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韓国ワーホリ生活 23

相変わらず、チャは夜になってもいなかったり家にいる時はビデオチャットにつきっきりだったり。僕はお父さんと犬とテレビをみている日々だった。

仲間にも合えないし、ずっとこうしていてもなあと思い始めた。

金曜日にシンチョンに行くと先生は、生活はどうなんだといつも聞いた。

こんな感じですねと話すと、そうなるのは目に見えていたよと先生。いつでも戻って来いという。

それからしばらく考えて過ごしたが、やはりチャと何にも関係ないのにいてもなと思い、出る事にした。

お父さんに、出ようと思う旨を伝えた。晩にお父さんとゴミ出しに行く時だった。そうか~、しっかりな~という感じだった。翌日だったか、翌々日だったかに出ると伝えた覚えがある。礼儀的にどうかとも思ったが、いなくても困らないだろうし何より、チャに知れると罵ったり引き留められたりするのだろうなと思ったのでそうした。

それで当日、花子に借りて置いた大きいスーツケースと自分の小さいスーツケース(ミレーの60リットルのバックパックを持っていたが、ソンギさんに借りパクされて代わりに預かっていた小さいスーツケースが残っていた)をパンパンにして出た。両手で引いて凄く重かったけど、いざとなれば人間出来るもんだなと思う。

案の定、荷物を纏めている時にチャに、お前はひどい奴だの恩知らずだの言われた。お父さんがあんなにしてくれたのにとかやたらお父さんがって言っていた。勝手に出ていけばいいじゃない!とか言って。はいはいとかわしておいた。

玄関を出る時に腕をつかまれたが振り切って階段を下りた。

逃げると気分的に恐怖感が出たが、玄関から先へは追ってこなかった。

韓国のバスは運転が粗いから、30分くらいかけて歩いてオイド駅へ行った。

やっとという感じでシンチョンに着いた。ほっとしたからか、最後の登り階段の時に荷物がやたら重く感じた。

先生の所に行って、部屋の鍵を貰って先生の部屋に荷物を置いた。その頃には僕が住んでたハスクに借りてた先生の部屋は解約していた。

それからは、寝場所は先生のマンションの部屋だったり、J-STATIONの教室だったりで過ごしていた。まだ寒い冬で汗をかかないので、3日に一回位で教室の水道で頭と足を洗っていた。大分冷たかった。

週に1回位シャワーをした。先生の部屋だったり、花子のハスクだったり(前僕が住んでいたとこの近くに越していた)、ゆうちゃんという女の子にも一回借りた事があった。ゆうちゃんの部屋に行ったら入れて貰えず、隣に空き部屋があってそこで勝手に使えと指示された。ゆうちゃんらしいなと思った。風呂を出たら、ハスクの台所からくすねてきたキンパプを出してくれた。

その頃には、大山と同じハスクの浜崎みかと仲良くなっていて、良く飲みに行った。ななさんが来る時もあった。ななさんとみかちゃんは同じハスクで仲が良かった。

みかちゃんは韓国の男性とつきあっているのだけど、何だかうまい事ふりまわされてるようで、その愚痴を言っていた。お互いにそんな感じの話をぐだぐだ言っていたけど楽しかった。ゆうちゃんがホンデの招き猫という日本料理(一応という感じだが。店長韓国人だし。)居酒屋でバイトしていて、人が足りてないというので紹介した。

その後、みかちゃんはそこでバイト続けて、ゆうちゃんは早々に辞めていた。

一度か二度行った。日本ぽいかというと何か違うけど、雰囲気は自分にとって落ち着く感じだった。

ホンデに初めて行った頃にカクテルソジュとムール貝の蒸したのを食べた覚えがあるので、夜のホンデというと勝手にそのイメージが湧いてくる。ムール貝は韓国でよく食べられている。カクテルソジュはカクテル焼酎で、フルーツジュースと焼酎で割ったもの。

アジョシは週に1~2回位しかシンチョンに来なくなっていた。酔っぱらって階段でひっくり返ってケガしたりしてたからだった。時々怪我していた。なので大山はおっちゃんと飲むと、一緒に階段を下りてタクシーに乗るまで見送っていた。

その頃の大山は夕方になるとバッティングセンターへ行くのが日課だった。

僕は先生と、教室のすぐそばの食堂のオッケドムで晩御飯食べるのがほぼ日課だった。

つづく。。。

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