自分史5、小学校その1

小学校に入って登校初日、
はっきり覚えているのは、お兄ちゃんが助けてくれたことだ。
お兄ちゃんは、小さい時から優しくて、
遊んでいる時も、例えば雨上がり、水溜りが見えない私に、
「僕の後についてきてめ」と、
水溜りをよけながら、ゆっくり歩いてくれたり、
普通に助けてくれることが多かった💚
小学校には登校班で行く🎒
当時、班は男女で分かれていて、全員集まったら出発するんだけど、
だいたい男子が先だった。
学校に着くと、校門でお兄ちゃんが待っていてくれて、
下駄箱、教室、教室の中の
席やロッカーまでも、
右から何番目、上から何番目みたいに
母方式で教えてくれた。
トイレや体育館、よく使うであろう所も👌
私が覚えるまで、数日つきあってくれた💚

教科書の字は、まだ大きいから見えた🙆‍♀️
が、ページ数が小さくて見えなかった👓
とれと、ノートの線、マス目が見えなくて、
自由帳のように白しだと思って書いていた✏️
ある日、ノートを見て、線をガン無視して書きなぐっている様子をみて
母はびっくり❗️
線があることを知った私もびっくり❗️
そんな訳で、全ての教科書のページ数は、母がサインペンで
大きく書いてくれた✏️
ノートもボールペンで濃くなぞってくれた。
それは、教科書が変わるたび、ノートがなくなるたび、母の仕事となった。

私の目は、物を見て、それが何か分かるまで
少々時間がかかる目だった👀
焦点が合うのに時間がかかったんだろうね。
加えて視野が狭い。
どんなことが起こるかというと・・・。
字を読むのに時間がかかる&次の行に移るのが大変❗️
読み始めた行頭を指でおさえて次の行に移るのがやりやすかったけど、
本を持たないといけないし、
なかなかそれもできなくて、
要は、文字を読むのがかなりたいへんだった。

それと、難儀だったのが体育、中でも球技は地獄だったわね💣
ドッヂボールとか、何あれ😵
ボールを当てて勝敗が決まるなど正気の沙汰ではない😵
あんなに速く飛び回るボール、
全然見えなくて、何の準備もできないまま
飛んできたボールに当たる💣
痛いし怖いしドンくさい😅
1年生の時、ドッヂボールを楽しくやっているみんなを目の当たりにして、
私は自分の目が、人並はずれて悪いのだと知った🙀

あと、通学路🚶
これも初日。先生が途中まで同行してくれて、
同じ方面に帰る子たちがまとまって帰ったのだけど・・・。
どこかを左に曲がるんだったよなぁって思ってて、
私は2本早く曲がっちゃったのね❗️
正しい角で待っていてくれた母は、私がいないからびっくり❗️
私はよく分からない道を一人で歩いてたんだけど、
知ってるおばあちゃんの声が聞こえてきて、
「あ、ここは、伊沢さんちだ👌だったらお家はこっちだ😊」と、検討をつけた頃、
私を探しにきてくれた母に会えた😌
一度家に帰り、
通学路の私にも分かる目印を母と一緒に確認しに出かけた👟
帰りの曲がり角の目印は、ガードレールがなくなっところ👌
もう、間違えることはなかったよ👌

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