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さよならOK、チェコ航空の終焉

2024年9月9日、チェコテレビのウェブサイトに、来月ついに消滅するチェコ航空について詳しい記事が出ていました。
そういえば、私もチェコ航空にはご縁があったことをと思い出し、ここに書いてみることにしました。




意外とすごいチェコ航空

チェコ航空は、昨年100周年を迎えています。
なんと世界で5番目に古い航空会社で、1923年10月29日に初めての旅客輸送を行ったチェコのフラッグキャリアです。
チェコ語ではチェスケー・アエロリニエ(České aerolinie)、略称はČSA。

ČSAの真ん中の「S」は創業当時の名称 Československé aerolinie のスロバキアを表すSですが、チェコスロバキア解体後も同じ名前で呼ばれてきました。

第二次対戦以前、世界で指折りの工業国だったチェコスロバキアの誇りを担ってきた会社だと思います。
会社が元気だった頃には、ヨーロッパ各都市とのネットワーク、北米、中米や東南アジアなどの長距離路線も就航。
私が1997年になぜかタイの空港で乗り換えをした時も、バンコクからプラハにチェコ航空の直行便が飛んでいるのを案内板で見つけたのもいい思い出です。

謎の「OK」

飛行機の便名は「英字2文字+数字」で表されますね。
この英字2文字は航空会社コードなのですが、日本のJALだったら「JL」、ANAだったら「NH」です。
ANAは「日本ヘリコプター輸送」として生まれたことからNHとつけているそうです。
だいたいどの航空会社も名前の頭文字だったり歴史的経緯から二文字を定めているようです。

そんな中、チェコ航空のコードは「OK」。
なんでも、世界の航空会社が集まってこの2文字を決める会議が行われたとき、チェコ航空の出席者はどの2文字にするか全く考えていなかったとか。
どうするか聞かれたときに、「OK、OK、OKでいいよ」と答えたから「OK」になった、とチェコ人から聞いたことがあります。
どこまで本当かわかりませんが、このお気楽な2文字コードが、ついに10月に消滅するそうです。

私はチェコ航空に勤めていた

チェコ航空はかつて、東京・青山にも事務所がありました。そして、私はそこで短期間でしたが、働いていました。2001年だったと思います。

もともとその場所にはチェコ最大の旅行会社ČEDOKや、国の機関であるチェコ観光局があったようですが、私がバイトを始めたときは、どちらもなくなっていました。
残っていたのは、チェコのフラッグキャリアの日本での窓口業務を請け負っている日本の小さな会社「チェコ航空東京事務所」でした。

バイトでは、日本人観光客や旅行代理店のために、手書き(!)で航空券を書いたり、チェコ航空の子会社に連絡してホテルを予約したりしていました。
少し前まで観光局があった場所なので、パンフレットや観光資料をもらいに来る人も多かったですが、チェコ人マネージャーはそういう日本人を嫌っていて、私が応対すると「親切にすることない💢」と言ってました。

そんな強烈なキャラクターのチェコ人マネージャー、彼が事務所で飼っていた九官鳥など、そこでのエピソードも信じがたい、笑えるネタがたくさんですが、それはまた別の記事でまとめるとして。

このビルに事務所がありました


研修がてら初めてのスロバキア

チェコ航空で働き始めてまもなく、航空券予約の専用端末の扱いを習うため、プラハに研修に行ったこともありました。

業務に役立てるため、できれば周辺国も旅行するようにと助言を受け、ハンガリー、スロバキアにも寄りました。

ルフトハンザで初めてのブダペストへ。
その翌日、ブダペストから船でブラチスラバへ。

ウィーンまで運行する船でしたが、ブラチスラバで降りようとしたのは私と数人だけ。
船を降りようとしたら、私だけ「ビザはあるのか」と聞かれました。
「あります」と言ったら「じゃあまあいいか」という顔をされつつ、入国しました。

あのとき入国したブラチスラバの港はいまも健在

この時のブラチスラバ滞在もなかなか印象的ですが、それもまた別の機会に譲るとして…。

翌日、チェコ航空でプラハへ移動しました。
2001年当時はまだ本数がなかったブラチスラバの空港。その日は発着便は2本しかなかったような気がします。

空港までトラムで移動したけど、車内はガラガラ。
空港の職員はみんな人形のようで、声をかけても冷たい表情のまま。EU加盟前はチェコもスロバキアもそんな感じだったので特に驚くこともなかったのですが、あの共産主義の残滓であろう冷たい空気は、いまも忘れられません。

飛行機は2本しか飛ばないのに掃除係が妙にいろんなところにいて、空港はピカピカだったのもすごく覚えています。

スロバキア-チェコ間だなんて限りなく国内線に近い国際線だな、と思いながら乗りましたが、今回の記事を書くにあたりいろいろ調べていたら、チェコ航空の最初の旅客便がプラハ-ブラチスラバだったみたいでした。
あのルートだったんだな。

プラハのあのへんで研修

さて、プラハです。
チェコに入った観光客が、空港からプラハ市内に出るのにバスを使うケースはいまだに多いかと思いますが。
バスは、空港を出てすぐに「ウ・ハンガール(U hangáru)」というバス停に止まります。
hangárは飛行機の格納庫のことで、あの敷地の中には研修施設もありました。
そこで私も一週間ほど研修を受けたのでした。

