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3. 松本大洋『鉄コン筋クリート』

『Black and White(鉄コン筋クリート)』は宝町(Treasure townの意)で野良猫のようにたくましく生きる二人の孤児、クロとシロの物語で、1993-94年に週刊『ビッグコミックスピリッツ』に毎話20ページ前後の読み切り短編の形式で連載された計33話からなるマンガのサーガ[叙事詩文学]だ。これを原作にマイケル・アリアス──『アニマトリックス』をウォシャウスキー兄弟とともに共同プロデュースしたことで知られる──が同名の長編アニメーションを2007年に監督したことで北米でも知られるようになった。

日本語原題『鉄コン筋クリートTekkon-kin-kurito』は、不動産広告でよく見かけるマンション等の構造を表す「鉄筋コンクリートTekkin-konkurito」の幼児語的な言い間違いで特に意味はないが、その舌足らずだが張りのある響きは、高度成長時代に生まれ育った作者と読者が共有する原風景をも暗示する。この奇妙な音のズレは、松本が描く視覚表象のリミックス手法にも通じており、たとえば漢字の電飾看板が立ち並び高架電線が張り巡らされた宝町の混沌とした風景は、20世紀半ばの東京のようでもあるし21世紀現在ないしは今後発展途上となるどこか異国の都市のようでもある。その無国籍性はストリート・キッズの人生哲学としてのアナーキズムのあらわれといってもいい。

『鉄コン筋クリート』は作者自身の少年時代の夢想を描いたかのように自由奔放で健やかで、そして同時に残酷で、切ない。年長の孤児クロとまだ幼さの残るシロはまるで夢の中のように超人的な跳躍力でビルの谷間を飛びまわり、街を利権で蝕む大人たちに血みどろの暴力で抵抗する。子どもから大人への成長を目前にしたマージナルな人間存在であるクロは自らの内面的な葛藤の闇を、学校に通えずに知育の発達の遅れたシロの純粋な魂で埋めようとする。この作品はふたつの孤独な魂が互いに互いを補完し合う、陰と陽の寓話といってもいい。注目すべき点は、異性愛以前に少年が通過する連帯──それは友情や兄弟よりも絶対的な運命といえる──を西洋的な近代文学におけるエゴでも同性愛でもなく、ましてやバットマンとジョーカーが織りなす善と悪のコントラストでもなく、ミクロとマクロをつなぐ宇宙的なタオイズムで描いていることだ。その原型は大友克洋の『アキラ』の鉄雄と金田、そして発展形は『鉄コン筋クリート』の次に描かれた松本の長編シリーズ『ピンポン』におけるペコとスマイルの関係にも見られる。さらにマンガ史のなかでの接続を図るならクロとシロは、中沢啓治が自らの被爆体験をもとに描いた自伝的作品『はだしのゲン』において戦後の混沌とした時代を生き抜く2人の少年の姿に──劇中の年齢差的にも──ぴったりと重なることもここで指摘しておきたい。

松本のマンガは暴力的な描写を含むものではありながら、小さなものに対する慈悲とそれを抑圧するものに対する強い怒りと良心に支えられている。その画風が、商業的な少年マンガや劇画の影響よりも、むしろ児童文学の挿絵を思わせるのは、彼の母が詩人で童話作家の工藤直子であることと無関係ではあるまい。そのことを考えれば、松本の仕事は、1920年代の日本における最初のデモクラシーの台頭期に進歩的な文学者や前衛芸術家らによって立ち上げられた児童文学運動──それは日本の帝国主義的な戦争によって分断され、敗戦後民主主義教育の中で再生した──の流れを汲むものとして見えてくる。

(本稿は2008年カナダ、バンクーバー美術館の企画展「KRAZY!」図録のために英訳を前提に書かれたオリジナル原稿である)


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