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ホルベックさんのチェコ語通訳日記(チェコ人になりたい女の子のおはなしより)

1998年10月28日に開設した「チェコ人になりたい女の子のおはなし」というサイトのコンテンツをこちらに載せてみようと思います。 


1日目

会社の方に、ホルベックさんを紹介していただきました。
その日は催事の準備だけでしたが、ホルベックさんにはいろいろと伝えることがあり、早くもチェコ語力なんかないことを思い知らされるのでした。

ききとれた言葉があっても、正しく聞こえたのか自信がなくておろおろと通訳し、かと思えば、開き直って、ホルベックさんに「これはなんというのですか?」とかんたんな単語を聞いたりしていました。

その日は伊勢丹の中では、機械のセッティングをして終わりましたが、ゆうごはんを一緒に食べてほしいと会社の方に言われました。
もし、ホルベックさんがどこか観光へ行かれたいようならお金は出るのでおつきあいしてください、とも。

新宿の伊勢丹を出ながら、ホルベックさんに尋ねました。
「どこか行きたいところはありますか」
わたしは、東京タワーとか、東京ドームとか、頭の中でチェコ語に訳しながら、わくわくして返事を待ちました。

「特にない。たばこを吸うので、まだこのあたりを散歩しよう」

え?
観光しようというつもりはどうやらないみたいでした。
ホルベックさんはペトラというチェコのたばこを吸いました。

結局、その日は青山のホテルの周辺に戻り、さんざん歩いたあと、会社勤めのおじさんが行くような定食屋に入ってみました。
ホルベックさんがチェコ人なので、わたしは「ビールを飲みますか」と尋ねました。
しかし、ホルベックさんは首を横に振りました。
それで、わたしはその夏、チェコに1ヶ月いた間に、チェコ人のおじさんがみなスイカの入っているような巨大なビール腹をしていることにびっくりしたこと、待ち合わせ場所で初めてホルベックさんを見たとき、おなかが出ていないのでチェコ人じゃないかもと思ったことを伝えました。

ホルベックさんは笑って聞いていました。


2日目

初めてお客さんの前で仕事をしました。
よく見ると、催事はチェコのモーゼル社の製品とともに、その会社が扱っているヘレンドというハンガリーの会社の陶器も売っていました。

どちらかと言えば、ヘレンド商品が会場の半分以上を占めていて、入り口からよく見えるところに、やはりヘレンドのマスターペインターが座って実演をしていました。
ヘレンドの職人さんには、日本語のとても上手なハンガリー人の通訳さんがついていました。

ヘレンドのお皿やティーポットには本当にきれいな絵がやはり手描きで一筆一筆かかれていました。
ヘレンドの方の職人さんは、口ひげをたくわえた恰幅のいい黒髪のおじさんでした。

ホルベックさんは、少しやせてメガネをかけた銀色の髪のおじさんでした。
ホルベックさんの仕事は、グラスを買ってくれたお客さんのイニシャルをサービスとしてそのグラスに彫り込むというものでした。

見本として、ウィスキー用のふとっちょグラスに、会社の人のイニシャルを彫ると、あまりの美しさにみんなびっくりしました。
ホルベックさんは白い色鉛筆で、ささっと縦横に目印になる線とデッサンをしてから、ゆっくりゆっくり電動の削り機にグラスを当てて彫っていきます。
でも、できあがったグラスはデッサンされた線のまわりに装飾が施されていてとてもきれいです。
変な言い方ですが、手作りじゃないみたい。
あまりにも完璧すぎる美しさでした。

通訳といっても、最初はお客さんもそれほど多くなく、ホルベックさんのかたわらで、作業を進める様子を観察しているのが仕事でした。


3日目

ホルベックさんをホテルに迎えに行くと、その日もやはり、ロビーでたばこを吸って待っていました。

「おはようございます」と言うと、ホルベックさんは何か話し始めました。
フロントにいたところ、英語で話しかけられたのだそうです。
ホルベックさんは英語はまるきりダメで、習おうとしたけれど、もうこの歳になっては覚えられない、と言っていました。フロントで日本人に何か言われたけどちんぷんかんぷんだったよ、と困ったような顔をしていました。

ホルベックさんと伊勢丹の中のレストランでひるごはんを食べていると「絵はがきはないか」と尋ねられました。
「たぶんどこかで売っているはずだから、あとで探しに行きましょう」とわたしは答えました。
仕事に戻って、会社の方に、ホルベックさんが絵はがきを探していらっしゃるのですがどこに行けばいいでしょうか、と相談すると、伊勢丹の中に売っているところがあるはずと言って、しばらくして買ってきてくださいました。
「これはホルベックさんへのプレゼントだから、って伝えておいて」と。

