とにかくプラハを巡る(旅の6日目)
先月2024年11月チェコ旅行の日記をまとめていますが、6日間もプラハにいたなんて贅沢だったなーと思い出しています。
でも、旅行中はぜんぜん足りないように感じていました。
ここに執筆した11月のこの日のことを思い出すと、とくに寒い一日だったなと思います。
日本大使館の近くに「ハヴェルのベンチ」
この日は、かつての生徒さんであり、もうほぼ友達と言っていいと思うんですけど、という間柄の日本人のCさんが南ボヘミアからプラハに用事を兼ねて会いに来てくれました。
日本大使館前で待ち合わせ。
少し早く着いてしまって、周囲を少し歩いてみると、「ヴァーツラフ・ハヴェルのベンチ」と呼ばれるテーブルセットがありました。
ビロード革命記念日直後ということもあり、鳥や手紙のオブジェだけでなく、リボンも飾られていていい感じでした。
木をぐるりと囲むテーブルと2脚のベンチは世界のいろんなところにあるようで、日本だと広島修道大学にあるようです。
アンガールズ山根さんの出身大学だ。
日本の大使館はチェコでもスロバキアでも首都の一等地にあります。
日本という国のこれまでの足跡がそれなりに評価され、信頼されているのを感じます。
いざ、プラハのラーメン最前線へ
その後、Cさんのリクエストでラーメン屋さんへ。
「麺処 匠」という日本語のお店で、メニューも日本語があります。
チェコでおいしい日本食を探し求めるCさんが来たがるくらいなのできっとおいしいはず。
私は札幌味噌ラーメンというメニューで349kč(約2260円)。
円安ということもあって高いですが、プラハで日本食を食べるということは昔からこれくらいするような気がします。
ラーメンは世界中で人気ですが、チェコでも何軒か信頼できるおいしいラーメン屋さんができてきました。
そんなにラーメン食べたいわけではないですが、この遠く離れた地でも日本食があるとそれだけで心強い気持ちになります。
国立博物館、パラフのモニュメント、ヴァーツラフ広場
Cさんとの短い逢瀬のあと、午後は最後のプラハ散歩へ。
まずはたまたま来たトラムに乗ってMuzeumまで。
じゃーん、国立博物館です。
今回の旅行で、ビロード革命に至るまでにプラハが受けた有象無象の傷の数々を知ることになりました。
そして、私にとっていちばん印象的だったのは、プラハの春のときにこの建物に戦車が攻撃をして傷ついていたこと。
2011年からの長い修復ののち、2018年に再オープンした国立博物館ですが、この街のシンボルの一つともいうべきこの建物がワルシャワ条約機構軍に傷つけられていたのを思うと、何年かけてでも直したかった気持ちもわかります。
映画の中で使われた過去の映像ですが、見た瞬間、なんだか私まで「あぁっ、なんてことを…」という気持ちになってしまいました。
ヴァーツラフ広場の突き当たりにそびえるこの建物が、プラハに来るたびのランドマークになっていて、私にとっても毎回のチェコの記憶の片隅にずっとあったものだということを思い知らされました。
そして、このタイミングでここに来たからには、ヤン・パラフのモニュメントも目に焼き付けておこうという気持ちに。
私がかつて会社員をしていたとき、チェコ語専攻卒という私の経歴に総務部の部長が何かと声をかけてくださっていました。
そして、あるとき年末年始にチェコ旅行に行くとき、部長は
「ピラフ君によろしくね!」
と私に声をかけてくれました。
ピラフ?と思っていましたが、あれはまちがいなくヤン・パラフのことで、部長の世代の大学卒の男性は、みょうに1968年のプラハにシンパシーを抱いている方が多いことを感じさせられました。
プラハの春事件についても、ヤン・パラフも、東京オリンピックのチャースラフスカーも、あの時代に生きていた日本人たちは、当時から今に至るまですごくチェコスロバキアに共感を覚えているのだとチェコ人に伝えたいなとよく思います。
ヴァーツラフ像と博物館も一枚におさめてみました。
ランドマークがあるのでだいたいいつも写真を撮っていて忘れがちだけど、このあたりはかなりの急な坂だということに改めて気づきます。
みかんを置いたら拾えないスピードで転がりそうな坂です。
ビロード革命の現場となったヴァーツラフ広場を寒い中、下っていきました。
本気で寒かったので途中のH&Mに入って、ロングニットも購入。
チェコで買うニットは安くてもあったかさはまちがいないと思っています(が、やっぱり寒くなってきた自宅でもずっと着ています)。
チェコのスイーツ屋さん「クネドリーン」
そのあと、もうコロナ前から目をつけていて、一度も来たことがなかった「クネドリーン Knedlín」へ。
