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【ショート・ショート】私の鼻は左きき?

♪小さく投げキッスする時もする時も……(中略)……私の私の彼は、左きき。♪

作詞:千家和也

 1973年にヒットした麻丘めぐみさんの『わたしの彼は左きき』と言う曲の一部だ。


 手に右利き、左利きがあるように、耳にも利き耳がある……と私は思う。
 ほら『聞き耳を立てる』って言うだろう。あっ、でもあれは『聞き耳』で『利き耳』じゃないか。でも使う方は『利き耳』だよね。
 それはともあれ、私の場合、右だ。ちなみに利き手も右だ。

 と言う訳で、私が電話を受けるときはいつも右耳だ。別に左耳が聞こえづらいわけじゃない。健康診断の聴力検査では、若干左耳が高周波領域での値が落ちるものの、全く問題ないと医師は言う。

 私はメモを取る必要がある時は、受話器を左手に持ち替えて右耳に当てて、右手で筆記具を使っていた。左手が顔の前をよぎって邪魔だが、私は右利きだから、そうするしかない。もっとも左手で受話器を持って左耳で聞けば、そんな窮屈な体勢で電話しないで済むのだが、右耳のほうがどうしても聞き取りやすいし、自然とそういう体勢になるのは致し方ない。
 メモ帳を手に持つ必要がある場合は、受話器を肩とあごで挟む。口を動かす度に受話器が揺れて話し難いし、長時間だと肩こりや首痛に悩まされることになる。

 ダイヤル電話の受話器はそれなりに大きさがあるので上記の方法が取れるのだが、スマホだと事は容易ではない。薄っぺらいから、挟むのは格段に難しい。首を右に大きく傾げて、かつ右肩を目一杯上げるという、痙攣けいれんしそうな極限に近い姿勢を強いられる。

 だが先日、スマホにはスピーカー機能があることを知った。スマホを机等に置いてその機能を使えば、もっとずっと楽にメモが取れるのだ。
「何でもっと早く教えてくれなかったんだよ?」
 私は秋子に文句を言った。
「だって、聞かれなかったから」
「僕の格好、見ていただろう?」
「だって、面白いんだもん」
 秋子は、げらげらと笑った。

 それは目においてもあり得る。私の場合利き目は左だ。カメラのファインダーを覗くとき、また観光地の望遠鏡(双眼鏡タイプだったら両目を使うが)も、あるいは天体望遠鏡の接眼レンズや顕微鏡の接眼レンズを覗く時もそうだ。
 さらにはウィンクの時使う目も左だ。

 人間の体は耳も目も、もっと云えば細胞レベルでも、完全なる左右対称ではない。形や配置に左右どちらかへのかたよりがある。それらが利き耳や利き目を作っていると思う。

「そんなこと考えていたの? 暇ねえ」
 秋子は、けたけた笑う。私が上記の説を披露した時のことだ。
 出会った頃は、ころころという形容詞が似合うような笑い方だったのに……。

 さて。
 私は、もう一つ、利き鼻があるのを知っている。
 私は、いいにおいの時は右側を、嫌なにおいの時は左側を使っている。つまり私の利き鼻は右だ。
 なぜそれがわかったのかって。それは以前、私が風邪かぜでたまたま左の鼻が詰まった時のことさ。会社同僚のハナヤギさんの香水をとても素敵に感じたんだ。頭がクラクラするくらいにね。決して熱のせいじゃないよ。と云うのも、次の日、今度は右が詰まって、いけ好かない後輩の上原の体臭がやたらと鼻についたから、それと分かったんだけどね。
 耳や目は左右に一つずつあるが、鼻においては鼻孔は二つでも奥で一つになるから、そんなものはないと思うのが普通だ。それで風邪が治った後で、片方の鼻を押さえて実験してみた。結果は鼻づまりの時と同じだった。
 ただこれは絶対的なものではなく、相対的かつ精神的なものらしい。
 何故なぜそう言えるのかって。それは、ハナヤギさんに告白して振られた後は、右側でもハナヤギさんの香水が嫌な臭いに変わったからだよ。ほんと、人間って現金だよね。

 プルースト効果というのがあるそうだ。特定の匂い(臭い)が、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象のことらしい。物の本によれば『嗅覚は五感の中で唯一、本能的な行動や喜怒哀楽などの感情をつかさどる大脳辺縁系に直接つながっているため、より情動と関連づけしやすい』とのことだ。
 つまりハナヤギさんに振られたという嫌な体験が、彼女の香水の匂いと結び付き、その匂いをくさいと感じるようになったみたいだ。



 それはそうと。

 この頃、秋子の体臭がやけに気になってきたんだけど、これって……。

<了>


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来戸 廉
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