研修最終日に大きな倉庫がいくつかあるのに気がつき、眺めていたら、髪の長いチェコ人の男性がニコニコしながら「あの中に飛行機があるよ」と教えてくれました。

あちこちチェコ航空

私が働いていた2001年ごろ、チェコ航空はスカイチームというアライアンスに加盟したところでした。
名刺に新しくロゴを入れたり、スカイチームの各社とのイベントがあったりしました。

スカイチームは2000年にエールフランス、デルタ航空、大韓航空、アエロメヒコ航空が設立した航空会社連合で、2024年現在は19社が加盟。
チェコ航空は、立ち上げメンバーの4社につづき、2001年に5番目のメンバーとなっていたそうです。

ちなみに日本の航空会社はJALがワンワールド、ANAがスターアライアンスに所属していて、チェコ航空との結びつきはとくにないままでした。

日本とチェコの直行便ができたりしませんか、とワクワクした瞳のチェコファンからときどき質問されますが、チェコ航空が弱小な航空会社であることに加え、このアライアンスの問題もあっていまだに実現していません。

「民主化」「経済の自由化」とかんたんに言うけれど

世界で5番目にできた歴史ある航空会社でありながら、近年はチェコ航空が弱小だったのにはいくつか理由があります。

いくつかと書きましたが、それらを突き詰めるとチェコの政治、ということになるでしょうか。

1989年のビロード革命で共産主義から脱却したチェコスロバキア。
共産党の一党体制が終わり、すべての財産が国の持ち物から民衆の元へと戻ることに。

チェコ航空も「経済の自由化」のもと、ソ連の機体を西側のものに順次換えていき、1992年には株式会社となります。
エールフランスの資本が入り、チェコ航空も民営化かと思われましたが、エールフランスの経営悪化から頓挫。

民営化されずに国家予算や政治家たちの采配と離れることができなかったわけですが、働いている人たちからすると、世界の航空業界の賃金レベルでお金を払うことが期待されることに。

折しも2000年ごろからの燃料費の高騰、LCCの台頭により、実際になくなってしまったフラッグキャリアもたくさんありました。
実際に似たような境遇だったと思われるマレブ・ハンガリー航空は2012年に消滅、スロバキア航空は2007年に事業停止していました。

チェコ航空にとってもそこまでの柔軟な経済力は難しく、会社の舵取りをするはずの議員たちも頼りにならず、パイロットや従業員の大規模なストライキも行われました。
2009年、チェコ航空も2009年に35億コルナ(約180億円)というこれまでで最大の損失を出しています。
トップの交代、リストラ、政界スキャンダルなどにより、チェコ航空は潰れるのではないかと言われていました。

プラハの空港にいたクルテクと私。


延命ののち、LCCの傘下に

それでもありとあらゆるものを売却し、買い手を探し、2013年にチェコ航空は大韓航空に売却されました。
ここで待ちに待った民営化、ということになりますが、もうこの段階では明るい未来は期待できなかったような気もします。

2000年代後半には、韓国ドラマで「プラハの恋人」がヒットするなどの要因もあって、プラハには韓国からの団体ツアーが一気に増えていました。

当時、プラハの空港の案内板には、チェコ語・英語のほかにハングルも並ぶようになっていました。
あれは大韓空港が筆頭株主になったからだったのですね。

当時の記事によれば、このときチェコ政府が大韓航空から受け取ったお金はわずか6750万コルナ(約3億4000万円)。
その頃にはチェコ航空が所有していた貨物ターミナルも格納庫もすでに売られてしまっていて、買ってもらえるものがほとんどない状態だったようです。

わずか4年後の2017年に大韓航空は撤退。
2018年、チェコ航空は2004年設立のチェコのLCC「スマートウィングス」が所有することに。
「スマートウィングス」はLCCですが、現在はチェコで最大の航空会社です。
いっぽうチェコ航空は航空機を2機しか所有していない小さな航空会社(なんか4機注文しているらしいですが)。
…時の流れを感じます。

日本からはなかなか使いにくかったチェコ航空

考えてみると、私自身もチェコには行くものの、最近はもうウィーン発着便ばかり利用していて、チェコ航空とは縁遠くなっていました。

ウィーン発着に比べてプラハ発着の航空券の価格が数万円高いこと、プラハよりモラビアや南ボヘミアに行くことが増えたこと、スカイチームの飛行機に乗るとパリやアムステルダムに連れて行かれてプラハに戻る形になるのがロスに思え、大韓航空に乗ると帰りの便でソウルの乗り換えが6時間くらいあること、などなど。

チェコ航空に乗るのはまあまあハードルが高い状況で、どうしても乗らなければならない状況にもなりませんでした。

それでも同じスカイチームのKLMオランダ航空やエールフランスを使ったときにはプラハ便がチェコ航空の機体だと、スペシャルな気分だったものでした。
プラハの空港に到着して飛行機を降りようとすると、チェコ航空の機内で何故か流れていたスティービー・ワンダーの曲。
シートに液晶画面がついていることはなかったけれど、シートベルトをお締めください、などの注意書きがチェコ語で書いてあったこと。
なつかしいですね。

チェコ航空はスマートウィングスのおかげで2020年から始まるパンデミックの危機を生き延びたものの、2021年3月に債務超過で破産、財政再建を迫られていました。
そして、その結果、今年10月からチェコ航空の機体はスマートウィングスのコードQSとなって飛ぶことに。

空港の発着でOKコードが見られるのは2024年10月27日が最後です。

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Hatsue Kajihara
ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。