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フラバルゆかりの街ニンブルクへ(旅の4日目)

今は昔、2014年にボフミル・フラバル翻訳コンテストがあった。

ボフミル・フラバルというのはチェコの20世紀を代表する小説家として挙げられる人物で、日本語でも翻訳が出ている。
彼の作品を原作にした映画もたくさんあるし、どの映画作品もチェコで広く知られる名作だ。

2014年はそんな彼の生誕100年。記念のイベントの一つが翻訳コンテストだった。

当時わたしが月2回行っていた福岡チェコ語教室のクラスで、生徒さんがこのコンテストに取り組んでいらしたが、コンテスト終了後、ぜんぜんわからなかったから解説するクラスをやってほしいとリクエストをもらった。

フラバルの文章は、むずかしい。
チェコ語の話し言葉がベースで書かれていて、ネイティブには楽しめるものでも、教科書しか読んだことのない学習者にはわからないことがたくさんだ。
課題となった短編に目を通すと、私たちのチェコ語の力以前に、描かれている20世紀初頭のチェコスロバキア時代のディテール、チェコ独特のビールの飲み方など、ゼロから調べないとわからない、日本語では調べきれないものがたくさん出てくる。

クラスで解説すると、生徒さんたちも「そりゃわからないはずだ」という反応になり、自然と「もっと読みやすい小説を読んでみたい」という話になった。

そこで私が興味があって購入した本を試しにみんなで読んでみたら、「なんてわかりやすいんだ」という感想をもらい、続けて読むようになって8年、9年経った。
それがいまも開講している「チェコ語小説講読」のクラスである。

その作家の新作小説が10月に発表され、著者本人による朗読会があるというので、行くことにした。
朗読会はプラハから電車で東へ1時間ほどのニンブルクという町だ。
もともとその日はプラハにいる予定だったので、足を伸ばすと行ける距離である。…これは行ってみようと決めた。

ニンブルク。それはボフミル・フラバルゆかりの街でもある。

ビロード革命記念日の翌日。11月18日。

早めに出かけてニンブルクの街を散策してみてもよかったのだが、なんとなくのんびりしていて、私がニンブルクに着いたのはイベントまで2時間くらい前のタイミングだった。

初めて来る街だが、駅から中心に向かうとクリスマスの飾りが少しだけあって、かわいいと思った。

クリスマスの飾り

雨上がりの道を駅から中心部まで歩く。
イベント以外に特に目当てのものはなかったが、フラバルゆかりの街だし何かあるんじゃないかとGoogleマップで「hrabal」と入力。
出てきたのが、「Hrabalovo posezení(フラバルのベンチ)」。
川を渡って徒歩10分くらいで着けるようだ。

あとでこの辺りにお住まいのチェコ人の知人と話したら、ニンブルクはラベ川が本当に綺麗なところだと言っていた。
川幅が結構あって、そこを渡る歩行者用太鼓橋があり、そこを渡った。確かにきれいで何枚も写真を撮った。
iPhoneの補正がかなり効いていて、写真はよく撮れているが、実際は雹が降っていて、空は曇り。16時すぎでかなり暗く、目の悪い私にはいろんなものがおぼろげだった。

Googleマップを頼りにして川沿いの道を進むと、急に開けた場所が出てきて、川がよく眺められそうな空間が出てきた。そこにテーブルとベンチ。

近づくとベンチの上に何かのっている。しかし何しろ暗くてよく見えない。
誰かの忘れたマフラーかしら?と思っておそるおそる近づいた。

ベンチという名前だったが、テーブルもある。何かがのっている。

薄暗い中、テーブルに近づいてみると、それは猫だった。
やだ、かわいいじゃん。
ちょっとだけ空も晴れてきた。本当にちょっとだけ。

ここで間違いない。

猫の下に「Hrabalovo posezení」というプレートがある。2009年の作品で、ミハル・ヤーラさんという方が作ったものらしい。
とりあえず猫を撫でる。何かのご利益がありそう。

テーブルのまわりをぐるっと回ると、机の反対側にまだ2匹の猫がいて、薄暗い中で見つけるたびにびっくりした。

ぜんぶで3匹。

そして、テーブルの反対側に立つと、そこから見える住宅に「フラバル一家の家」という看板があることに気づいた。
家の中には灯りがついていて、どなたかがお住まいのようだった。
あまり図々しく写真は撮らなかったが、庭があって緑に囲まれたきれいな一軒家だ。

フラバルのおうち。

ニンブルクには、フラバルの父親が工場長を務めていたというビール醸造所があり、フラバルの小説にも描かれている。
そして、現在はフラバルの小説「Postřižiny(剃髪式)」から名前をとったビールを製造している。

