せんだがや、せんだがや(チェコ人になりたい女の子のおはなしより)
東京・千駄ヶ谷には東京体育館があります。
わたしは高校生のとき、チェコ人に会うために
英検の一次試験のあと、一人で東京に行きました。
そうはいっても、
15、6の田舎娘が一人で初めて東京に行くのは大変なことです。
もちろんはじめてのことだし、
お母さんに言ったら、きっとダメって言われるのはわかっていました。
そこで、(ニヤッ)
わたしは事後報告することにして
高校の入学祝いでもらった数万円を握りしめ、
一人、制服のまま鈍行に乗り、東京へ行きました。
その日は東京体育館で、テニスの決勝があって
わたしの大好きなイワン・レンドルが出ていたのです。
イワン・レンドルは、私が小学6年生の頃から好きなテニス選手でした。
レンドルはチェコスロバキアで生まれ、
1990年ごろ、テニスの世界ランク1位に君臨した選手でした。
なにしろ、はくめのチェコ愛は、レンドルが火付け役でした。 レンドルのことを知りたいと思うあまり、
わたしはチェコまで好きになったのでした。
そんなレンドルをいつか一目見たいと思っていましたが、
だんだん年を重ねるにつれて、レンドルはランキングが落ちていき、
この大会では、決勝に残っていたものの、
引退という言葉が見え隠れしていた頃でした。
今ここで見に行かなければ、レンドルを見ることなどもうないかもしれない!!
そう思うと、わたしは英検があったくらいであきらめるわけにはいきませんでした。
このチャンスを逃してたまるか、と5年間の思いをぶつけるがごとく、
東京まで出かけていったのです。
英検の試験が終わったのが、正午前だったか・・・
その時間は特急がなくて、鈍行に乗りました。
電車の中で缶コーヒーを飲みながら、
間に合わないかもしれない、とどきどきしながら新宿駅に着くのを待っていました。
もちろん、千駄ヶ谷なんてところに行くのも初めて。
「せんだがや、せんだがや」と列車内に貼ってある路線図を見ながら。
新宿からは総武線に乗るんだね、と確認しながら。
千駄ヶ谷って、変な名前だと思っていました。
そういえば、
所ジョージは所沢の出身だから所ジョージなんだよ、
といとこに教わったことがありました。
じゃあ、せんだみつおは千駄ヶ谷の出身なんだろうか、と本気で考えていました。
さて、千駄ヶ谷の駅に着いて、
ちょっと迷って、東京体育館に行きました。
人通りはほとんどなく、チケット売場のお兄ちゃんに尋ねました。
「試合はどうなりましたか?」
「もう終わりましたよ」
えええええええ?! 終わったか・・・
予想していましたが、悲しいことでした。
どうしようか。
しばらく途方に暮れて、体育館のまわりを歩きました。
すると裏手の方で、
わかいおねーちゃんが二人、きゃーと黄色い声をあげていました。
二人がいなくなってから、何かなと見に行くと、
体育館の選手控室の窓がちょっとだけあいていて
金髪のすね毛が生えた選手の足が見えました。
「レンドルじゃないみたい・・・?」
せっかくここまで来たんだし・・・
そう思うと、やっぱり体育館の中に入ってみようかな
という気になってきました。
再びチケット売場のお兄ちゃんのところに行きました。
「チケットください」というと、
試合は終わっていますよ、と念を押されました。
あと男子のダブルスが一試合残っているだけです。
ダブルスにレンドルは出ません。
「それでもいいです」とチケットを買いました。
もう残っているチケットは、コートサイドの一番高い席だけでした。
金額は12,300円なり。
払えない額ではなかったので、買って体育館に入りました。
すると、会場は試合も何もしていなくって
何かを待っているみたいでした。
チケットで席番を確認して座ると、
なんと男子シングルスの表彰式が始まりました。
なんてラッキーな!!
向こう側からレンドルが出てきました。
うおおおおおおおお。
失神しそうでした。
レンドルはいろいろ賞状、カップ、記念品を次々と受け取っていました。
「優勝したんだ・・・」
そのうち、コート上に金髪のかわいい女の子が駆けてきました。
女の子は3歳くらいで花柄のワンピースを着ていました。
レンドルに駆け寄ると、レンドルは女の子をだっこしました。
会場では「かわいい」と歓声が上がりました。
ちょっとあの娘はなんだ・・・と不思議に思いましたが、
翌日の新聞によると、ほんとにレンドルの娘でマリカちゃんという娘だったそうな。
その日は、電車に間に合う時間まで体育館にいました。
おみやげにパンフレットとステッカーを買って来た道を引き返しました。
なんだかほかほかな気分でした。
それにしても、今考えると、初めて一人で新宿駅を歩くのは大変でした。
みんな、歩くのが速いんだもの。
地方出身の人が、東京に来てまずおどろくのは歩く速さだといいますが、本当にそうでした。
しかも、ホームがたくさんある上に人が多すぎて、
どこに行けばいいのかもわからなかったのです。
16:30の特急に乗って帰らなければと、急いでいました。
一度改札を出て、みどりの窓口で切符を買おうとしましたが、見つけられません。
とにかく改札に入らなくては、と自動販売機で入場券を買い、
東口改札に入っていきました。
ホームを目指してまっすぐ歩いていたら、
今度は西口の改札が見えてきました。
なんじゃ、こりゃ。
訳が分からなかったので、とりあえず通っておけばいいのかな、と入ると
入場券は吸い込まれてしまい、
「ありがとうございました」という表示が自動改札に出ていました。
えええ? なんでっ?
なんで、というか、当然なんですが。今考えると。
西口に出たら、みどりの窓口があったので、
あらためて切符と特急券を買いました。
なんとか特急に間に合い、
無事にいつも学校から帰る時間に家に着きました。
お母さんに、「今日、実は東京に行って来て・・・」と
予定通り事後報告すると
とてもお母さんはおどろいていました。そのうえあきれていました。
それもそうだよなぁ、と今の私は思いますが。
そのころは一生懸命でした。
最近ようやく、なぜ新宿駅で改札を何回も通ったのか、
わたしはあのとき、どこを歩いていたのか、判明しました。
なるほど。
1998年10月28日に開設した「チェコ人になりたい女の子のおはなし」というサイトのコンテンツをこちらに載せています。
こちらの話は当時回想して書いたもので、調べてみると、1993年10月17日のことだったようです。
記事には書いてありませんが、もうこの当時、レンドルはアメリカ国籍を取っていました。英検を受けた日だったのもご縁と思えばご縁なのかもしれません。
この出来事から30年近く経ちましたが、いま私はレンドルの娘さんのニコラさんのインスタをフォローし、レンドルと彼の娘5人がどんな生活をしているのかチラホラ見ています。
未来ってすごいね。
ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。