チェコの茹でパンとして知られるクネドリーキをデザートにしたお店です。
お店に入るとかわいい色合いの丸いクネドリーキが並んでいます。
大きさはまあまあ大きくて、拳ぐらいあります。
開店当初はInstagramなどもセンスがあってお店に気合と勢いを感じましたが、最近はどうなんだろうと思っていました。
案の定というかなんというか、私がカウンター前に立っていても誰も動かず。
どこで誰に注文したらいいのかよくわかりません。
よくみるとカウンターのすぐ向こうに背を向けて座っている人がいたので、声をかけると、私には返事をせずに奥にいたスタッフを呼んでいます。
…あらら。
そんなにいい店ではない感じがひしひしと。
まあ、チェコでよい接客とか感じのいい店なんかを求める方がまちがっているのは知っています。
そんなにすべてがいい感じで進んでしまうほうがおかしい気もするので、とりあえず予定どおり注文。
イートインの2階席をめざすと、渡された木の板でできたトレイが大きくて重すぎて、身長155センチの私にはまるで何かのトレーニングのよう。
一緒に頼んだアメリカーノを盛大にこぼしながら席へ。
んもー、なんだよ、この店。
なんとか席につき、クネドリーキチョコレート味と向かいあいます。
本当は別の味がよかったけど、なんか店員の雰囲気に負けて、確実に美味しそうなやつに妥協してしまった気もする。
そんなことを思いつつ、クネドリーキにナイフを入れてみたところ、思いがけない勢いと量でチョコクリームが出てきました。うわっ。
「出血か」と思うほどドクドク出てきました。焦った。
味はおいしかったです。わるくはない。
でも2つは食べられないかな。ボリュームとパンチのあるスイーツでした。
ナーロドニー通りで現代史を感じる
そのまま4日前に歩いたナーロドニー通りを、4日前の記憶とともにもう一度歩いてみました。
さすがに道路をふさぎそうなほどの蝋燭は片付けられていましたが、まだ少し生気のある花束が辺りを飾っていました。
このころ、日本ではH県知事の選挙の件で、反吐の出るようなニュースがつづいていました。
しかし、私はプラハで11月17日を経験したことで、届こうと届くまいと信じることを言葉にする大切さ、そして政治に絶望していたとしてもかんたんにあきらめることがさらなる暗い道へと押しやってしまうということを私はなんだか確信していました。
チェコは60年近くかけて、政治をなんとかしようとしてきて、2024年のいまなんとか民主主義が実現した社会を生きている。
決して戻らないようにするにはどうしたらいいか、みんなが考える機会を作り、言葉にしている。
それを目にした後だから、日本だって、変な政治家が出てきてかりに数年統治したのだとしても、それくらいで自由や生きることをあきらめる理由にはなりえない、と考えることができます。
私たちふつうの国民が、市民が、自分の住む国や自治体の将来に向けて、何をどう選択するのかを考えられるくらい、広く学び、ときに疑いながら、人と議論しあって、最善をつきつめて考えられるくらいの、根気のある思考の力をもたなくてはいけないのだと思うのです。
そう思うと、日本はまだまだやるべきことがあるし、自分も生きるうえで続けるべきこと、進むべき方向があるように思えてきます。
そして、チェコから学ぶことだってできる。
日は暮れていくけど、まだまだ歩いておこうとプラハの観光地を進みます。
旧市街広場からカレル橋へ
プラハ観光に来たらかならず誰もが訪れる旧市街広場へ。
17日のビロード革命記念日のイベントの後、広場はがらんとしていました。
11月の最後の日曜日からはクリスマスツリーとクリスマスマーケットが立ちますが、それまでの静かな広場を堪能。
旧市街広場からカレル橋へ。
このエリアは「王の道」と呼ばれる昔からの観光地で、今も昔もマトリョーシカやモフモフの帽子を売ってる店がたくさんあります。
私は初めてのプラハからずっと、こういう店には警戒していて、入ることも気を配ることもありませんでした。
だってマトリョーシカをプラハの一等地で売ってるのは明らかにおかしい。
私はチェコ人に興味があってチェコに来ているのだもの。
プラハに行った人から「マトリョーシカってチェコでも名物なんだね」って言われたことがありましたが、そんなことないですよ、あれはロシア人が店をやってるだけなんですよ。
通常の旅の疲れもありますが、石畳を歩くというのは予想以上に疲れるものです。
様子を見つつ、気をつけつつ、このカレル橋に向かう直前の道路ではトラムに轢かれないように気をつけなくてはなりません。
実は、この日20時からのコンサートのチケットをとってあり、それまで宿に戻らずにプラハをうろうろしようと思っていました。