その日はホルベックさんにホテルの並びにあるコンビニを紹介して、ここなら夜中もあいているし、たいていのものはあるから、と教えました。


4日目

ホルベックさんは相変わらず、イニシャル入れのサービスをこつこつとこなしていました。

この日の休憩の時、初めてホルベックさんから「行きたいところがある」と言われました。
観光もしたがらず、毎日の食事も「どれでも一緒だよ」と言うので、いつもおなじ店だったのに。何も望んだり、求めたりしない人なんだ、と驚いていたのに。

ホルベックさんが初めて行きたいと口にしたのは郵便局でした。
伊勢丹の近くに郵便局がありますかと、警備員さんに場所を教わり、近くの小さな郵便局に向かいました。
昨日プレゼントされた絵はがきには、青いペンできれいに文字が並んでいました。
英語はダメだと言っていたのに、郵便局に入るなり窓口で「Czech Republic and Deutschland」と英語とドイツ語を混ぜて、熱心に窓口のお兄さんに2枚のハガキをお願いしていました。

ホルベックさんは、日本に来る前にはタイで同じようにデモンストレーションして来たんだそうです。

わたしがタイに旅行したとき、タイ人にこう言われました。
「チェコ語を習っているなんてすごいよ。タイにはチェコ語の教科書すらないんだから」
きっとタイには、チェコ語の通訳はいなかったでしょう。大変だったんじゃないだろうか。
でも、きっと絵はがきは出したんだろうなぁ、と思いました。

4日目は土曜日だったので、お客さんも増えてきました。
モーゼルのグラスを買うお客さんも増え、ホルベックさんのイニシャル入れの仕事も次第に多くなりました。

それでも4日目がまもなく終わろうという頃、あるご婦人が6色セットの小さいボウルをご家族に、とお買いあげになりました。
しかし、このお客さんは大変なことを言い出しました。
この6色セットの小さいボウルに一つ一つ家族6人分のイニシャルを入れてくれ、と言うのです。
見本として並べられたきれいなイニシャルを見てかなりお気に召したらしく、一回り大きいボウルの6色セットもさらにお買いあげになり、これにもイニシャルを・・・・と言うのです。
なんてことでしょう!!
通訳するのも気が引けました。
恐ろしいことをホルベックさんに伝えなければなりません。

お客さんは
12個の
ボウルすべてに
家族6人分の
イニシャルを
入れてほしい
と言っています。

ホルベックさんは「オオ」と言って、びっくりすると言うよりも、げっそりしている感じでした。
それを知ってか知らずか、お客さんはとなりで、この色は娘用だからイニシャルは・・・この色はお父さんでイニシャルは・・・・と紙にメモして、るんるんで注文していました。
わたしは、とてもびっくりしました。

12個も!!
あつかましいというか、なんというか、本当に言葉を失いました。
これは機械がやっている仕事じゃないのに。
人間が一つ一つ、何回もコロを変え、何回も角度を確かめ、やっている仕事なのに。
いくらでも大量生産できるような、そんな簡単な仕事じゃないのに。

・・・ホルベックさんの大変さは誰もがわかっていましたが、
たくさん買い物をしてくださったお客さんの注文を断るわけにもいかず、ホルベックさんの前には、12個の小さいボウルが置かれました。

会社の方は「イニシャルのデザインは丁寧にしなくてもいいから、と伝えて」と言いました。
ホルベックさんはそのうち2個だけ仕上げて、最終日に仕事を持ち越しました。

・・・チェコの人はあまりこういう場面でも、「怒る」ことはないようです。
怒っているのかもしれないけれど、どう考えても大変だよ、と言うときでも
わたしたちには許せないような理不尽なことでも、甘んじて受けとめてしまいます。
それは、無抵抗なような、無関心なような、そんな理不尽なことには、まともに相手はしないのか。

わたしは、こんな注文が来たことをとても悲しく思いました。

日本人は物ばっかり豊かで、心がとても貧弱だからなぁ、とか
ホルベックさんがかわいそうだ、とか
常識ないんだ、このおばちゃん、とか
日本に来て、つらい思いをしちゃうよ、とか
お客様は神様です、とか
いろいろなことが頭にぎゅうぎゅう詰めになっていました。

でも、注文したご婦人は、家族6人のことを思って、喜ぶ顔を見たくて、注文なさったんだろうか、という考えに至ったとき、もしかしたらホルベックさんはそのことをわかっていて、ご婦人の家族を大切に思う気持ちを納得して、それで、黙ってイニシャルを彫っているのかもしれない、とふと思いました。


5日目

きっと5日目が終わったら泣いてしまうな、と思っていました。
一応通訳なのに、役に立たないことが多くて、ホルベックさんには、申し訳ないなと思い、それと同時に感謝の気持ちもいっぱいでした。
しゃべるのはたどたどしかったけれど、書くのなら…と思い、前の日の夜、そっと感謝の手紙を書いて、当日は鞄の中にしのばせておきました。

