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無を写し、空を表す──木村華子展 SIGNS FOR [ ]

 ビルのてっぺんにある屋外広告板が白くなっているのを見かけるようになった。こうしたビルボードはかつてドライバーからよく見える場所に競うように立てられ、当初は清涼飲料水やタバコ、バブルの頃は不動産開発から女性ファッション雑誌まで、そしてバブル崩壊後は消費者金融の巨大広告が乱立していた。しかし、ふと気がつくと近年は不況やインターネット広告隆盛のご時世からスポンサーがいなくなったのだろう。見上げれば広告のない空きボードが取り残されたようにそこにある。

 木村華子が被写体にするのはその高所四面ビルボードが白くなった姿で、必ず青空を背景に、他の文字の入らないアングルでといった独自のルールで撮影している。ゆえに、シリーズの作品はいずれも青と白の色調からなる均一性に貫かれ、そのヴァリエーションが織りなす差異と反復が大小20点の作品として展示されている。

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 さらにその作品の特色は写真をアクリルマウントした上にネオン管を設えていることで、会場では電源が入れられ常時点灯した状態で展示されている。現代美術でネオン管を使った作品といえば1960年代末からブルース・ナウマンを筆頭にコンセプチュアルアートの文脈で用いられた経緯のあるメディアだが、それらが街中のネオンサイン同様に文字や記号を表示することでシニフィアン(意味するもの)を問題にしていたのに対し、2020年の木村はただ写真の中の四面ビルボードのフォルムを部分的にトレースするだけにとどめている。

 そもそもネオン管自体が野外看板用の材料として生まれ、折り曲げて文字や図を表示するためのものなのだが、木村の作品においては主に「へ」の字型に折り曲げられただけ(あるいはただの直線)で、固有の意味は与えられない。写真から三次元的に立ち上がり、自ら発光することでまるでラインマーカーを引くようにビルボードの存在を強調している。

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 反対側の壁に並ぶ小型のエスキースでは、ネオンの代わりに光沢のある絵具で同様の箇所にフリーハンドで線が引かれている。デュシャンが男子用小便器にサインを記したように、この最小限の手の痕跡は本作がメディウムとしては写真プリントでありながらコンセプトとしてはファウンドオブジェなのだということを密やかに主張しているように思えた。

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 筆者は「無言板」と題して、街角にある文字の消えた看板の路上観察を続けていることもあり何とも言えない親近感を覚えたことも記しておかなければならない。

 同じ時代の都市のどこかで同じように白い看板を探してカメラのレンズを向けている私(たち)はいうなれば、意味のない・形のない・目に見えない・存在すらしないものを探索し、禅問答や美術の作法を用いて認識しようとしている。そして、ここにおいて木村は作品タイトルとして《SIGNS FOR [   ] 》 という言葉を与えることで、ブラケットで括られたこの空隙が言葉にはならない、目には見えない何かによって埋められうることを暗示している。

 そんなことを考えながら最後に会場を見渡したときに印象的に目に焼きついたのは白い看板ではなく青い空のほうだった。そう、図を見ないことで地が浮かびあがる。つまり、これは無の看板だけではなくじつに「空(くう)」を写した写真なのだと。

木村華子「SIGNS FOR[    ]」 2020年6月2日─18日=東京有楽町、阪急MEN’s TOKYO タグボートにて開催

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