みじかい小説#125『仏像』
トモエは小さく鼻から息を吐いた。
その息で、降り積もっていた木屑の山が、音もなく崩れ落ちる。
右手に持った彫刻刀で、丁寧に木曽檜を彫ってゆく。
出来はまだ三分ほど。
ペンで印をつけながら、ゆっくりと彫り進めてゆく。
トモエが彫っているのは、如来である。
いわゆる「仏陀」であるが、なぜそれを選んだかというと、一番ご利益がありそうだったからだ。
トモエが仏像を彫る理由など、果たして、そんなものだった。
トモエが仏像彫刻をはじめて、もう三年になる。
五年前、トモエは婚約者を病で亡くした。
徐々に衰弱してゆく彼を目の前にして、トモエは何もできなかった。
ある日の朝、彼は息をひきとった。
トモエはその知らせを聞いて、ああ、やっぱり私をおいて死んでしまうのか、この人は、と思った。
避けたかったが避けられなかった。
ただ、その死が、悔やまれた。
しかし、トモエは頭のどこかで、この日が来ることを予感していた。
そうして予防線を張っていた甲斐もあり、いざその当日をむかえても、トモエのダメージはそれほどでもなかった。
ただ、もう彼はいないのか、という喪失感はぬぐえず、それから二年間、トモエは自分がどう生きていたのか覚えていない。
トモエが仏像彫刻をしようと思ったのは、まったくの偶然ではなかった。
婚約者の死を前にして、トモエは「これも運命なのだ」と、自らを納得させ自分の心を守っていた。
そのせいで、トモエの心には、自然と一種の運命論が根付いたのだった。
ある日、トモエは導かれるように、仏像彫刻に手を伸ばす。
救いなど求めてはいない。
仏教をことさら信じているわけでもない。
ただ、仏像を彫ってみたいという気持ちが自然と湧いてきたのだった。
「これも運命」
トモエはそうひとりごちた。
ネットで調べ、道具を揃え、独学で動画を見ながら、見様見真似で掘り進めた。
同好の士など求めず、ただひとり部屋にこもり、ひたすらに仏像を彫り進めた。
仏像を彫り進めている間、トモエは無心になれた。
自分の呼吸すらも忘れ、ただ一心に彫刻刀を動かしてゆく。
徐々にあらわになる仏の姿には無関心のまま、トモエはただ一心に彫り進めてゆく。
気づくと、三年、経っていた。
部屋はトモエの彫った小さな仏像であふれていた。
それをわずらわしく思ったトモエは、ある燃えるゴミの日に、一気にまとめてゴミに出した。
部屋はすっかり元通り、すっきりして落ち着いた。
トモエの心も、どこかすっきりして落ち着いた。
がらんどうになった自分の部屋をみとめ、トモエは大きく息を吐く。
そうして木片を手にすると、座布団にあぐらをかき、再び一心に仏像を彫り進めた。