それは、一冊の本から始まった
今日は、久瑠式トレーニングに関心を持つきっかけとなった一冊の本との出逢いについて書いていきたいと思います。
『人生は、「本当にやりたいこと」だけやれば、必ずうまくいく(幻冬舎)』という久瑠あさ美先生の本を手にしたのは、初めて先生のトレーニングを受けることになる、半年ほど前でした。
なぜ、数ある先生の本の中からこの一冊を選んだのかを振り返ってみると、タイトルにある「本当にやりたいこと」という言葉に、心のセンサーが反応したからだったように思います。
先の記事にも書かせていただいたように、私は人生に熱くなれない自分、一時的なモチベーションで動けることはあっても、またすぐにエネルギーが枯渇してしまう自分に嫌気がさしていましたから、この本からその答えが見つかるのではないかと期待していました。
本を開いてみると、早速こんなことが記されていました。
『よく「頭ではわかっているんだけど、体がなかなか動かない」ということはありませんか。
これは顕在意識が司令を出していることに対し、潜在意識が拒否反応を起こしているのです。いわば頭と体、そして心がバラバラな状態なのです。
頭で考え、心が納得しないまま無理やり行動しようとしても、なんだかモチベーションが上がらず、結局は動けなくなってしまいます。
心の9割以上を占める潜在意識の領域にアクセスし、潜在意識の力を利用することで、私たちは今以上の力を発揮できます。
たとえば、一流と呼ばれるアスリート、アーティスト、クリエーターは、皆そのチカラを使っています』
さらに、その潜在意識が活発に動き始めるためには、
顕在意識の制約を取り払い、無意識の領域の奥に隠れてしまった「こうしたい」「こうなりたい」という素直な欲求、すなわち“want”を表舞台に引っ張り出すことが必須であること、それを実現できるのが・・・、久瑠式トレーニングであることが書かれていました。
『"want"に従い、"want"の実現へ向かって無心で取り組んでいると、たとえ困難があったとしても人生は楽しく、充実したものになります。
ところが、私たちは気づかないうちに、「こうしなければならない」「こうあるべきだ」といった義務感や世間の常識などで自分の"want"を縛ったり、抑えつけたりしています。こうした"want"を縛ったり抑えつけたりしている制約を"have to"(ハフ・ツー)と呼びます。
"have to"が強くなると、やる気が出なくなったり、本来の実力を発揮できなかったり、人生がなんだかつまらないものに感じられたりします』
ここまで読んで感じたことは、これまで自分がwantだと思っていたものは、もしかしたら"have to"だったのではないか。いったい私の中には、どんなwantがあるんだろう。そもそもwantがよくわかっていないのではないか。
こうしたい、ああしたいという「夢リスト」のようなレベルのものはものはいくつか書き出すことはできるけれど、改めて並べてみると、それは嘘ではないがピンとはきていないような、まさに頭と心にズレが生じている感覚が、在るような気もしてくる。
頭では、「これは私のしたいことなんだ」と認識しているのに、心が反応してくれない感じ、それどころか実は少し、重苦しく感じていたかもしれません。
もしかして、私にはwantがないのだろうか・・。
そんな疑問と不安が胸の中に渦巻き始めるのと同時に、もしこの先生にお会いすることができたら、この謎が解けるかもしれない、この久瑠先生という人はその方法を知っているのではないか・・と希望が芽生えたような気持ちになったのを覚えています。
なぜ、一冊の本を読んだだけで、心がモゾモゾと動き出してしまうのでしょうか。
そしてその感覚に留まることなく、著者の先生にコンタクトを取ろうなんて、今までしてきたことがありませんでした。私が、私自身のことを知るために───
先生の本を読むと、自分自身に対して、疑問が次々と湧いてきます。
”私”という人間を、もっと知りたくなってくるのです。
本の中の文字を読んでいたはずなのに、いつの間にか自分と、人生と、対話が始まっているような気持ちになります。
そして時には、読み途中の本をそっと閉じて、自分への問いかけを始めたくなる。今、私は何を感じているのかを探りたくなってくる。心のエンジンが動き出したように、ソワソワしてくるのです。
