
よみびとしらず #04 光 第四章 猫又
板の間に土足であがった恵敬は、講堂の中をひとめぐりした。
「良俊、どこにいる」
張り上げるも、その声はむなしく宙に消える。
良俊の手がかりはどこにもない。
恵敬が講堂内をもうひとめぐりして仲間の元へと戻ろうとした時、背後から声をかける者がいた。
「お坊様、どなたかお探しで」
若い村人であった。
恵敬とは違い足には何もはいておらず、それどころか夏の服装をしている。
自然に、鈍い茶色の、まだらに染まった衣に目がいった。
「おお助かった。人をな、探しておるのじゃ。名を良俊という。知らぬかのう。僧兵の恰好をしていて、首からは大きな法螺貝をぶら下げておる。歳のころは丁度おぬしくらいじゃ」
「ああ、そのお坊様なら先ほどここを出られました。なんでも急用だとかで、先に帰るとおっしゃっていました」
恵敬は村人の言を受け、怪訝な表情を浮かべた。
良俊にそのような用があるはずもなかった。
「それはまことか。何かの間違いではないのか」
恵敬は念を押した。
しかし目の前の村人の返事は同じであった。
恵敬は村人に伝言の礼を言い、その場をあとにした。
村の中央では村長の家に他の僧兵が既に集まっており、出立を待っているのであった。
光は、寺の門の前に立ち、村から僧兵が揃って出て行くのを最後まで見届けた後、きびすを返し講堂の広間へと移動すると、声をひそめこうつぶやいた。
「もう出て来てもようございますよ」
そうして足音を三度ほど、その場で力強く鳴らした。
直下の床下から、返事の小突きが数回聞かれた。
しばらくすると、庭に面した縁側の下から、伸びる手があった。
「やれやれ、行ったか、奴らは」
兼家はそう言うと若い僧の遺体と共に床下から這い出てきた。
「急いで片付けてしまいましょう」
続いて這い出てきた若丸が、遺体を指し言う。
光とは異なり、顔に着いた飛沫を落としていない若丸は気分が悪そうに見える。鎧についた血は、もう半分固まりかけていた。
「それでは、寺の裏に墓地がございます。そこなら丁度良いかと」
光は、不幸な経緯で命を絶たれてしまった若い僧兵を、出来るだけ手厚く弔いたかった。
光の提案に、兼家と若丸は大儀そうに、しかし仕方なしといった具合にうなづいた。
寺の西側には墓地が広がっていた。
そこには代々の村人が眠っている。
この頃の弔い方は概ね土葬である。火葬もないことはないが、土葬に比べればその機会は高位の者に限られていた。
「ここならいいだろう」
墓地の隅、更地になった場所に、兼家は僧兵の遺体を下ろした。
光は丁寧に穴を掘った。その間、若丸は浴びた返り血を落とした。兼家は途中だった握り飯を口に運んだ。
光が穴を掘り終わったころ、若丸は身ぎれいに、兼家は満腹になっていた。
「それでは、申し訳ございませんが、ここに葬らせていただきます、良俊殿」
光は、そう言うと僧兵の体をまるく折り曲げ膝を抱えた形にすると、若丸と一緒にその遺体を静かに穴の中に下ろした。
「化けて出るでないぞ」
若丸は冗談とも聞こえるそんな言葉を口にした。
土をかぶせると、三人は盛り上がった土に線香を数本さし、手を合わせた。
「悪く思うなよ」
兼家がそうつぶやくのを、若い二人は目をつむったまま聞いていた。
その脇を、床下にいたものとは別のものか、判別のつかない猫が一匹歩いていった。
僧兵とは入れ違いに、村に帰って来た次郎は、重吉とともに真っ先に寺の最奥にある洞穴へと向かった。
そこに隠れていた村人たちは、歓声でもって彼を迎え、互いの無事を喜び合った。
誰も寺で起こったことを知る者はいなかった。
「見てしまったからには書かねばなるまい」
そう、どこかから声がしたのには、気づく者すらいなかった。
深夜になり、星々が天を彩るころ、寺の裏の墓地に近づく影があった。
不思議なことに、影の主は灯りも持たずに墓石の立ち並ぶ複雑な地形をひょいひょいと通り抜けてゆく。
その足取りは迷いがなく、ただ墓地の一点を目指していた。
夜目のきく者が見ると、その影は二又の猫であったに違いない。
猫は、昼間三人が良俊を埋めた場所で立ち止まると、一心にその場所を掘り始めた。
そうして四半時後には、良俊の遺体が夜風にさらされることになったのである。
良俊の遺体は、埋められた時のままである。
猫は一息つくと、両手についた土を払い、書を持ち出した。
「それでは起きていただこうか」
