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【先生の本から学ぶ!】愛想笑いは、ごまかしの最強の武器。

今日のテーマは『愛想笑い』です。

一見、私にはあまり関係がない話だなと判断しそうになりましたが、「私は愛想笑いなんてしていない」と思い込んでいただけだったと、先生のANSERを読んで気がつきました。

どのテーマ、どの角度の話であろうと、先生の言葉はすべての人の心に届くように、そのようになっています。

たとえば、『メンタルトレーニングで美人は創れる(宝島社)』という本は、女性だけが読む本ではありませんし、
『空飛ぶゴルファー(ゴルフダイジェスト社)』という本においても、ゴルフをしない人が読んでもとても勉強になります。

それができてしまう理由は、先生がそのもの、人、こと、のすべての「本質」を捉え、個人的な意見や持論ではない、自己を超越した領域から言葉にしているからこそです。

その透明度が限りなくクリアだからこそ、一部の人や、限定的な条件だけに留まる情報ではなく、普遍的なものとなり、”100年先に残したい言葉”になってしまうのでしょう。

それでは、早速本日のQ&Aをみていきたいと思います。

<Q>
愛想笑いが苦手です。
そのせいか、あまり上司や取引先との話が弾まない気がするのですが、
何か上手な対処法はないでしょうか?

トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける
<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)

<A>
「愛想笑いが得意な人」と、「愛想笑いが苦手な人」の違いはなんでしょうか。

その場をごまかしたい人にとって、愛想笑いは最強の武器となります。
逆を言えば、「愛想笑いが苦手な人」は、その場をごまかしたくないという人。
だから、愛想笑いを武器にする必要などないのです。

それなのに、「愛想笑いが苦手な人」は、なぜ必要のないものを使おうとするのでしょうか。
それは、何もごまかしたくないのに、何かをごまかさなくてはいけないと無自覚に思っているからです。

愛想笑いが苦手だと言う自覚は、あなたの心のサイン。
無理に苦手な愛想笑い浮かベなくたっていい。

ごまかしたくて、ごまかす人にとっては、なんら無理のない笑顔。
ごまかしたくなくて、ごまかす人にとっては、無理して笑顔をつくることになる。
そもそも、愛想笑いとは、相手を気づかって、笑いたくもないのに笑顔つくる。要はつくり笑いなのです。

そんなに自分を、ごまかさなくたっていい。
ごまかそうとするから、苦手意識が募るのです。

では、なんのためにつくり笑いをするのでしょうか。
相手や周囲のためでしょうか。

自分の心をごまかすためです。怒っているのに笑ったり、憎んでいるのに微笑んで許したふりをしたり。
自分を偽って、あざむいていると、感情は抑圧されていきます。

やがて本当の自分がわからなくなります。

苦手な愛想笑いなどしないで、「そのままの自分」で相手と向き合ってみてほしい。
偽りのない、誠実で、いま以上に素敵な、かけがえのない人間関係を築けます。

《愛想笑いは、ごまかしの最強の武器。》

トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける
<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)



愛想笑いをしている自分にさえ気づいていなかったのだ・・そう思ったのは、
『(愛想笑いをなんのためにしているかというと)自分の心をごまかすためです。怒っているのに笑ったり、憎んでいるのに微笑んで許したふりをしたり』という文章にたどり着いたときです。

さらに、
『苦手な愛想笑いなどしないで、「そのままの自分」で相手と向き合ってみてほしい。偽りのない、誠実で、いま以上に素敵な、かけがえのない人間関係を築けます』という先生の言葉で、
よりはっきりと「自分の心をごまかしてきた自分」が明らかになったように感じました。なぜなら、私はもう長いこと、人と繋がることに苦手意識を抱えてきていたからです。