せっかくニンブルクに来たんだし、やっぱりビール工場を見ておかないとなー。
夕暮れというには暗くなりすぎた17時少し前になんとなく思う。

わたしは事前にいろいろ調べておいていざ行動するタイプだが、ニンブルクについては申し訳なくなるほど事前調査のないまま。
場当たり的にGoogleマップを見てビール工場の方向へ歩いてみる。

暗くなってきたこともあるし、イベントの時間もあるし、事前調査もないし、旅行4日目でいろいろ判断力も落ちていたのであろう。
街の中心から離れ、工場のある方向へと歩いていたが、途中から工場と反対側に向かって歩いてしまっていて、慌てて戻ったりした。

たぶん、この建物が工場ではないか?
暗くてよく見えないが、17時まではおそらく工場は稼働しているのではないか。守衛さんのブースに灯りがついている。

でも、守衛さんに何か聞くほどのこともない…。
工場の門の向こうに見えるトラックの駐車スペースのマークがかわいい。

上手に描けてますね。

「暗くて何も見えないし、別に中にも入れないし、そろそろ街の中心に戻るか…」と振り返ると、振り返ったところにあのフラバルのビールのロゴが見えた。

フラバルのビールのロゴだ。

あれ?

Googleマップを見て確認すると、いま自分がビール工場だと思っていた建物がペンキ工場だと気づいた。
あれあれ?

道の反対側にある敷地に進んでみると、そちらがビール工場のようだった。
あら…。

こっちが醸造所のようで、小さいパブがあった。

暗くてよく見えない中、小さいパブがあって、自転車が何台もあった。近所の人や工場のスタッフがちょっと呑むような場所なのだろう。

ここにアジア人の低身長で下戸の女がノコノコ入るのは気が引けた。
遠くから写真を撮り、ビール工場だとわかるものがどこかにないか探したが、残念ながら見つからず。

いったん敷地の外に出ると建物が見えるが…。

工場のすぐ脇には線路があって、ここからビールケースに入ったフラバルのビールが出荷されるのを想像した。

確か工場の壁にはフラバルの顔が描いてあったような気がするのだが、わたしの記憶が補正されているのかもしれない。

そのまま工場を左手に見ながら、来た道を引き返して、街の中心へと戻った。
何しに来たんだろうという感覚もないではなかったが、この道を歩いていることはプラスだ。フラバルもおそらく暗い中歩いていたこともあったであろう、この道、この街の雰囲気。

街の中心にあるニンブルクの広場は、車が通行できる。
時間帯のせいか交通量もあって、道を渡るときも注意しなければならず、周囲に建物はあるが、これといった見どころはないようだった。
暗かったからわからなかっただけかもしれないけれど。

いちばん大きくて目立っていたのが広場に面したところにある中華料理店で、それもなんだかよくあるチェコの地方の街という感じだった。
2000年代、チェコの多くの街では、街の一番いい場所にあるレストランがなぜかみんな中華のレストランになっていった。

今回の朗読会を主催しているニンブルク市の図書館の入り口に入ってみた。
この図書館は、2024年のチェコの最優秀図書館に選ばれて、先月表彰されているのだ。

アーケード脇の看板をくぐると、入り口までのアプローチに掲示板がある。
図書館を利用するほどの時間はないが、もしかすると入り口からでもその片鱗が見られるのではないか。

なんだろう、この親しみやすさ。

通路の左手にある掲示板には、前日11月17日の「自由と民主主義を求める闘争の日」にあわせて、1989年のビロード革命の時の実際のポスターが飾られていた。
「1989 奇跡の1年」というポスター展だった。
何枚か写真に収めたので、ご覧いただけたらと思う。

「1989、奇跡の一年」
「市民フォーラム」のポスター「ヨーロッパへ戻ろう!」
「ハヴェルをプラハ城へ」。これは有名なポスター。
「真実は勝利する」

1989年のビロード革命は、特に日本ではもう「歴史」として語られるけど、こうして実際にチェコに来てみると、確定した歴史ということよりも、ビロード革命を実現させるために、長きにわたって、たくさんの人の知恵や努力、そして犠牲になった人がいたことを思い出させる。
そして、実際にビロード革命が起こったのは「奇跡」というべき、当たり前ではない、感謝したくなるような本当にすばらしいことだったんだという気持ちになる。
それを成し遂げたチェコ人、スロバキア人。そしてそれに心を打たれた日本人、世界の人たち。

ビロード革命がなかったら、おそらくすべてのチェコ人がいまと違う人生を歩んでいたであろう。
フラバルのベンチもなかっただろうし、広場の中華レストランもなかったかもしれないし、プラハにあるおしゃれカフェなんてどれもなかったことだろう。

そんなことを思いながら、朗読会の会場でもある図書館の向かいのおしゃれカフェに入って、朗読会が始まるまであったかいコーヒーとインディアーネクというスイーツを食べた。

インディアーネク大好き。

朗読会の様子はまた別の日記に。

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Hatsue Kajihara
ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。