朝、青山のホテルに向かうときから、なんだか切なくて、疲れもたまっていたんでしょうけれど、ホルベックさんとろくに言葉も交わせませんでした。

新宿三丁目の駅に近づくと、ホルベックさんが「今日は二人とも黙り込んでいるね」と笑いました。
わたしは、「はい」としか言えませんでした。

4日目に注文を受けた12個のグラスを仕上げなければいけないので、この日は、イニシャル入れの注文は受けないことになりました。
ホルベックさんは黙々とグラスを彫っていました。

この日は日曜日で、ホルベックさんの実演の横で、会社の方がマイクを持って宣伝をしていました。
ホルベックさんは「マイクを持って歌うのか」と言いました。
ホルベックさんの話すチェコ語はイントネーションが少ない言語です。
言葉のメロディーが平坦で、棒読みに読むとチェコ語らしくなります。

きっとホルベックさんは、意味の分からない日本語の音だけが耳に入ってくるうちに、チェコ語よりも音程が上がったり下がったりするので、日本語を話しているのが歌を歌っているように聞こえたのではないかと思います。

それで、「そこで歌わないから、お客さんが少ないんだよ」と会社の若い女の人に冗談を飛ばしたりしていました。

ホルベックさんは、12個のグラスの仕事を終えると、お世話になった会社の人の名前をわたしに尋ねてきました。
どうやら、自分が持ってきたグラスにその人のイニシャルを入れてプレゼントするようです。

そういえば、催事が始まってから、こつこつと桜の木をグラスに描いていましたが、それにもイニシャルを入れ、特にお世話になっている女性の社員さんに贈っていました。
ホルベックさんを観察していて、いつも何の絵を彫っているんだろうと思っていました。
そのグラスの花が完成したときは、そっとこちらを向いてグラスを見せながら「サクリ」と言いました。
チェコ語で「桜」を複数形にするとサクリになるのです。
グラスにある桜の木は、いくつも花をつけていました。
全く見事としかいいようのない出来ばえでした。こういう和風なものもいけるんですね。

ホルベックさんはわたしにもグラスを彫ってくれました。
わたしはチェコ語がわかる唯一の人間だったので
「はくめさんへ。ホルベックより」(←もちろんチェコ語)
というサイン入りでした。てへへ。

翌日から、ホルベックさんは別の日本の会社に招かれ、そちらでお仕事をすることになっていました。
午後になると、その会社から電話がありました。
最初、ホルベックさんは受話器を黙って耳に当てていましたが、しばらくすると「ネロズミーム(わからない)」と言って、わたしに受話器を渡しました。

電話に出ると、会社の方が「あ、通訳の方ですか。」と言っていました。
どうやら英語でいろいろ話しかけていたようで「明日のご予定を聞いていただけますか」と言われました。
なんとか電話の用件は伝え(伝わっていないこともあったような気もしますが)、少なくとも、翌日の待ち合わせの場所と時間はばっちり伝えました。

4時くらいになると、ホルベックさんは会社の偉い方やいろいろな社員の方に挨拶をして(わたしはかいつまんで通訳し)、記念に写真を撮ってまわっていました。

わたしは、最後もホルベックさんの食事につきあいしてホテルまで送るように、と言われました。
例によって、特別に出かけはしませんでしたが、ホルベックさんとゆっくりお話しができました。

わたしたちが言葉が通じなかったときは
わたしが「エル(l)」と「アール(r)」の発音の区別か、「エフ(f)」と「ハー(h)」とスラブ語「ハー(ch)」の区別ができていなかったときだねとアドバイスまでもらい、わたしは調子に乗って、チェコ語の質問をしたりしました。

別れ際に、ようやく手紙を渡しました。
渡すかどうか、照れくさくってためらいましたが、ちょっと泣きながら、チェコ語を話しました。
「手紙を、書いたので、あまり話すのが、うまくないので。。。。」
ホルベックさんは軽く頭をなでてくれました。



この5日間、わたしはとても素直な人間でした。
チェコ語で何とか伝えようと、一生懸命で、ごまかしたり、嘘をついたり、逃げに入ったりできませんでした。そんな余裕はなかったのです。
日本語だけの生活に戻って、言葉だけで何もかもすんでしまう生活に入って気づいたのは

伝えたいことがないときでも、言葉だけ使っていること。
伝えたいことがあるときにも、心と違う言葉を使ってしまうこと。
伝えたいこととは、相反する言葉を無意識のうちに使っていること。

ホルベックさんと一緒にいたときはなんて美しかったんだろうと思います。
また、そういう自分が見たいと願っています。
ホルベックさん、住所はうかがったので、早く会いに行かなければ。


(2024年の筆者より)
当時この記事の最後に書いたことはいまも「本当にそうだよなあ」と思ってときどき思い出します。

わたしたちは日本語が使えるわけですが、自由に使えるがゆえに、間を埋めたり、言いたいことを微妙に変えたり、心と一致しない言葉を発しても何も感じなかったりします。

その後も何度か通訳と名のつく仕事をしていますが、最近はちょっと言い方を微妙に変えていることがあり、チェコ語うまくなったなという気持ちと、汚い大人になったなという気持ちが両方あります。

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Hatsue Kajihara
ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。