
よみびとしらず #02 音若 第三章 わかれ
晴明と頼明の戦いは三日三晩続いた。
晴明の霊力が尽きると次は保憲の番であった。
保憲との戦いは二日二晩続いた。
康親との戦いも二日二晩続き、次いで義則は一日一晩、夏宮も一日一晩続いた。
合間に食事と睡眠の時間を挟みながらではあったが、戦いは約十日も続いた。
そうしてやっと頼明は息をきらせてきたのであった。
げに恐ろしきは頼明の霊力であった。
十日目、晴明は自陣の様子を見やって狸殿に持ち掛けた。
「狸殿、我等はここまでにございます。後はそちらでよしなに」
「あい分かった」
かつての戦いでも最後に頼明を追い詰めたのは狸殿であった。
「では、参る」
「はっ。そういうことだろうと思ったわ」
頼明が小さくぼやいた。
かつての戦いでは狸と頼明の力は互角であった。
今回は違う。頼明の力は、通常時の十分の一にも満たない状態である。
頼明としては逃げの一手を必死になって考えざるを得なかった。
「いでよ『百鬼夜行』」
狸はこれでけりをつけるつもりであった。
百鬼夜行の物の怪達は、皆かつて狸に調伏された者たちであった。
狸はかつて、百鬼夜行ごと調伏をしていたのである。
げに恐ろしきは狸の霊力であった。
百鬼夜行が頼明に向かってなだれ込んでいく――。
頼明は必死に人結界を拡張しうずくまっていた。
百鬼夜行は暮方から明方まで続いた。
百鬼夜行が終わるころには、頼明を内包した球状の人結界は、頭まで地面にうわっていた。
頼明の粘り勝ちであった。
「なんと。これをしのいだか」
狸が舌を巻いた。
「しかし次で終わりじゃ。いでよ『奏』」
奏は音若の隣で座りながら一緒に観戦を行っていた。
しかし召喚がかかったのであった。
奏もまた、狸に調伏された身であった。
「じゃあ、行ってくるね」
奏はすっくと立ちあがり、その姿を消した。
音若は何が起こったのか理解できずにいたため、隣にいる康親に説明を求めた。
康親は多分こういうことだろうと説明をしてくれた。
「奏がそんな強いとは」
それは音若でなくとも驚くべき点であった。
「奏、龍笛じゃ」
「はい狸殿」
奏は言われるがままに龍笛を鳴らした。
すると頼明の人結界がぱりぱりと音をたてて崩れ落ちた。
「いでよ『百鬼夜行』」
奏の龍笛が鳴り響く中、再び百鬼夜行が現れた。
百鬼夜行が頼明めがけてなだれ込んでゆく。
頼明は逃げるほかなかった。
自身に『浮遊術』をかけ逃げること半時、ようやく百鬼夜行をまくことに成功した。
頼明はとある屋敷へと近づいていた。
それはかつて頼明が逃げ道に使用した『入り口』を持つ屋敷であった。
まだ『入り口』が使えるかどうかは不明であったが、念のため寄ってみることにしたのであった。
庭にうっすらと獣道のようになった『入り口』があった。
「ぎりぎり通れるか」
頼明は浮遊術をかけたまま、『入り口』を通ってみた。
結果、かなり抵抗があったものの無事通ることができたのであった。
人界に移った頼明は、這う這うの体で自邸に戻った。
そうしてやっと、ここまで追い詰めた陰陽寮の面々や物の怪共への憎しみが湧いてきたのであった。
遊びにのったのは自分であったが、今回の遊びは少し度が過ぎていた。
自分の命が削られる寸前だったのである。
そのような目にあわせた連中を決して許すことは出来ない。
頼明は珍しく我を忘れていた。
そうしてそのまま眠りに落ちていったのである。
通常の生霊は本人の意識のないままに現れる。
しかし陰陽師ともなると、自在に生霊を操ることが出来るのであった。
頼明は眠りに落ちるやいなや生霊となり、一路康親邸へ向かったのである。
康親邸では、康親の妻の宮子が歌を詠んでいた。
傍では乳母が幼子に乳を与えていた。
康親は宮子が一人になったところを狙った。
「お初にお目にかかります。頼明にございます」
