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ロシアについて、チェコ人のことば
カレル・ハヴリーチェク・ボロフスキー Karel Havlíček Borovskýというチェコ人がいる。
19世紀、自分たちの国を作ろうという機運がチェコ人たちの間に生まれたころの偉人である。
彼の生きていた時代は、200年以上にわたる長いあいだ、ハプスブルク家というドイツ系の他民族が、チェコ人を含め中央ヨーロッパのさまざまな民族を治めていた。
19世紀半ばになると、チェコ人には「俺たち、なんでドイツ人の言うこと聞かなきゃいけないんだ?」という雰囲気が高まっていた。
そもそも自分たちの話しているチェコ語はドイツ語とぜんぜん違うではないか、むしろロシア語に似てる…。ああ、スラブ人だからか!という意識が生まれ、「汎スラヴ主義」という、日本の高校の世界史の教科書にも出てくるような動きとなった。
有名なミュシャのスラヴ叙事詩もそういう時代の作品だ。
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話を戻すと、カレル・ハヴリーチェク・ボロフスキーというチェコの偉人がいるのであるが、彼の言葉は、とくに2022年のプーチンのウクライナ侵攻以降、頻繁に引用されるようになった。
とくに有名なのはこの一文だろうか。
Odjel jsem tam jako Slovan, vrátil jsem se jako Čech.
(私はその場所へスラブ人として出向いたが、チェコ人として帰ってきた)
上の引用の「その場所」というのはロシアのことである。
カレル・ハヴリーチェク・ボロフスキーは1843年から44年にかけてモスクワに滞在した。
当初は親ロシアだった22歳のボロフスキーだが、モスクワに滞在するうち、次第にロシアに懐疑的になっていき、「チェコ人として帰ってきた」というのである。
ロシア人があまりに自分と似ていない、理解できないという経験があったことが窺われる。そして、自分はチェコ人なんだと思い知ったということなのだろう。
この時代にモスクワまで実際に行ったチェコ人は多くなく、彼のモスクワ滞在記はプラハの新聞に掲載され、『Obrazy z Rus(ロシアの地での光景)』という本にまとめられていて、さらにカレル・チャペック、トマーシュ・ガリグ・マサリクなどにも影響を与えたとされる。
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Je to země bídy, zmaru, chlastu a rozsáhlých literárních děl o zmaru, bídě a chlastu. A světu přináší jen výše zmíněné. Bez výjimek.
(貧困、破壊、アルコール、そして破壊と貧困とアルコールについての幅広い文学作品の国である。そして、この国が世界にもたらしているのは、ただ上に挙げたものについてだけだ。例外はない)
ボロフスキーの見たロシアには「貧困」の言葉が踊っている。
1843年ごろのロシアは「農奴制」というシステムがまだあった頃だ。
しかし、1820年代から農民蜂起が続き、農業経済にも社会的にも限界が見えていた頃である。1861年に農奴解放令によってこのシステムが終わる。
この農奴制末期、ボロフスキーが目にした貧富の差、そこに関連するアルコールの問題がしばしば彼の滞在記には登場する。
ロシア人といえば強いお酒、というイメージだが、飲まなきゃやっていられないお国柄なのはいまも昔も変わらないのかもしれない。
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Rusové rádi nazývají všechno ruské slovanským, aby pak mohli tvrdit, že všechno slovanské je ruské.
(ロシア人はすべてのロシアのものをスラブのものだと呼ぶことを好む。のちに、スラブのものはすべてロシアのものだと主張できるように)
このフレーズも、読んだときに腹の底から同意したい気持ちがあふれ、声にならない唸りをあげてしまった。わかる。
日本人でも、ロシア語に精通している日本人の先生方は、いまも「スラヴ」という言い方を好んで頻繁に使っていらっしゃるようである。
大学時代からチェコ語専攻の学生として、私は、この「スラヴ」が何を指しているのかずっと謎であった。
聞いていても、チェコを含めているのか含めていないのかつかめない。
そして、何よりロシアという国にはスラヴ人以外の人もかなりの数住んでいるであろうに、除外しちゃっていいの?と思っていた。
どういう意味なのか聞いてみたかったが、「スラヴ」と言っている日本人の先生はたいていロシアに心酔しているご様子で、とてもチェコのことまで考えているふうではなかった。
どうもベラルーシ、ウクライナくらいまでのことを考えているようだと感じられたが、ロシアがかかわる文脈で「スラヴ」と出てくるのは、あまりにも現実と釣り合っていないようにずっと思っていた。
これもプーチンのウクライナ侵攻が行われているいま、もはや笑えたものではない。
ボロフスキーのことばはまるで予言であった。
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こうして、チェコ語で書き記したボロフスキーがいたことで、現在のチェコ人たちにもこういう見解が共有されていて、共感したチェコ人のSNSを通して、私の目に入ってくる。
なので、私も日本語でここに記してみる。
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