この、自分の内側がざわめく感じを、どのように表現したら良いでしょうか。
先生の元には、私のように本を通して先生の世界観を知り、思わず逢いにきてしまった、気づいたら飛行機のチケットまで取っていた、という方がたくさん訪ねてこられるそうです。
「あなた(読者)の明日が、本当に変わること」
これは、先生が本を書かれる時に、いつも掲げられているメッセージです。
その想いは目には見えなくとも、やはり届いてしまうものなのだということを、たくさんの方が証明しています。
・・・
私は久瑠先生に出逢うまで、自分を変えたい、人生のヒントを得たいと思って、積極的に情報を取ってきた方だと思います。
ピンと来た人に会いに行くこともありましたが、今改めて自分を省みてみると、その動機は胸を張れたものではありませんでした。
どこかで、その人の地位や人脈、華やかな生活、持っている能力に、期待していなかっただろうか。その人が何かをしてくれることを望んでいなかっただろうか。わたし、ちょっと、感じの良くない顔をしていたかもしれないな、・・表面的には、一見真面目そうな仮面を貼り付けながら・・。
そしてその相手もまた、自分が物理次元で持っているそれらものを武器にして、アピールしていたように思います。
結局のところ、私もその人たちも、同じ次元にいたのでしょう。
一方で、不思議と先生に対しては、俗的なものを取りにいこうとは、まったく思いませんでした。
そういう思いが私自身になかったというよりは、最初から与えてもらうものが余りに大きかったからで、またそれは透明で掴みようのない美しいものだったからだと思います。
久瑠先生に出会う前の自分がいつもやってきた「この人の持っている何かを与えてもらったら、自由になれるかもしれない・・!」そうやって闇雲に手を伸ばしてきた自分とは、心持ちが全く違ったことをはっきりと覚えています。
なぜその違いを感じていたのかは、当時はまったくわかりませんでしたが、今となってみれば当然のことだと受け止めています。
そもそも、先生の在り方が、物理次元のいわゆる損得の世界、奪い合う世界とはまったく別次元に存在しているのですから。
先生に出逢うまでの私は、何かの本を読んでも、誰かのコンサルを受けても、講座を購入してみても、本当の本当は、変われていなかったのだと思います。
努力することで人生が上向きになることはありましたし、実際に手にしたものもありました。人生が驚くほど変化した部分もありました。
けれど、それは表層的なもので、たとえ取り巻く環境や状況が変化したとしても「私自身」はずっと同じ場所にいたのです。はっきりと、今、そう断言できます。
その事実を、いつも心の片隅で、うっすらと感じてはいました。
でも、その事実を認めてしまったら、これまでの自分を否定することになる・・。それが、とてもとても怖かったのです。
費やしてきた時間やお金、一心不乱に頑張ってきた自分のエネルギー、選択と決断をしてきた自分の想いも、ぜんぶ・・。
そうやって過去の自分のしてきたことにしがみついて、ありのままの自分をちゃんと見てこなかったこと自体が、実はとても勿体ないことだったと気づき始めたのも、先生との二人三脚のトレーニングで、視点を高め続けてこられたから・・・。
いつからだって、新しい自分を選ぶことはできるのだということを教えていただきました。そのために必要なものは、「自分を信じる」ことなのだと。根拠のない自信、勇気だけなのだと・・・。
「今までがどうだったかは、あなたの未来には関係がありません。これからどうしたいのか、これからどう在りたいのか。それが大切です」
「迷ったらできるかできないかじゃなく、したいかしたくないかで選んでみるのです」
先生はそれが当たり前であるかのように、目の前にいる人がどんな状況にあったとしても、その人以上にその人の未来を心から信じ、言葉を投げかけてくれます。
その在り方そのものが、相手の中にある勇気を引き出してゆく・・・。
そうやって、先生はいつでも、私たちの”未来”に語りかけ続けてくれています。
それがどれほどのことなのか、これまでの人生において経験したことのなかった私自身のこの体験をお伝えしていきたいと思います。
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