「ひえっ。い、いきりょうじゃあ……」
宮子は腰を抜かしてしまった。
「お命、頂戴いたしまする」
「ひ、ひええええええっ」
宮子は必死に抵抗した。
しかし相手は生霊である。しかも物の怪をも相手にする頼明の生霊である。抵抗のしようがなかった。
宮子は人知れず、奥の間にて一人、息絶えたのであった。
さてそうとは知らぬ康親ほか、陰陽寮の面々は、狸殿が頼明を追い詰めたのを頼もしく思いながら観戦しておった。
しかし百鬼夜行が頼明を逃してしばらく、狸殿が叫んだ。
「頼明は妖界から逃げおおせたぞ。人界じゃ。人界に逃げた」
物の怪の大将たる狸殿にはそれが分かるのであった。
「なんじゃと」
かつての戦いそのままであった。
あの時は頼明は義則の縁者の屋敷にある『入り口』を使ったと聞く。
もしやこの度も。
義則がそれを口にした。
「行ってみよう」
晴明以下、陰陽寮の面々は、義則の縁者の屋敷へ赴いた。
するとそこには、かつてほどの規模は無いにせよ、しっかりと『入り口』が口を開けていたのである。しかも最近使った跡があった。
「頼明は十中八九、この『入り口』を使いましたな」
「ええ、間違いないでしょう」
「では我々はここから頼明を追ってみます。狸殿はまた」
「はい、ここでおさらばいたします。ご武運を」
頼明を追って、陰陽寮の面々は、その『入り口』から人界へと降り立った。
頼明は浮遊術を使ってか、足跡は見られなかった。
「自邸へ戻っているのでございましょうか」
「おそらく。そうなると手は出せまいな」
そういう訳で、皆ここで解散ということになった。
そうと決まれば康親は早く帰って妻の喜ぶ顔でも怒る顔でもいいので見たいと思うのであった。
しかし。
康親を待ち受けていたのは、家の前で右往左往する家の者の姿であった。
話を聞くに宮子が息をしていないという。
急ぎ宮子の元へ向かった康親の脳裏に頼明の笑みが浮かんだ。
「宮子っ」
かけながら康親は妻の名を呼んでいた。
そうして亡骸の元へたどり着いた康親は、まずしっかと妻を抱き言うのであった。
「すまぬ、すまぬ……」
居並ぶ家の者から嗚咽がもれた。
妻を抱きながら泣きに泣いていた康親は、少し落ち着きを取り戻し涙をこらえ鼻をすすりながらこうつぶやいた。
「『邪見』ならびに『全点透視』」
そう言ってあたりをくまなく見据えたのであった。
すると見えてきたのは生霊、それも頼明の生霊であった。
激しい憎悪の面をしている。
これに、これに妻はやられたのか。
康親はいたたまれない気持ちでいっぱいになり、更に泣きに泣くのであった。
しばらくして知らせを聞いた義則と夏宮が飛んでやって来た。
室内の中央、四方を几帳で仕切られた中で妻を抱き嗚咽をこらえず泣きに泣く康親の声を聞きながら、二人も涙をこらえきれず共に泣くのであった。
翌日、音若の元にもその知らせは届けられた。
「なんということじゃ」
夕刻、いつもの通り道で頼明をつかまえた音若は開口一番こう言った。
「おぬし、宮子様を殺めたであろう」
「ほ、ほ。次はどのような噂を立ててくださるのやら。しかしそれはちと冗談が過ぎまするぞ音若殿。何の証拠もなしに人殺し扱いなどとは」
柔和な物腰とは裏腹に、頼明の目だけはちっとも笑っていないのであった。
それを見た音若は、諦めに似た境地を味わった。
私にはどうすることも出来ぬ。
音若は震え、その場で涙した。
「お泣きになるのはお一人で出来まするな」
頼明は懐紙の束を音若に強引に手渡すと、すたすたと来た道を進んでいった。
音若はその場に崩れ落ち、泣きに泣いたのであった。
その夜、女子の元へ通う音若がいた。
「今日は思い切り吹かせておくれ」
目を腫らした音若がそう言うと、玲子はこっくりとうなずき脇へ寄るのであった。
晩秋の空を、笛の音が赤く染めていった。
いいなと思ったら応援しよう!
