みじかい小説#162『かけっこ』
ある運動会で、ケンジはクラス代表で100m走に出ることになった。
わらわらと、スタート地点に各クラスの代表が並ぶ。
ケンジもそこに混じる。
グラウンドに引かれた、足元の白いラインを見る。
右足のつま先をそこに合わせる。
左足は肩幅に開いて後ろでふんばらせる。
もう既に体中があつい。
季節は五月、校庭に立ち並ぶ木々はみな青々としている。
薫風がケンジの顔をなでていく。
「ようい」
ラインの内側で教師が叫ぶ。
ケンジと同じようにして「ようい」の構えをとる他のクラスの代表は、みな緊張しているように思える。
ケンジはしめた、と思う。
ピストルの音が鳴った。
同時に場内からいっきに歓声があがる。
各クラスの応援団が湧きたつ。
各走者いっせいに地面を蹴る。
しょっぱなからもたつく者、スピードにのる者、様子を見る者、さまざまだ。
ケンジは三等で駆け出した。
ぐんぐんとスピードをあげてゆく。
場内の歓声はいよいよ増す。
心拍数はあがり、息がきれる。
集中しているため高鳴っているであろう鼓動は聞こえない。
すると、前を走っていた第二走者の足が空をきった。
両足がからめとられるようにもつれる。
第二走者はそのまま前のめりに転がった。
しめた――。
悪いとは思いながら、ケンジは思った。
今のうち――。
転んだ第二走者のそばをケンジが走り抜ける。
目の前、3m先には第一走者の揺れる背中が見える。
すぐそこだ。
手を伸ばせば届く距離。
いける――。
ケンジは足の回転をあげた。
力いっぱい地面を蹴る。
体全体で風をきる。
第一走者との距離がぐんぐんと縮まる。
もうすこし――。
ケンジが第一走者を追い抜かそうと彼の肩を後ろから見る形になった時だった。
再び、ピストルが鳴った。
こんどは二回。
それはゴールの合図だった。
第一走者がゴールテープを切ったのである。
ケンジは第二位。
――もう少しだったのに。
はずむ息を整えながら、ケンジは第一走者の姿を目にとめる。
スタートの違いか、フォームが違うのか、そもそものセンスが違うのかは分からない。
けれど率直に言って、悔しかった。
もう少しだったのに。
もう少しで、俺が一位だったのに。
ケンジはその場に体育座りになり、抜けるような青空を仰いだ。
ケンジの額から、大粒の汗が流れていた。