
よみびとしらず #01 初春 終章 それから
圭子は博子の家にいた。
家の者には呪師だと言って通してもらい、博子の部屋に来ていた。
圭子が博子に会うのはこれが初めてであった。
二人の関係を紐解くには、時を四十年ほど戻さなければならない――。
圭子は但馬の国のとある村の出であった。
幼いころより、よく家の仕事をし、よく働く娘であった。
十八の頃に村の名主(みょうしゅ)の若旦那に娶られ、嫁ぎ先でもよく働くことで村では評判であった。
ところが、である。
ある日のこと、いきなり大勢の烏帽子が押しかけてきて村の田畑に印をつけ所有を主張したのであった。
勿論、名主である若旦那は一部の村人とともに反対をした。
しかし年貢を安く済ませることが出来たので、多くの村人は烏帽子側についたのであった。
毎年の年貢が年々減っていく中で、若旦那は病に倒れてしまった。
圭子は必死に看病したが若旦那はそのままかえらぬ人となってしまったのである。
圭子は恨んだ。
そして縁のあった術者に頼み弟子にしてもらい必死に呪術を習った。
そうして烏帽子等に復讐を誓ったのである。
まず調べたのは烏帽子等の出自であった。
それは簡単に調べる事が出来た。
彼らは京の都の公家の遣いであった。
更に調べたところ、博子という女の名が浮上した。
村の田畑は、この博子という女のものになっているらしかった。
圭子は上京を決意した。
年は四十になっていた。
上京した圭子は、博子について調べ始めた。
衣食は死臭ただよう右京の端にある妙蓮寺に世話になった。
呪により浮かび上がった人相を人相書きに起こし、日々方々を訪ね歩いた。
初春と出会ったのがこのころである。
その初春に、他でもない博子の死を告げられたのである。
愕然とした。
この目で見ねば信じられぬと、家を訪ねた。
そうして今、圭子は博子の遺体の傍らにいるのであった。
「『全点透視』」
圭子は周囲をくまなく見まわした。
なるほど博子を周囲から責めるように物の怪の跡がくっきり残っていた。
部屋の内側には坊主由来の呪が所せましと施してある。
庭にも坊主が残したであろう『入り口』が拵(こしら)えてある。
「さあてそろそろかの」
圭子がひとりごちた、その時であった。
辺りに暗雲が立ち込め雷が鳴り始めた。
『入り口』を誰かが生身で通過しようとしておるのである。
圭子は凝視した。
『入り口』から人間の指が見えはじめた。
それはやがて袖となり銅となり顔となり足となりして出てきやった。
「ふぅ」
大きく一呼吸し『入り口』を通過してきたのは、頼明であった。
這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)である。
頼明が圭子に気づいて声をかけた。
「おや、どちら様でしょうか」
「知らぬでよいことよ」
圭子はぴしゃりと言う。
「初春殿に取り付けた『遠耳』により話は大体聞かせてもらった」
『遠耳』とは離れた場所のやりとりを聞く呪である。
「お主等が、正しくはお主に先導された坊主等が博子殿を手にかけたのじゃな」
「ならばどうする」
頼明は余力を振り絞りつつ苛立たし気に老女の相手をしている。
「お主をやるまでよ。いでよ……」
言う前に、老女は頼明の刃にかかっていた。
「霊力が底をついてもこのくらいのことは出来るものよ」
老女が息を継ぎながら言う。
「しょせんこの世は……くだらねぇなぁ」
それが圭子の最期の言葉となった。
頼明は圭子に一瞥を投げ、その場から姿を消した。
初春の傷はだいぶ癒え、もう一人でも歩けるほどになっていた。
「『人結界』、いでよ『水龍』、『ぬりかべ』召喚」
日々の訓練も再開し、連続した術を繰り出せるようにもなっていた。
「なぁ初春、今日だったか『妖界』へ行くのは」
訓練をさぼりながら竹丸が問う。
「そうだね、あれ以来きちんとした挨拶もしてないから」
「律儀だよね」
夏宮が言う。
忠行様の遺体の件もあり、晴明とこの二名と玄庵は、事態が収まってからも頻繁に妖界へ出入りしていた。
