北口榛花さんとドマジュリツェ(旅の2日目)
午前中訪れていたプルゼニを発ち、さらに西へ。
プルゼニから1時間ほどのところにある街ドマジュリツェ。
ドマジュリツェまで行けば、もうドイツとの国境がすぐそこ。
プラハからドマジュリツェへ列車で2時間半ほど。そこからさらに先へ向かうとバイエルン地方に入り、ミュンヘンまで列車がつながっている。
ドマジュリツェ行かないとなと思ったのは、やはりこの夏のパリオリンピックで北口榛花さんが女子やり投げで金メダルをとり、この記事を書いたからだ。
ドマジュリツェはチェコ国内ではけっこうメジャーな観光地だといえると思うのだが、私自身はここ10年くらいモラビアばかり好んでいて、西ボヘミアというエリアには足を踏み入れていなかった。
それでもドマジュリツェは有名なのだ。広場の白い塔のある景色は、いろいろなところで何度も見たことがある。
プルゼニから各駅電車だと、中央駅(Domažlice hlavní)の先にある街の中心に近い駅(Domažlice-město)が終点なので、そこで降りた。この駅はやや小高いところにあるようで、街の中心に向かおうとすると、ドマジュリツェのシンボルのタワーがよく見える。
きれいな街に来たなーと思いつつ歩くと、垣根の向こうで私に向かって吠えてる犬たち。ビビりながら、歩いて街の広場を目指す。
観光地としても知られているが、J・Š・バアル、チャペック=ホット、B・ニェムツォヴァーなど、チェコ文学の著名な人物ゆかりの地でもある。
こういう、誰々がいつごろここに住んでいた、的な情報がおもしろいお年頃になってきた。
駅から10分くらいで広場に出る。広場に出たときのなんとも言えない圧倒的な美しさ。
広場のまわりの建物はテルチという世界遺産の街にも似ているが、それよりもっとこの広場は縦に長い。建物の下のアーケードを通るといろいろなお店もある。土曜日午後だから閉まっているところも多いが、それでも観光客っぽいドイツ人もいる。
インフォメーションが閉まっていたので、ひたすら散策である。街並みがきれいで白い塔がどこから見てもかっこいい。
北口榛花さんの記事を書くにあたり、いろんな動画やニュース、SNSを、日本語、チェコ語でいろいろ見てきた。
なので、ここが金メダルの報告をしたときの市役所だなとか、当初ドマジュリツェに来たときに泊まっていたのはおそらくここだなとか、毎朝来ているカフェというのは壁の感じからしてここではないかな、とか、ある程度見当がついた。
まちがってるかもしれないけど、そこまで大きな街でもない。
これとかここ↓の左側の灰色の柱のところですよね。
いろいろ見てまわったが、本当に広場とそのまわりで完結する小さい街。人口は1万1600人ほど。
よくチェコの地方都市に住んでいる日本人が洋服を買うところがないと言っているが、ドマジュリツェもそんな感じだ。
レストランもないわけではないけど、限られた店しかないのできっと飽きるだろう。カフェも数軒。
広場を離れるとスーパーはあるけど、近くにすぐ行けるコンビニのようなお店はなく、食料品、日用品、といった目的ごとにそれぞれの店に行くしかない。
ここにひとりでやってきた日本人20代の女性の心境は、わからないでもない。
私も自分にとって何になるかまったくわからずに、チェコ語を究めたくてサマースクールに1ヶ月も滞在した(しかもそれを6回繰り返した)。
北口さんのこのチェコでの時間がオリンピック金メダルという形で結実したのはとてもすばらしいことだ。
でも仮に、まわりからは結実していないと見なされる結果しか残せなかったとしても、ここに来よう、ここで学ぼう、と決意し、必死に時間を過ごしたこと自体に大きな価値があると私は思う。
開いていたカフェであったかい飲み物とオープンサンドをいただく。
気のせいかもしれないが、とても店員さんが親切で、笑顔がまぶしい。プラハで感じた、25年くらい前の雰囲気のことは忘れるほど安心できる空気がそこにあった。
