとんどなく終わってしまった。
「ふうむ、友政、おぬしはどう思う」
「そうですね、強いて言うなら『人当たりの良さ』に何やら不気味さを感じましたね。地方の村はよそ者を嫌うというのが当然ですので」
「成程な、確かにそうじゃ」
 二人は漁村を見渡せる小高い丘に陣取っている。
 村には村の者を統括する寺社仏閣があるはずであった。
 それを探しに丘を登って来たのである。
「ああ、あれに見えるのがそうじゃ。鐘が見える」
「まずはあちらにご挨拶をすべきでしたでしょうか」
「いや、構わんじゃろう。小さな村じゃ。もう俺達の事は噂になっておるに違いない」
 そう言うと竹丸は友政を伴って寺社仏閣らしき建物の方へ足を向けた。
 
 近づいてみると、それは小さな社(やしろ)を持つ寺であった。
 二人はまず寺の方へと足を運んだ。
「ごめんくだされ」
「はあい」
 ここでも心地よい返事が返ってきた。
 村人全員がこの調子であるのか、それはそれで不気味な気がした。
 声の主は四十ほどであろうか、身なりからするにこの寺の住職であった。
「私は都から来た陰陽師見習いでございます。こちらは近習の友政。早速ではございますが、最近こちらで不可思議な事が起こるなどしてはおりませぬか」
「まぁまぁ陰陽師様。どうぞお上がりになってくださいまし」
 言って住職とおぼしき男は先導するように中へ入ってしまった。
 仕方なく二人はあがらせてもらうことにした。
「どうぞこちらへ」
 そこは二間続きの、縁側から庭のよく見える部屋であった。
 庭の美しさから、この屋敷で一等の部屋であることはすぐに分かった。
「急に来たのに申し訳ない」
 竹丸はそう言ったが、住職は更に奥から菓子を持ち出してきた。
「いやはや、本当にかたじけない」
「いえいえ、お客様など久しぶりでございますから」
 言って住職は菓子を進める。
 ありがたくそれを頂きながら竹丸は尋ねてみた。
「この村の皆さまはどうももてなし上手と言いますか、皆さま愛想がようございますね」
「さようでございますか、皆、お客人が来られて嬉しいのでございましょう」
「はぁ」
「ところでご住職様、隣の社に祀(まつ)られておるのは何でございましょう」
「ああ、あちらに祀られておるのは珍しくもなく、お稲荷様でございます」
「そうでございましたか。後で拝見してもよろしいでしょうか」
「どうぞご自由に」
 この後二人は、住職と世間話を少しして別れたのであった。

「なんぞ怪しい方でもありませんでしたな、竹丸様」
「そうじゃのう。残るは社か」
「お稲荷様では怪しいも何もありませぬなあ」
 社には参るが、早くも収穫のないのが見えているようで二人の足は重い。
 寺に併設してある社は、なるほど狐が両脇に鎮座して迎えてくれていた。
 念のために、と言って竹丸は呪を唱えた。
「『邪見』ならびに『全点透視』」
 竹丸はその目で社の隅々までを見据えてみた。
 するとそこには小さな狐殿が鎮座しているのであった。
「これはこれはお狐様、お初にお目にかかります。竹丸と友政にございます。お食事中でございましたか」
 小さな狐は両手で団子を抱いて食べている途中であった。
「失礼いたしました」
 竹丸はにこりと笑って呪を解いた。
「ここには何もない。舟へ戻るか」
 と、その時であった。
「竹丸殿ではないか」
 背を向けた社から声がした。
 竹丸が慌てて振り返り再度『邪見』を唱えると、そこにいたのは妙蓮寺の裏の妖界で会った九尾の狐めであった。
「な、なんでおぬしがここにおるんじゃ」
 竹丸は驚いて腰をぬかした。
「なんでも何もない。ここの社のちびが、陰陽師が来たと報告に来たんで参ったまでよ。変わりなさそうで何よりじゃな竹丸殿」
「お、お主も元気そうでなによりじゃ」
 竹丸は本来の目的を思い出した。
「そうじゃ狐殿、この村で物の怪を見たという話を知らぬか。儂はある物の怪の足跡を追ってここまで来たんじゃ」
「さあなあ、俺達も村に結界を張るくらいで常日頃から見守っているわけじゃなし」
「村に結界か……よし、ありがとう狐殿。道が開けたやもしれん」
「そうか、そりゃ良かった。それじゃあ達者でな」
 言うが早いか狐めはしゅるりと尾を巻くと次の瞬間には姿を消していた。
「竹丸様、『道が開けた』とは」
「ほら、足跡が水辺で止まっていたろう。あれはこの村の結界に阻(はば)まれてのことではなかろうかと思たのじゃ」
「なるほど」
「善は急げじゃ友政。舟に戻るぞ」
「はっ」

