客観視してからの気付き
昨日スペースでも話したんだが、身近な友人が私の母親と同じ理由で育児鬱を経てネグレクト、虐待加害者になり、精神科病棟に入院することになった。
私の昔の家庭事情を親身に心配してくれたり、その友人のご両親が私の家庭事情を親身に相談に乗ってくださったりしたので、その分ショックが大きかった。
こういう現象が起こりやすいのか、母親は女の子が生まれた時点で嫌悪感を示してしまう現象が起こりうるのか。
私はどちらでも良かったけど、女の子と分かって逆に少し嬉しかったかもしれない。男の子でも嬉しかったけど‥
生後半年でその子だけ祖父母の家庭に預けられて、家族の「不幸の元凶」とか言われたり、二人目が可愛くないから三人目を作るとか言ったり‥
上のお兄ちゃんは可愛いし大好きだけど
その子(妹)は愛せない
二人目が可愛くないから三人目を作りたい
って言葉をはっきり言われた時、自分の母親の言葉がフラッシュバックしてしまった。
私も言われたからよくわかる。
お前なんか生まれなきゃ良かった。
お前が生まれてからあの家は終わった。
なんで前妻と顔が似てるんだ。性格まで似てきたんだって。
逆に友人も育児鬱を経てこうなってしまったので、怒ることもできなくて‥私が単純に昔の自分とその子を重ねてしまい悲しい気持ちになっている。
できれば自分と同じ思いをする子は私で最後にしたいって、今の若い子どもたちにこんな思いをさせたくはないって気持ちが強かった分、
まさかこんな身近で自分と同じ状況の子が生まれてしまったなという悲しさもあった。
育児鬱の理由を聞いても、理由が意味分からなくて。でも、その理由を周りが理解できないから尚更一人で友人は苦しんできたのかもしれない。
なるべく友人から相談が来たときは感情を抑えて論理的に受け答えはしようと思っている。
ただ、逆に客観視できるようにもなってきて
はっきり言えるのは
その子が元凶ではなく、その元凶を作った原因は両親の準備不足が9割なのに、それをその子に他責をしているだけ
その子が可愛くない、魅力がないわけじゃなく自身の産後鬱の症状により可愛くないって思考になっているだけ
だと思っているから、
私も今まで「私なんか生きてて良いのかな‥」って正直、悩む時もあったけど
勝手に原因を他責されてるだけで、私自身が生まれたことにはなんも問題がないんだなって思うと少し気が楽になった。
家庭を壊した「キッカケ」は私かもしれない。
だけど、「原因は自分であるか」は
自分はないよねって客観視できたかもしれない。
私がいつまでも、うじうじ
私が生きてて良いのかなって悩むことは
似たような理由で親から愛されなかった子たちに対してもすごく失礼な話になってしまうから
私は堂々と生きることにしよう。