でも、寒いのにまだ慣れていないし、歩き疲れてしまうと肝心のコンサートで寝てしまう可能性があるので、ペースに注意しながらのお散歩でした。
夜のプラハ城なら入場無料でひとりじめ
日は暮れたけど、焦る必要はないと言い聞かせて、トラムでプラハ城へ。
じゃーん。
昼間は観光客が並んでいるプラハ城も、散歩するだけなら夜が快適です。
聖ヴィート教会の中では何かイベントをしているようで、かすかに音楽が聞こえる中、周囲を歩いたり、写真を撮ったり。
さらにプラハ城の中を進むと、外に出る前にやっぱり黄金小路のカフカの家を通っておきたくなります。
17時まではチケットがないと入れない黄金小路もこの時間帯はノーチェックで入り放題。観光客もまばらです。
一人で歩いていると、かつてここを歩いた時のことが思い出されます。
とくに、初めて来たとき、黄金小路入り口にある小さな売店で、大学のクラスメイトと遭遇したことがありました。
チェコ語専攻なんて15人しかいなかったのに、そのうち4人がここにいたのだからすごい偶然だったなと思います。
でも、その頃は観光客もいまほど多くなかったから、すぐ見つかったんだろうなという気がします。
黄金小路に入ると、No.22の青い壁のお家がフランツ・カフカが住んでいたという家です。ここだけはまだ営業していました。
プラハ城のあるフラッチャニの丘から、プラハ市内の夜の風景をパチリ。
他に人もいないので独り占めです。
プラハ市図書館のブックタワーとカフェでの休憩
まだ2枚目の市内交通の3日券が有効なので、一駅だけ地下鉄に乗ってまた中心へ。
プラハ初日に長い行列ができていたプラハ市図書館のブックタワーを見に行くと、この日のこの時間はそこまでではないけれど、まだまだ列ができていました。
近くの知っているお店はどこももうこの時間は閉店していたので、図書館に併設されているカフェでコーヒーと軽い腹ごなし。
食事の提供はもう終わっていたので、あったかい飲み物とショーケースにあったデザートをいただくことに。
このデザートはメニュー名も表示されてなかったので、「ヨーグルトみたいなあの白いデザートください」と伝えたら、パンナコッタでした。
上に載っているのはキャラメリゼされたピーナツとレーズン。
ここでnoteを書いたり、本を読んだりして時間をつぶし、19時をすぎたころ、本日の、そしてこの旅のメインイベントのためにルドルフィヌムへ向かいました。
本気のルドルフィヌム
「のだめカンタービレ」でも使われていたチェコフィルの本拠地ルドルフィヌム。
中にドボルザークホールがあり、チェコフィルハーモニー管弦楽団の本拠地になっています。
チェコでコンサートというと、みなさんそれなりにドレスアップして参加するのですが、私は席も端っこだったのでカジュアルすぎないように暗めの服でまとめて、いちおう気を配ったつもりでしたが…。
この日は「Prague sounds」という11月3日から始まっていたビロード革命記念日に合わせた音楽イベントの最終プログラムだったようです。
来場者に有名なチェコ人の映画監督や女優さんが来ていらっしゃいました。
「ああ、知ってる人だ!」とか思いながら自分の席へ。
他にもみなさんドレスアップしていて、じつに見事でした。
席について、身長180cmくらいある係員のお兄さんにお手洗いの位置を尋ねると、そのお兄さんは初心者だったようで震えながらトイレの位置を教えてくれました。
このコンサートはアルメニア人ピアニストのティグラン・ハマシアンのソロコンサート。
今年はこの人は日本に来なかったので、どこかでライブやってないかなと思って何気なく公式サイトを見ていたところ、プラハでコンサートがあるというので、それに合わせて私もチェコに来る予定を立てたのでした。
結果的に、ティグランのコンサートの前にチェコの歴史をおさらいするような旅路になり、不思議なものだと思いました。
ありがとう、ティグラン。
カレル大学の前で黙祷して
コンサートの後、このあたりのバス停から宿のそばまでバスで一本で帰れることがわかり、バス停へ。
カレル大学哲学部の入り口を通り抜け、去年2023年12月21日にこの建物で銃撃事件があったことを思い出す。
14人が犠牲になったあのセンセーショナルな事件からもうすぐ1年が経ちます。
すぐそばのバス停から黙祷。
こうして、私のプラハ滞在最後の24時間は幕を閉じました。
6日間もいたのに、まだまだ行けてない場所もありますが、とりあえずプラハには「またね」です。
(追記)
この日、そういえば写真展を見に行ったのを別記事にしようとしていたのでした。
あらためてまとめるつもりなので、プラハの番外編をそのうち投稿したいと思います。
次回、モラビア編に続く。