「二人は行かないの」
「行く行く」
「晴明様と玄庵も誘おうか」
「そうだね」
そういう訳で午後から大所帯で妖界へ赴くことになったのだった。
各自牛車に乗り、死臭ただよう右京を横切ってゆく。
もう各々慣れた様子で口元を布で抑えている。
豪奢な牛車が寂れた妙蓮寺に横付けされる様はどこかおかしかった。
そう思える余裕も、初春には戻りつつあった。
四脚門をくぐり、まっすぐ講堂へと向かう。
講堂の正面では古狸の住職が、人の姿で出迎えてくれていた。
「お久しぶりです初春殿」
「住職様もお元気そうで何よりです」
「では参りましょう」
住職がそう言うと、一行は講堂裏の杉林へと足を向けた。
以前この注連縄をくぐったのはいつだったか――。初春は感慨深げに杉の大木に空いた穴に目をやった。
『妖界』へと降り立つと、早速烏天狗と狐めが待ち構えていた。
「おお初春殿、元気そうで何よりじゃ」
「傷の調子はどうじゃ」
「おかげ様でここまで回復しております。いでよ『木霊(こだま)』」
初春の周囲にふわふわと浮く白い影が現れた。それが『木霊』であった。害は無く、何か尋ねると尋ね返してくるという。
「おお」
物の怪一同はその回復ぶりに驚いた。
「本日は初春殿の快気祝いじゃな。他には何がでてくるんじゃ」
そんな冗談を言う物の怪もあった。
しかし本日の目的は他にもあった。
頼明の件である。
顔合わせが済んだ一行は講堂、もとい屋敷へと向かった。
今度は忍び込むのではないので堂々と入って行った。ただし案内は同じく狐めであった。
いくつかの角を曲がり襖を開けると、そこには人数分のお膳が用意された部屋が現れた。
「今日はゆっくりしていってくれい」
烏天狗が言う。
「ではお言葉に甘えて」
晴明が代表でこたえる。
皆、指示を受け席へ着いた。
ささやかな宴の始まりであった。
「早速じゃが、頼明はどうなっておる」
変化を解いた住職が口にものを運びながら誰にでもなく問うた。
「あれ以来姿を見せませんね」
「何でも最後に跡が確認出来たのは藤原博子様の部屋だという」
「博子様の部屋には圭子殿という老婆の遺体があったそうな」
「まだ博子様の部屋の庭には坊主等の開けた『入り口』が口を開いておったな」
「圭子殿は『入り口』を通り逃げおおせた頼明にやられたとみて間違いはなかろう」
「そこから先の頼明の所在が一向につかめん」
「一体どこへ行ってしまったのか」
一同が唸った。
「まま、ここで考えておっても拉致のあかぬ話。話題を移そう」
「では私からよいでしょうか」
初春が問う。
視線を受けた住職が頷く。
「なぜ住職様は最初からお一人で戦おうとなさらなかったのですか」
「そのことか……」
「私も聞きたい」
「確かに」
「まぁ待ってくれ。実はこちらにも事情があってな、話せば長いんじゃ」
にわかに焦る住職に、皆が興味津々で耳をそばだてた。
「儂は頼明に騙されての、より物の怪にとって暮らしやすい世界となるよう力を貸すと言われその言葉にのってしまったんじゃ。そして頼明のために儂の率いる物の怪一同が力を使うという、特別な契約を結んでしまったんじゃ」
一同がうなずく。
「それで気づけば寺ごと乗っ取られてしまっておってのう。そんなところへお主等が来たんじゃ。これはしたりと思うて妖界へ誘おうたんじゃ。うまくすれば頼明をどうにかしてくれるかもしれぬと思うてのう。結局は忠行殿の『全解除』に救われたんじゃが。力を貸したのが遅くなったのは様子を見ておったからじゃな。頼明をどにかしてくれるかもしれんと思っておって」
「住職様も大変だったのですね」
初春が言う。
「それにしても力を貸すのが遅かった節がある」
「そこは責めんでくれい。こちらの事情もあってのことじゃ。また人間と絡んで嫌な思いをするのはごめんだったのじゃ」
「なるほど」
晴明が腑に落ちたとばかりに数度頷いた。
「いつかまた何かあった時には必ずイの一番に駆けつけよう」
「ややっ、約束ですな」
「約束でございまする」
こうして、晴明等と物の怪等との間で、新たな約束が結ばれたのであった。
