歌は時空を超えてII 調声メモ前編
noteの記事は久しぶりです。2024年9月15日に、京町セイカ with STYLE KYOTO管弦楽団オーケーストラコンサート 歌は時空を超えてII というコンサートがあり、京町セイカ他音声合成キャラが歌う楽曲の音声データを計6曲提供しました。
まだ見ていない人は、10月15日まで配信があるので見るように!
このまま配信が終わるのを待つのかなーと思っていたのですが、マスティさんが記事を上げられていたので、
https://note.com/mustiedc/n/n16837f8fe01d?sub_rt=share_pb
何か形のある記録を残しておくのも意義があることかなと思い直してこの記事を書いています。
恋とはどんなものかしら
モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の1曲です。昨年このオペラの序曲が演奏されたので、安直にこの曲をリクエストに入れたところ、他は全て没になりこの曲だけが生き残りました。
モーツァルトの原曲ではなく、このコンサートのために編曲が入っています。
このため元のキーはB♭なのですが、Gまで下がっていて響きがかなり変わります。元はかなり地味な曲で、第一バイオリン6人の編成ではさらにバランスが悪いため、今回はより現代的なアレンジになっています。
現代的というのは現代の楽器(特に低音金管)を前提とした奏法、アンサンブルと、パーカッションも利用した色彩ということになるでしょうか。
原曲準拠で打ち込むとこんな感じになります。
曲はイタリア語で歌われるので、なんとかしてイタリア語を入力しないといけません。今はスペイン語が使えるので、基本はそれを使い、スペイン語にない発音(vとか)は、別の言語で対応することになります。特に技巧を凝らすような曲でもないので、それ以上の工夫は特にありません。
テンションカーブを描いていますが、これは後で説明します。
編曲など色々工夫がされているのですが、さすがに後に続く曲がインパクトがありすぎるので、それほど注目はされていなかったかもしれません(笑)
夜の女王のアリア
これは去年の再演で、モーツァルトが続きます。京町セイカSVが出てしばらく、「誰がオペラを一番よく歌えるかチャレンジ」というわけのわからない事をやっていたら、当時出ていた弦巻マキ、小春六花、ついなちゃん、京町セイカのうちセイカさんだけが偶然物凄い高音を出せることに気づいて、急いでこの曲のカバーをでっち上げました。その頃にはもちろん、オーケストラと共演することになるなんて全く思っていませんでした。
Synthesizer Vでドイツ語(またはイタリア語、ラテン語など)を歌わせる方法は下記にあります。最近はスペイン語対応のおかげでもう少し手抜きができますが、基本は変わりません。
昨年は歌うだけで精一杯という感じで、安定して全音域を出せるバージョンがなく、V102とV108を使い分けていましたが、最新のV112は全音域で問題がなく、今はこれを使っています。また、本来悪役の母親が「ザラストロの野郎をぶっ殺してこい」とブチ切れている場面なので、ちょっと怖い感じにするべきです。完全にとはいかないですが、今年の演奏ではそれを表現できるようジェンダーを思い切り上げたり、ピッチを他のキャラ(ROSA)から持ってくるなどしています。
調声を見るとわかりますが、スペイン語、中国語を中心にところどころ英語、日本語が入ります。2年間いじり続けた結果なので、もはや自分でも真似はできません(笑)
モーツァルトのこの変態曲が音声合成のコンサートで演奏された結果、複数のボカロPさんに影響を与えていたというのは、やっぱモーツァルト凄えなと思うとともに、「歌は時空を超えて」というテーマをよく表すエピソードだと感じます。
アメイジング・グレイス
これも昨年の再演ですが、今回はついなちゃんとの共演になっています。歌のアレンジは私の担当になったので、このハモリは私の作です。実際にどう鳴るかはホールまで行かないとわからないので、響きが汚いとか言われたらどうしようかとビクビクしていました(笑)
元々このアレンジはCeltic Womanのカバーを参考にしているようで、基本的なコード進行と曲構成は同一ですが、編成は全然異なり、それに伴い他の楽器類も全然違う動きをしています。要するに別アレンジになっているので、ボーカルは単純に真似してもダメということです(笑)
セイカさんとついなちゃんでは、同音域では声の通り方が違ってセイカさんの方が目立つので、逆にいうとついなちゃんを上に重ねても邪魔にならないということです。それを利用して、あるところでは3度でハモり、ところどころ5度やオクターブでほとんど溶け込んでしまい、それがホール全体に響き渡るという、オルガン曲のような音響効果を意識してアレンジをしました。
1番はついなちゃんのソロです。この後ハモリばかりになるので、ついなちゃんをちゃんと見せるという意図で一番は全てついなちゃんの歌唱です。
2番でハモリが入り、ついなちゃんは基本的に上でハモることになります。2番はクラシックでは嫌われる4度のハモリが多く出て来て、硬い響きというか民族音楽風に聞こえるところがあると思います。
3番ではFからGに転調します。ハモリが3度中心になって、クラシカルな調和を見せるようになります。ついなちゃんが綺麗にハモれる音域は限られるため、転調するたびにハモリのパターンが変わっていくのが、このアレンジの特徴になっています。
また、ここでは去年I, meで歌っていた歌詞がwe, usと複数形になっていることに気づいた方はいたでしょうか?これは複数人で歌う時の慣例のようになっていて、前述のアレンジでもそのようになっています。
ここでまた転調し、E♭になります。割と低めのキーですが、ついなちゃんが綺麗にハモれる音域は変わりませんから、ここでは1オクターブやそれ以上離れてハモることもあります。これで先ほどの3度中心のハモリから、突然大きく開放されたかのような感覚を出しています。
71小節はセイカさんがオクターブ跳躍しますが、ここだけついなちゃんは下でハモります。ここだけは響き的に3人欲しかったところではあります。
このように音色の特性を活かして曲全体をどう鳴らすか設計するのが管弦楽法であり、その考えを一部活用しています。とはいっても2パートだけですが、この曲も含めアレンジを担当してくださるアレンジャーさんたちは、同じような考え方を十何パートに渡って活用して細かく曲を設計しています。また、音声合成で演奏性を気にする必要はありませんが、生楽器は演奏性も考えなければいけません。つくづく大変な作業だと思います。
個人的には、このようにすることが「歌声を楽器として扱う」出発点、最低ラインであって、質の悪い音声に子供騙しのエフェクトや単調なカーブを描いて「リアルさでなく楽器としての良さを…」などとぬかすのはやめていただきたいと、某歌声合成ソフトを見て思います。
長くなったので後編に続きます。