店内では地元のマダム二人がお子さんを連れてお茶をしてたが、しばらくすると、ドイツ語を話すご夫妻、若いカップル、テイクアウトをしにきたお姉さん、などが次々と来店。
ドイツ語を話すご夫妻は、奥様がカタコトのチェコ語で注文していた。そういえば、ボヘミアの西側、南側の地方都市にはドイツからの観光客が多いのを思い出した。
お会計をしていったんお店の外に出たが、オープンサンドの写真を撮りたくて、店に戻ったら、お姉さんが笑顔でOKしてくれた。
16時過ぎの特急で帰ることにした。広場から中央駅まで歩いて15分くらいかかる。
広場から出て川沿いに歩くと、青空に黄葉が生えて、とてもきれいだった。
土曜日ということもあってドマジュリツェはそんなに人がいなかった。それもよくあるチェコの地方都市の特徴だ。
このくらいのサイズ感だと、「あのスポーツセンターで練習してる日本人が金メダルとった」となると大ニュースだし、おそらく誇らしい気持ちになるドマジュリツェ市民がほとんどなのではないか。
駅に着き、数人しかいない静かな待合室で座っていたら、いきなり大きな声でドイツ語が聞こえてきた。私の背後に座っている30歳くらいの背の高い男性からだ。
私の斜め前に座っていたおばさまが、ちょっと目を丸くして、その男性にドイツ語で応えた。二人はもちろん知り合いではないみたいだし、おばさまはチェコ人のようだったがドイツ語ができていた。
男性はおばさまの回答に納得した様子で、何やら駅舎から出て行った。
私は、知らない人にいきなりフルパワーの大声で話しかけるドイツ人メンタリティにびっくり。
チェコ人だったら「すみませんが」とか何とかつけて、やさしい遠慮がちな口調で声をかけるんじゃないかと思う。
しかし、さらにびっくりしたのはそこにいたふつうのおばさまがドイツ語を話したことだった。
チェコでは「チェコ語の次にドイツ語が使われている」という説明を見ることがある。
でも、私の感覚だとドイツ語より英語のほうが圧倒的に普及しているような気もするし、チェコ人が日常生活でドイツ語を使う、というのはあまり見たことがなかった。
でも、ドマジュリツェだとドイツ語がもう少し一般的なのかもしれない。毎週末ドイツからの観光客が来たりするし、自分たちもドイツに行くだろうし。
北口さんのコーチのセケラークさんも、英語はできないがドイツ語ならできるらしい。コーチをお願いした時に、二人ともがわかる言語がなかったため、北口さんは最初にドイツ語を習おうとしたそうだ。
しかし、ゼロからやるならチェコ語にしたらどうかと言われて、コロナ禍にチェコ語を習い始めたという。
チェコ語の動画で、北口さんはチェコ語にしかないやり投げのフェーズの名称があること、それを日本語では表現する言葉がないことを述べている。
表すことばがなければ、理解をすることはできない。まして身につけることもできない。
70年以上にわたって世界トップレベルにあるチェコのやり投げと、それを次世代の選手に言葉で伝えてきた歴史。
北口さんの成績が2023年からぐんぐん伸びている背景には、チェコ語で切り分けられたやり投げの技術が北口さん本人の理解に至り、ものになっていることの証ではないかと思う。
ドイツ語で指導をしていたら…と思うと、背筋がひやっとする。チェコ語でよかった。
北口さんも大変だとは思うが、私は個人的にはセケラーク監督も気がかりである。本人もチェコのメディアでよく言っているが、ドマジュリツェ出身の、しかもジュニアのやり投げコーチである。
それが日本の国を背負っているような選手を指導することになったなんて、日本のスポンサーとかチーム北口の日本人たちに気おされることもたくさんあるだろう。
でも、ドマジュリツェは、このままやり投げを極める二人とチームメイトの聖地であってほしい。
二人とチームメイトたちがドマジュリツェの星であってほしい。