席亭を送る~道楽亭・快楽亭ブラック大毒演会「ブラックの神髄」~天神亭日乗22
五月三十一日(金)
道楽亭 快楽亭ブラック大毒演会「ブラックの神髄」
この一週間前の五月二十五日はブラック師匠の生誕祭。浅草木馬亭で師匠の「七段目」を聞いた。盟友でいらっしゃった市川左團次さんを偲びつつの落語「七段目」。ブラック師匠の「七段目」はあきらかに違う。歌舞伎役者の魂が身体に入っているかのようだ。若手の噺家さんたち、「七段目」はブラック師匠に習うべきかも、などと思いながら夜の浅草を歩いた。
ブラック師匠を初めて聞いたのは昨年の渋谷らくごでの「まむし」。山田洋次監督が作った新作落語である。「短命」を下敷きにしたストーリーなのだが、ブラック師匠の口演はパニックムービーを見ているようで、「これは!」と思わず唸った。私の中でブラック師匠が「今、見るべき人」となった。
「出入り止め」を自虐ネタにしながら突き進むブラック師匠の高座。下ネタもやや激しめだが、段々慣れてきてしまった。この「出入り止め」の原因、下ネタのせいではなく、おそらく某宗教団体や政治団体にかかる発言で圧力が加えられているのでは、と推測する。真相は分からないが。
今夜の道楽亭はいろんな思いで訪れた。まだ寄席に通い始めたころ、この新宿二丁目の道楽亭におそるおそる足を踏み入れた。文菊師匠や馬石師匠をこんな近くで!と大興奮しながら見ていたことを思い出す。奈々福先生と沢村豊子師匠の楽しい会も忘れられない。
入口でつまらなそうに受付をされていた橋本席亭。私の読みにくい苗字を毎回「ん?」とおっしゃっていた。覚えてもらうにはもっと通わねばならなかった。今となってはもう遅い。橋本席亭は五月二十三日に急逝されたのだ。
一見コワモテの橋本席亭の、実は人情に篤いお人柄を、私も体験したことがある。一度、ある師匠にお仕事を頼むことをスタッフの方にどのようにしたらよいか、尋ねたことがある。道楽亭プロデュースで、別の会場での会だった。まだコロナでかなり規制がかかっている時だったが、橋本席亭が出てこられ、「ん?じゃあ、こっちこっち」となんと私を楽屋に連れて行ってくださった。終演後のお疲れの師匠、しかも客と接することはおそらくNGだった時期だったのでご迷惑だったかもしれないが、名刺をお渡しして、ご挨拶をさせていただいた。あのコロナの時期、師匠方のお仕事もおそらく激減した時だったので、橋本席亭は私のような者でも、何か仕事につながるならば、と思われたのかもしれない。「いつも不機嫌そうなあのマスター、実は優しいじゃん」と、そこからすっかり道楽亭の馴染みになった気分になった。
それから、これは、と思う会には足を運んだ。昨年8月の春風亭だいえいさんと古今亭菊正さんの会、ブラック師匠がゲストで替え歌メドレーを披露してくださった現場にも幸運にも立ち会えた。椅子から転げ落ちる、という表現があるが、本当に脳震盪起こしそうなほど笑った。またこの若い二つ目の落語もとても良くて、ブラック師匠が見つめる前でのだいえいさんの「一眼国」「目黒のさんま」、菊正さんの「無精床」「蒟蒻問答」さながら局地的二つ目勉強会のようだった。お二人とも百栄師匠と菊太楼師匠という立派な師匠がいらっしゃるが、そこにこのブラック師匠のDNAを一滴、ブラックブラッドを引き継げるのがこの二人かも、とワクワクして聞いていた。
今日の「ブラックの神髄」も予約し、楽しみにしていたが
Xで橋本席亭の訃報を知った。いろいろな会がキャンセルされていく中で、この会は開催を決められたようだ。
もしかしたら、もうこれが道楽亭でブラック師匠を見られる最後の日になるかもしれない。沢山のお客様だった。私もこの高座とめくりを写真におさめた。別の落語会の席亭U氏の姿も見えた。つい最近、この席亭から春風亭百栄師匠のこの道楽亭での落語会は絶対見るべきだ、と勧められたばかりであった。「絶対行きます!」と答えたばかりなのに。まさかこんなに急にハコの主を失うとは。
ブラック師匠が高座にあがる。客席から黒い旗が振られている。ブラック団の皆さんだろう。
師匠が語り始めた。まずは落語の成り立ちから。そして「小町」。二席めに入るときに「席亭」論を始められた。橋本席亭が打って出る興行。私も随分楽しませてもらった。ブラック師匠が挙げられたのは川柳川柳師匠の会。これも懐かしい。残念ながら参加できなかった会だが、強烈に印象に残っている。奇天烈な会から、しっとり古典を聞かせる会、若手の二人会も沢山企画。毎月の予定がびっしり書かれたチラシももう見られなくなるのかと思うと悲しい。川柳師匠の「ジャズ息子」を偲んでだろう。ブラック師匠は「演歌息子」をかけた。
ラスト高座は「三軒長屋」。この「三軒長屋」は橋本席亭に捧げられたのだろう。素晴らしい一席だった。
*歌誌「月光」86号(2024年8月発行)掲載
※その後、橋本席亭の想いを継ぐ有志の方々が共同席亭となり、道楽亭は「シン・道楽亭」としてスタートされました。これからも通いたいと思います!