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みじかい小説#197『不幸体質』

 いつの頃からだろう、好きなことより、嫌いだったり不快なことを数えるようになっていったのは。
 いつの頃からだろう、好きなことを数えなくなっていったのは。
 いつの頃からだろう、自分の幸せを考えなくなっていったのは。

 
 思えば20代前半の頃、私のまわりは「好き」であふれていた。
 居酒屋のアルバイトで生計をたてていた私は、毎日を好きなように生きていた。
 好きなだけ働き、稼いだ金を大好きな煙草と食事に使い、友人知人と笑い合いながら毎日を過ごしていた。
 他人の迷惑など考えたことがなく、自分の快楽を主軸に、太く短く生きてやるのだと息まいていた。
 よく言えば破天荒、悪く言えば無鉄砲な生き方をしていた。
 最低でも、毎日が不快でなければいいと思っていた。
 毎日好きなものを好きなだけ食べ、好きなだけ煙草を吸い、好きな人間とだけつきあい、そうして自分を甘やかすことだけは手を抜かなかった。
 おかげで実際、毎日がとても楽しかった。

 20代後半、そのような生き方に無理が見えはじめる。
 体力の衰えを感じた私は、居酒屋から事務仕事に職を変えた。
 新しい職場は、それまでの居酒屋のノリを冷笑するような「オカタイ」空気に満ちていた。
 はじめは、ただ皆が真面目で仕事熱心なだけだと思っていた。
 しかし徐々に実情が明らかになってゆく。
 派閥争いに忙しい上司、ごますりに必死な先輩、足を引っ張ることをよしとする同僚、わざとへまをする後輩、それらを見て見ぬふりをする店長。
 そう、私は当時問題となっていた「ブラック企業」に入ってしまったのだった。
 私は体調不良を理由に早々に退社した。
 それから私は職を転々として過ごした。

 30代、もはや仕事に多くは求めなくなっていた。
 ただ稼げればよく、稼いだ金はすべて食事と煙草に消えた。
 これだけ書くと、なんと退廃的な人間かと思うが、そんな私にも夢があった。
 漫画家になるという夢である。
 20代は好きに生きて経験を積み、30代で技術を磨きデビューする、というのが漠然とした計画であった。
 今となっては笑い話だが、当時はそのプランの実現を疑いもせず、漫画家としての訓練を何もしないまま、経験だけはするのだという熱量だけは保ちながら、ただ日々を過ごしていた。

 しかし30代の中盤、私は大病にかかる。
 大量のニコチンと、それまでの無理がたたったのだった。
 私は実家に戻る決心をした。

 実家は戻ってきた私を歓迎してはくれなかった。
 好き勝手してよくも戻ってこれたものだと言われた。
 お前はクソだと面と向かって言われた。
 病んでいた私は休む場を与えられることなく、強制的に家事当番を押し付けられ、アルバイトを強要された。 
 私は両親を恨んだ。
 戻るんじゃなかったと、心の底から後悔した。
 しかし衣食住を両親に世話になるしかなかった私は、とりあえず黙ることを覚え、静かに体力の回復を待つことにした。
 この頃の記憶は非常に乏しい。
 自分で稼いでいた頃の溌溂とした私は完全に消え去り、毎日を無為に過ごし、ただ食べて糞をして眠るだけの自分に集中し、時計の針が進むのをじっと眺めているだけの日々が続いた。
 おかげで私は笑いもせず必要以上に口も開かない、しかし家事だけは無難にこなすといった、両親にとってはとても都合のよい存在となり果てた。

 いつだったか、母に言ったことがあった。
「さすがに介護はしないからね」と。
 母は言った。
「あら、それくらいしなさいよ」と。

 病んでいた私は、それでも衣食住を世話になっているから仕方がないと、ただ毎日やり過ごすことだけに集中していた。

 そんな生活が2年続いた。
 すっかり日々のルーチンに慣れていた私は、ある日を境に、ちょっとした気分の余裕から、図書館に通い始める。
 本は元々好きであった。
 私は本に触れることにより、ながらく忘れていた好奇心を取り戻してゆく。
 新聞や雑誌に触れることで、24時間繰り返すだけの時計とは違う、一方通行の本物の時間の流れを実感することが、ふたたび可能となった。
 私は徐々にではあるが、自由を取り戻していった。

 ある日を境に、私は英語と世界史の勉強を始めた。
 本屋に行って参考書を買いそろえ、一日一時間と決めてとりくんだ。
 勉強は元々好きであった。
 私は勉強を通して、かつての自由な気風を徐々に取り戻していく。
 勉強の前には、年齢も性別も富貴も関係ない。
 私の脳は十数年ぶりに、おおいに躍動した。

 そんな日々が数か月続き、私の中に、忘れていた夢が再び熱を帯び始めた。
 長く抱き続けていた漫画家という漠然とした夢であったが、なぜか私はもう漫画を描く気を失っていた。
 その代わり、イラストと小説を描きたいという気が大きくなっていた。
 私は自らの好奇心に任せて、それらに没頭した。
 創作活動の日々は、私に再びあらゆるものへの好奇心を抱かせるにいたった。
 アートは元々好きであった。
 私は十数年ぶりに、それを思い出した。

 20代の頃は短気で何事も続かなかった私であったが、大病と実家での日々は、私に何事にも期待せぬ自立の精神と忍耐強さを身に着けさせた。
 30代後半、私は自分以外のモノに期待もせず失望もせず必要以上に関心も持たない、そんな無感動な人物になっていた。

 しかし。
 人生とは分からないものである。
 ある日、そんな私に恋人が出来た。
 その人物は、私をなにかにつけ甘やかす。
 私は困るのであるが、相手はおかまいなしである。
 そんな強引な相手に、私は徐々に心を開いて行く。
 
 恋人とのつきあいがはじまってから、私はいつの頃からか、明日が楽しみになった。
 また、自分以外のモノに期待するようになった。
 とはいっても相手は生き物、気分ひとつで行動などどうにでも変化するナマモノである。
 だから結局は失望するのかもしれないが、それでもいいじゃないかと思っている自分がいる。
 そんな自分に誰より自分が驚いているのであるが、こんな感覚を抱いたのは、これも十数年ぶりである。

 いつの頃からだろうか、好きなことを数えなくなったのは。
 いつの頃からだろうか、不満を口にしなくなったのは。
 いつの頃からだろうか、未来を想像しなくなったのは。

 気づかないうちに身に着けていたそんな癖が、このごろ音をたてて剥がれ落ちていくのを感じている。 


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