そう言うと、口元で何やら呪文のような文言をにゃごにゃごと唱え始める。
すわと、良俊の顔が動いた。
瞼が波打ち、口の中におさめられていた舌がおどった。
それから顔が持ち上がると、良俊の遺体は全身で悲鳴をあげた。
その悲痛な叫びは、霊力のある者にしか聞こえない特別なものであった。
猫は思わず手で耳をおさえた。
墓地には今、猫と良俊の影しかなかった。
それを察知したのは深夜であった。
村のどこかでけたたましい叫び声があがったのだ。
朔はそれを聞いたが、同時に全身がぴりぴりと震え汗をかくのが分かった。
ただごとではない。
朔は母の顔を探した。
「朔」
その前に母が呼んだ。
母、聖子も不思議の術をたしなむ。その声は聖子にも届いていたのである。
「行ってくる」
そう言うと朔は上着を羽織り、壁にかけてある呪いの道具一式の入った袋を背負うと、急ぎ小屋を出た。
声は寺の方から聞こえた。
朔は走った。
走りながら、
「邪見ならびに全点透視」
と術を展開した。
『邪見』とは物の怪を肉眼で見ることのできる術、『全点透視』とは物の怪の痕跡を追う事のできる術である。
「あれか」
見ると寺へと続く通りに、てんてんと足跡がうすぼんやりと光っている。
近づいてよく見てみると、どうやら猫の足のようである。
その足跡は、明らかに物の怪のものであった。
と、そのとき、再び耳をつんざくような叫び声が、朔の体を震わせた。
近い――。
朔は、声のする方へ、寺の奥、墓地のある方へ急ぎ身を転じた。
墓地の手前にある土塀に、朔は張り付いていた。
月は出ておらず、相変わらず冷たい風が吹き、辺りの草木の葉をゆらしている。
叫び声は朔がその場にたどり着いてからも続いている。
朔はおそるおそる土塀の角から顔をのぞかせた。
すると叫び声のする方、ちょうど墓地の角、墓石のない場所に、小さな影が見えた。
その影は不思議の術で見る限り、猫であった。
猫が背中を向けて二本足で立っており、その尻からは二又の尾がのびてうごめいているのが分かる。
猫は背後の朔に気づいていないようであった。
朔は、いまだ響く叫び声の主を見定めようと身を乗り出した。
すると猫が覗き込む穴の奥に、その正体を見つけた。
なんじゃあれは――。
見ると皮一枚でつながれた生首が亡骸|《なきがら》を引き連れて躍り、口を大きく開け叫んでいるではないか。
猫は、それを上から覗き込む姿勢をとり、何やらにゃごにゃごと言っている。
頭の芯にまで届きそうな叫び声と目の前のその光景に圧倒され、朔はその場を動けないでいた。
朔が立ちつくしていくらか経ったころ、叫び声がふいに止んだ。
耳にはまだ残響がこだましている。
動きがあるとみて、朔はいっそうひそやかにつとめた。
しばらくの沈黙の後、どこかから声がしてきた。
見ると叫ぶのを止めた生首の口から立ち昇るものがある
朔は目を凝らした。
立ち上ったものは白く濁り人形をつくった。
その人形の煙が、どうやら猫又を見つけ、何やら語っているようである。
朔は耳を凝らした。
「こんなところで殺されては無念の極み。あの侍――若丸とやらを同じ目に合わせてやろうぞ」
朔の耳にはそんな言葉が途切れ途切れに聞こえてきた。
それに対して猫又がにゃごにゃごと言っている。
朔は更に耳を凝らした。
「協力は出来ぬぞ。こう見えて平和主義でな」
人形の目が見開く。
「おのれ、こうなっては怨霊となり憑りついてくれようぞ」
そう言うと人形は、再びあのけたたましい叫び声をあげ、ついにはその中に消えてしまったのであった。
残された猫又は、どこかから書き物を取り出し、明かりの無いなか、さらさらと何やら書いている。
朔はそこまで見届けた後、きっと姿勢を取り直し背後から猫又に近づき声をかけた。
「一部始終を見させてもらった。なぜおぬしは彼の者の亡骸を掘り起こした」
「おや、人間か。珍しくもない。立ち聞きとは趣味が悪いんじゃないかね」
猫又は背を向けたまま朔にこたえる。
その姿勢に少々苛立ちを覚えつつ、朔は続ける。
「なぜ彼を起こした。無駄な争いを生むことは分かっているだろうに」
「そうして欲しそうだったからね」
「無責任な」
「物の怪とは元来そんなもんさ」
猫又はそう言うと初めて朔を振り返り、ふうん、と一言を発したあと、どこかへ去って行った。
朔は心底震えていた。
今、目の前で起こっていることが、この先の自分たち、ひいてはこの村に大いなる災いを呼んでいるように思われたからだった。