ここに書かれているように、自分をごまかさず、「そのままの自分」で相手と向き合っていたら、先生の伝えてくださる”かけがえのない人間関係”を築けてきているはず・・。

でも、私には、たとえ家族であっても仲の良い友達であっても、そのような感覚になれたことは、あまりなかったように思うのです。

もっと言えば、久瑠あさ美先生のマインド塾で、「自分と向き合うこと」「人と繋がること」「空間を感じること」を学んでいく中で、
はじめてその場を一緒に過ごした人とでも、これまでにないほどの繋がりを感じられるようになってしまった結果、
過去の自分がつくり出していた「人との関係性」が浮き彫りになったからこそ・・・自分になかったものを「なかった」と認識し、正直にアウトプットできているのだと思います。

本物を知らなかった私は、本物に触れることではじめて、本物じゃないものを認識することができたのです。

人との関わりも、先生が教えてくださっている不純物が混ざりようがない繋がりを体感するまでは、「そこそこ、できているんじゃないか」と”思いたい”自分に、向き合うことさえありませんでした。

けれど、どこかでモヤモヤとした何かが在るということも感じていたので、
人間関係がうまくいかなかった理由を、先生と出逢うまでの期間においても、自分で考えたり悩んだりしたことはあったのですが、
どこかで「私は人とちょっと違うのかもしれない」「私にはこの世界が合わないのかもしれない」と、自分から遠ざけて傷つかないようにしてきたことも、学びの中で気づいていくことができました。

ですから、久瑠式トレーニングに出逢う前までの私は、このテーマに関する先生のANSERを読んだところで、ピンとくるはずがありませんでした。
まさか自分の心を、ごまかしてきたなんて思いもしなかったからです。
むしろ、人一倍、自分と向き合って、感情を受け止めてきていたと思い込んでいましたから・・。

愛想笑いなんてしていないと思っていた自分から、自分の心を受け止めてこなかったのだと気づけた時の自分は、より「そのままの自分」に近づけたような感覚がありました。
胸の中心が暖かくなり、「あ、何か、ここに、ある・・」と感じられるようになるのです。

トレーニングをしていくうちに、いつの間にか、自然体で「ここ」に居られている自分が増えていきます。自分の家にいるときも、外出しているときも、誰かと一緒にいるときも。
そして、「あ、いま、自分をごましているな・・」と違和感が生まれる瞬間をキャッチしやすくなってくる・・。

その変化からまた少し後に、ひょっこりと出てきた新しい私にも出逢いました。「あ、今の私、なんだか自然に笑ってたな」と、これまではできれば関わりたくないと思っていた「人との時間」を、むしろ楽しめている自分がいるのです。これには、自分でも驚きです。

他にも、感情を露わにしている人を見かけたときによく抱いていた嫌悪感が、どんどん薄れていっているのも、嬉しいなと感じています。
なんだか、見守りたい、寄り添いたい、祈りたいような自分がいることを、温かく心地よく思うことができるからです。

『苦手な愛想笑いなどしないで、「そのままの自分」で相手と向き合ってみてほしい。偽りのない、誠実で、いま以上に素敵な、かけがえのない人間関係を築けます』
この言葉は、本当でした。

そしてきっと未来の私は(きっと今の私ももうすでに)、この先生の言葉を、自分の変化を通して誰かに伝えたくなっているはずです。

在りのまま、そのままで生きるというのは、そうそうできることではないと思います。中には、「在りのままの自分」を履き違えてしまっている人、そのように教えてしまっている人も、世の中に多く存在するからです。

けれど本当の教えというのは、本当に、劇的な変化が起きるものです。
そしてその変化は、自分の全身と繋がっていて、一気に世界が変わりはじめるものでなければ意味がない。
変わった気になれるもの、変わっていると思いたいと念じるようなものではなく、気づいたら自然に変化していた、これが本当にすごいのです。

それができるのが、久瑠あさ美先生の潜在意識のトレーニングであり、唯一無二である証でもあります。

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《本日の参考図書》
トップアスリート、一流経営者たちがこぞって受ける
<小さな自分>から脱皮する心の授業(大和書房)
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