寮に戻った初春は、今度こそ姫君に会いに行かねばと思い竹丸に打診した。
「前回は俺が邪魔をしてしまったからなあ。今度は万事うまくいくはずじゃ。頑張れよ、初春」
未来の兄からおかしな応援をしてもらい、初春は夜をむかえた。
月明かりの明るい夜で、初春の影が青白い世界に伸びていた。
「こんばんは、初春でございます」
そう言って初春は几帳に手をかけた。来訪は二度目である。
姫君はすぐそこに座していた。
「こんばんは、初春様」
傍らの文机には初春の送った和歌と花とが広げてある。
そうしてやはり香りは沈香(じんこう)に|甘松(かんしょう)を混ぜた、品の良い甘い香りであった。
まるで何もかもがあの日であるかのような錯覚を覚える。
「ささ、中へ」
姫君が中へと誘う。
初春は姫君の手を取りそのまま几帳の中へ入って行った。
初春が姫君の傍らに座ると、お互いに目が合いくすりと笑った。
「初春様、傷のお加減はいかがでございましょう」
「もうだいぶ良くなりました。姫君にいただいた銭のおかげで命拾いをいたしました」
「銭?」
「小袋に入れてくださった、あの銭でございます」
「ああ、あの。あれは市場には出回っていない特別な銭なのですって」
「そういえば聞いたことがあります」
「近習に教えてもらいました」
「なるほど、姫君は勉強熱心でいらっしゃる」
「まぁ」
二人してころころと笑った。
そうして雑談をしているうちに時は一刻、一刻と過ぎていった。
二人で揃いに寝ころんでからも部屋の中の声は途切れなかった。
竹丸の兄貴の応援もあってか初春と姫君は二人で甘い夜を過ごした。
明け方、夜が明ける前に退出するのが習わしであるため、初春は習わし通りに姫君に別れの挨拶をして部屋を後にした。
帰り道、牛車の中で初春は歌を認めた。
夜が明けきってから姫君に送る歌であった。
その内容は、夜の月にからめた今後の恋の発展を予感させるものとなった。
このようなやりとりを通じて、数か月後、初春と姫君は婚儀を迎えるのであった。
しかし数か月後のある日の事である。
初春がいつものように出仕し、晴明と保憲が仕切る朝礼に参加していると、廊下の向こうから見慣れた人影が姿を現したのである。
それは他でもない、頼明であった。
「おのれ、何をしに来た」
初春が声を荒げる。
それを晴明が制した。
「おやつれない。無事の挨拶くらいしてもよかろうに」
頼明は相変わらずであった。
「無事、舞い戻ってまいりましたので今後ともよろしくお願いいたしまする」
頼明はお辞儀をし言い放った。
「もうその辺でよかろう頼明殿。行ってくだされ」
そう晴明に促され頼明は退出した。
「どういう事でございますか」
初春は晴明と保憲に迫った。
「どうもこうも。先日ふらっと顔を出したのじゃ。そうしてまたよろしくと言われてしもうての」
「あれだけの事をしておいて何故捕らえないのです」
「証拠がない」
そう言われてしまえば初春はぐうの音も出ないのであった。
「俺のところにも挨拶に来たぞ。また世話になるからよろしくと言っていた。身内が雇ったのだから何も言えなかったが」
竹丸が言う。
「気味の悪い男よ。念のため方々へ遣いを出し知らせておいたがの」
『方々』とは、玄庵と古狸の事である。
「忠行様の事を忘れたわけではない」
晴明が諭すように言う。
「何にせよ戻ってきたのじゃ。当面はそれなりに付き合ってゆくしかあるまい」
胸にざわつくものを抱えながら、各々が了解の返事をした。
初春は再び右京へ出向く。
九相図の作成のためである。
あたりの死臭を口元の匂い袋で誤魔化し、いつものように筆をとる。
いつものように筆を走らせるが、いつもとは違った。
忠行様の不在が、頼明の健在が、姫君との婚儀が、もう以前のようには戻れない事を示していた。
それでも初春は筆をとる。
変化を筆にまかせ、今日も初春は一心に筆を走らせるのであった。
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