その晩、朔は明け方になるまで小屋に戻らなかった。
猫又が開けた墓穴に再び土をかけて遺体を埋め直し、そのままふらふらとひとり物思いに引きずられ歩き回っていたのである。
「ただいま」
夜が白み始めたころに小屋に戻った朔は、寝ずの番をしていた聖子に短くそう言うと、そのまま布団に入った。
いつまでもあの叫び声が鳴りやまない気がして、朔は耳を両手で覆って無理に意識を遠くへ飛ばし寝入ったのであった。
翌朝はよく晴れた日となった。
天を貫くような雲一つない晴れ具合で、風は冷たいものの、朝から洗れた衣類等が村中にはためいた。
しかし穏やかでいられない者等があった。
兼家、若丸、光の三名は、行き掛かり上、寺の講堂内の広間で、病人たちに囲まれて夜を過ごした。
「おはよう」
ひとり朝早く起きた光が、起き出した若丸に声をかける。
「おはよう、よく眠れたか」
同じくらいの歳ではあるが、侍の矜持もあり若丸の光に対する口調は威圧的である。
「あんまり」
「おい、うるさいぞ」
まだ寝ている兼家が声を荒げる。
「兼家殿は朝が弱くていらっしゃる」
「悪いか」
光と若丸が顔を見合わせ苦笑いするのを兼家は一瞥して再び目をつむった。
兼家を起こさぬように、光と若丸は二人でそっと講堂を出た。
「講堂の脇に井戸がある。そこで顔を洗うといい」
「そうか、ありがたい」
若丸は侍らしく、髪の毛をきれいに結んでいた。井戸に着くとそれを解き、腰を曲げ頭に水を浴びせた。
季節は冬である。
「何をしておる。冷たいだろうに」
見ていた光がなかば悲鳴のような声をあげる。
「昨日の血がな、完全には落ちておらぬのよ。それがどうにも気持ちが悪くてな」
若丸はそう言うと、桶を持った手で水を頭にかけながら、反対の手で頭をがしがしと叩いた。
しかし、良俊という僧兵を殺してしまい、おかしな縁が出来てしまったものだ――。
若丸が頭を洗い終わるのを待ちながら、講堂の突き出した縁側に腰かけた光は、内心ひとりごちた。
この村はいま、侍二十名をかくまっている。
これは異常事態だ。
いつまでも彼等をこの村に置いておくわけにはいくまい。
この先彼等がどう出るのか。
先々のことは村の大人衆が決めるのであろう。若衆としてはそれに従うのみである。
しかしそこへもってきてあの僧兵の死体である。
「やっかいなことに巻き込まれたのう」
光はひとり、頭をかかえるのであった。
そこへ声をかけた者がいた。
「光殿ではありませぬか」
そう呼ばれ、光はかぶりをめぐらした。
見ると寺の童女が立っていた。
昨日、侍たちに人質にとられ洞窟の最奥に閉じ込められていた寺の関係者である。
「おお、安子殿ではないか」
そこだけ花が咲いたように感じられて、光は思わず破顔する。
十にもなろうという少女は、大きな竿を肩にかけ、その両側に桶をぶらさげている。
「昨日は大変な目にあいましたのう。井戸に御用でございますか」
光の問いかけに、安子はぶらさげていた荷を置く。
「本当におそろしうございました。でも皆さまのお働きでこのように無事に寺に戻れました。はい、井戸には水をくみに」
そう言いながら安子は、影になっていた渡り廊下から足を踏み出し井戸の見える場所まで移動した。
しかし、ある場所まで進み、すっと足を止めた。
安子は目を見開き視線は井戸へ向けたまま、顔だけ光にゆっくりと向ける。
安子が足を止めた場所は、ちょうど井戸が見える場所であった。
「光どの、あの方は――」
安子の声に、光は井戸へ目を向ける。
井戸の脇では若丸が褌一丁になり、水を浴びていた。
侍というだけあり、その肉体は筋でかためられ無駄がなく、それ以上に隙が無かった。
安子の声に、若丸が手をとめこちらを見やる。
二人の視線がかち合う。
光の顔が青ざめた。
「ああ、あれは例の侍じゃ。儂の知り合いじゃ。大丈夫じゃ。問題ない」
光はよどむことなく早口で一気にまくしたてた。
安子の表情はかたいままである。
「そうでございますか。ではまた後程まいります」
つとめて無感動にそう言うと、安子はその場で体を反転させ、再び渡り廊下の影に入りそのまま姿を消した。
それを見送って、光は若丸に向き直る。
「若丸殿、少しは自重していただきたいものじゃが」
「仕方あるまい。あのままでは気持ちが悪かったのじゃ。あの者には目の毒じゃったのう」
そう言うと若丸は桶を持ち直し水を一気に体に浴びせかけた。
そうしてかっかと、ひとり笑うのであった。