 船着き場に戻ると、例の船頭が手持ち無沙汰に竹丸達を待っていた。
 竹丸達が姿を現すと、待っていましたとばかりに喜んでみせた。
「お前様方、戻るのが遅いですよ。これじゃあ都に着くのが夜になってしまいますよ」
「それがな、まだ用向きが終わった訳ではないんじゃ」
「なんと」
「実はとある物の怪を追っておってな。それを捕まえねば都には帰れぬのよ」
「なんですと。なんという事に巻き込まれたんじゃ儂は」
 船頭がしわがれ声で嘆く。
「まあ諦めて一緒に物の怪を追ってくれい」
「なんということじゃ」
「それでじゃ。早速じゃがまた儂らを乗せて言った方向へこいでくれぬか。報酬ははずむ」
「本当にはずんでくださるんでしょうね」
 言いながら船頭は二人のために船内に席をあけた。
 竹丸が唱える。
「『邪見』ならびに『全点透視』」
 竹丸は今度は村の結界をひたと見据えた。
 そうして例の足跡をもう一度丁寧に追ってみたのである。
 するとどうであろう、足跡は結界の前で一旦立ち止まり引き返していたのである。
 今度はその引き返した先を追うことになる。
 竹丸は船頭に、自分の示した方向へ行くよう命じた。

 舟は再び濃い霧の中を進んでいる。
 竹丸は水中に続く足跡を見据えながら船頭に指示を出していく。
「ややっ」
 友政が声をあげた。
 目の前に現れたのは、あの陸地だったのである。
「竹丸様、我等は夢でも見ておるのでございましょうか」
「お前様方、陸地で何か悪さをして来たんではないかの」
 船頭は震えあがってしまっている。
「竹丸様、いかがいたしましょう」
「うむ、陸へ上がるしかなさそうじゃな」
 そういう訳で二人は再び、あの漁村へ降り立ったのだった。
「友政の言う通り、まるで夢を見ておるようじゃの」
「竹丸様、あの社の狐殿に何か助言をいただいてはいかがでございましょう」
「そうじゃな、我等だけではどうにもなるまい」
 二人は例の社へ足を向けた。

 竹丸の呪はかけられたままだったので、今度は遠くからでも子狐の姿がよく見えた。
「子狐殿、お久ぶりにございます。竹丸です。申し訳ないのですがもう一度狐殿を呼んで下さらぬか」
 子狐は団子でお腹いっぱいになったのか気持ちよさそうに眠っていた。
 そこを起こされたので若干気分は悪そうだったが、幸いにも一度こくりと頷くとすうと社の奥へ消えて呼びに行ってくれた。
「なんじゃなんじゃ忙しいのう」
 狐殿はそう言いながらも若干嬉しそうに出向いてくれた。
「狐殿、儂らは閉じ込められてしまったみたいじゃ。舟を出すも同じ陸へ戻ってきてしまうんじゃ。どうしたらよかろう」
「それはお主、龍の背に乗ってしまったんじゃろう」
「『龍の背』とは」
「お主、勉強不足じゃのう『龍の背』を知らぬとは。龍は知っておるな。その龍の背に偶然にも乗ってしまったというんじゃ。いや偶然ではないな、足跡の主が龍だったんじゃから、乗るべくして乗ってしまったんじゃろう。気の毒にのう」
「どうすればこの輪から抜け出せますかの」
「抜け出さずともよいではないか。そこにおる村人は全員抜け出さぬことを選んだ者たちよ」
「儂は陰陽師にならねばならぬ。こんなところで時間をつぶしておる暇は無いんじゃ。ちなみに、この輪から抜けたところで大昔になっておるなどということはなかろうな」
「そのようなことはない。御伽噺の読みすぎじゃな。してどうする。抜け出すからには龍と対峙せねばならんぞ」
「のぞむところじゃ」
「おお、よう言うた。一つ助言をしてやろう。龍は玉に弱い」
「ああ、玉なら懐にほらこの通り、持っておる」
 その玉は今朝の市で買い求めたものであった。
「では儂の言うことはこれまでじゃ。励めよ」
 そう言うと狐めは再びしゅるりと尾を巻いて姿を消したのであった。
「では参るとするか」
 竹丸は友政を呼ぼうと後ろを振り返った。
 すると瞬間、目の前が真っ暗になった。


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艸香 日月(くさか はる)
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