みじかい小説#123『坐禅』
「では、はじめましょう」
妙心尼僧はそう言うと、後ろを振り返り、五名の参加者に向かい、深く一礼をする。
季節は初夏。
まだ六月だというのに、外はうだるような暑さである。
空は朝から晴れていて、青空のところどころに、白い雲が浮かんでいる。
ときおり吹く風は鈍くなまあたたかく、じわりとにじむ首元の汗をかすりともしない。
通りからひとつ入った場所にあるこの寺までは、道行く車や人の喧騒は聞こえてこない。
板敷の廊下に並んだ五名は、尼僧が導くままに、順々に畳敷きの大広間へ足を踏み入れる。
畳の上へ踏み出す第一歩は、柱のある側の足と決められている。
五名は促されるまま四方に一礼し、あらかじめ用意してある座布団の上に、壁に向かい腰をおろす。
目の前の板敷の壁は、鼻先から2メートルほどの距離にある。
「それでは、10分間の坐禅を開始いたします。10分経ったところで私が鐘を3回鳴らしますので、それが終了の合図でございます」
尼僧の宣言とともに、開始の合図に鐘がひとつだけ、鳴らされた。
両手を軽く握り、目線は斜め下の数メートル先に落とし、五名はすうと各々坐禅を開始する。
頭の中が突然真っ白になるということはない。
考えようとしなくとも、雑念のようなものがひっきりなしに浮かんでは消えてゆく。
先の尼僧の案内にもあったように、それを無理にとらえようとしたり、消そうとしてはいけない。
ただ浮かんでは消えてゆく思念を、あるがままに泳がせておく。
そうしていると、実に様々な思念が、頭の中を通り過ぎてゆくのが分かる。
何分経ったろうか。
私はただ、そのただなかにある。
何者でもない私が、そこにただあるのを感じる。
いつしか、生じては消えていた思念は姿を消し、私は私の思念そのものになっている。
スポーツだと「zoneに入る」とでもいうのだろうか、非常に静かで穏やかな心持ちが、私を支配する。
私は自身の輪郭を忘れ、肌感覚も忘れ、すべての感覚は無意識下に落とされ、外界との境は消え、大気の一部になったように感じる。
しかし一方で、そう感じる自分の存在だけはひしと感じているのを感じる。
鐘が三つ、鳴らされた。
同時に、「お母さん」という、寺の前の細道をゆく女の子の声が、耳に聞こえていた。