若丸の体に異変が現れたのは、昼餉をとってすぐのことであった。
この頃の食糧事情は当然今とは異なっており、とくに衛生状態がよろしくなかった。
腹痛など日常茶飯事であり、それに伴う吐き気もよく起こるものであった。
このたびも若丸は吐き気をもよおし、一人厠へこもっている。
「なあに、悪いもんでも食ったんだろう、気にすることはないじゃろう」
というのが、兼家の見立てであった。
光は縁側に腰かけ、昼餉でふくらんだ腹を手でさすりながら、そういうものかと思っていた。
光の場合は、毎日食べるものも食べる時間も同じようなものであるため、腹痛とは無縁であった。
それは村で名医で通っている聖子が、常日頃から何でもあたためて食べるがよいと説いてまわっていた効用でもあった。
「出すものを出せばけろりと治ろう」
兼家は続ける。
「あなたには同情心というものが無いのですか」
兼家のあまりの物言いに、光がぴしゃりと畳みかけた。
「ねえなあ」
兼家はそう言うと小便をしていた庭の隅から縁側へ移動し光の隣に腰を下ろした。
「あなたという人は」
光は所在無げに空に目をやる。
陽光は眩しく、天高く飛んでいるであろう鳶の声が遠くに聞こえる。
「だいたい、兼家殿が悪い。なぜ殺す必要があった。生け捕りにする手があったではないか」
光は誰に言うでもなくひとりごちた。
突然の断罪に、兼家はおもしろくなさそうに答える。
「けっ。知るものか。なんじゃ、守ってやったのに礼の言葉も無しか」
「兼家殿には感謝しているよ」
そう答えたのは青い顔をして登場した若丸である。
「どうじゃ、具合は。少しは楽になったか」
光は半身を起こして若丸に向き直る。
「だいぶ悪いのう。出すものは全部出したがそれでも寒気がする」
「どれ、日の光に当たるがよい。体があたたまってよいぞ」
光は若丸を縁側に招いた。
「けっ。お姫様じゃねえんだぞ。ほっときゃ治ろうよ」
その物言いに、光は無言で抗議する。
「兼家殿、光殿も、迷惑をかけて本当にすまない。しかし罪もない僧を殺してしもうた。我々はどうすれば……」
見ると若丸は息も絶え絶えである。目は半開きで、焦点が合っていないように見える。ろれつもろくに回っていない。意識がはっきりしないようである。
光はだんだんいらいらしてきた。
「そのことか。若丸殿が気に病む必要はない。今は体を楽にされるがいい。何もかも、悪いのは兼家殿じゃ」
光は空に向かい言い放った。
「いや、発端は僕だ」
若丸は柱によりかかったまま苦笑いと冷や汗を浮かべた顔でこたえる。
その様子が、光はどうにも気に入らなかった。
「あのままなら若丸殿がやられていた。それを考えぬ若丸殿は阿呆だ」
光の語調に嫌味がにじむ。
「なんだって」
若丸は思わずうなる。
「うるせえなあ、死んじまったもんはしょうがない。あとはうまく隠すだけだ」
二人のやりとりに割って入る形で兼家がぴしゃりと言った。
「兼家殿には情や罪悪感というものが無いのか」
「ねえなあ」
兼家は、今度はひらひらと手をはためかせ、光の言葉を蹴散らした。
そのやりとりでさらに滅入ってしまったのか、夕方には若丸の体調が急に悪化した。
年寄り連中は怖がって誰も立ち入らない寺の一室で、光は若丸の看病を買って出ていたが、とうとう手に負えなくなった。
若丸のあぶら汗が止まる気配をみせず、熱は高く、全身で震えているのである。
「こりゃあ聖子のおばさんに診てもらった方がよいな」
そう決め込んで、陽が高いうちにと、光は若丸を背負い、ひとり聖子の家へと移動した。
「よく連れてきたのう」
若丸を診た聖子は、第一声にそう言った。
「これはたちが悪いぞ」
「昼間から震えが止まらんのじゃ」
聖子の背後から、光はおびえたような顔で、横になりうめいている若丸の顔を覗き込む。
「若丸殿はなんでも気に病みすぎる。侍のくせに優しすぎて真の見えぬ阿呆なんじゃ」
まるで紹介をするかのような光の物言いに、聖子は思わず笑って返す。
「阿呆で結構、病人は病人じゃ。連れてきたものは仕方がない。ここで診るぞ」
聖子はそう言うと追加の湯を求め、土間に降りて甕に向かった。
「それにな、これは人の世の理から外れた者の仕業かもしれぬのじゃ」
聖子は、背中を向け、そうぽつりと付け加えた。
光はそれを受け、なんとはなく例の死体を思い出していた。
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