ゲームの歴史の批判本に学ぶ
ゲームの歴史の元になった日記
ところが、これが困ったことに、ゲームの歴史の主な著者の54歳男性は、
毎日日記を書くことを習慣にしているのだが、
・引用・出典、エビデンスが全くなし
のため、日記に書いてあることは一見もっともらしく見えるが、出鱈目で、
これに対して有識者から正しいツッコミが入ることで帳尻が合うようになっている。
ハックルベリーに会いに行く(岩崎夏海) - ニコニコチャンネル:社会・言論 (nicovideo.jp)
しかし残念な書影だ。本の装丁自体はしっかりしているのだが、このGameというロゴが意味不明だ、ダサい。とはいえ、のちのレビューにも影響を与えた帯の文字は、ある種の刷り込み効果ありということか。
この「ゲームの歴史」の元になったのは前述のとおり日記である。
その日記を見るのも徒労で、
・怒るたびに神経がすり減る
・脅されるたびに神経が縮こまる
・呪われるたびに不安になる
これらはマイナスの精神作用で、、、
・根拠のない日記の褒め言葉で勘違いをして恥をかく
ところが本来プラスであることすらマイナスになってしまう、、、
この不可解な現象について、
まとまった批判として言語化してほしいと考えていた。
とは言え、この批判本にすがるわけにもいかないので、
共感したところを書いておきたい。
現象として、全国の小中学校に1冊ずつ配本され、
作者は子供には義務教育は受けさせない、独自の教育を実践すると言っていたのと矛盾する。
こうして批判本がなければ、日記を元にした、読者を呪うだけの本が教科書として流通するとすると悪夢だ。
ゲームの歴史の批判本「ちょっとは正しいゲームの歴史」
言論の自由にも二種類ある。
・自分が自由に発信する自由
・相手に自由に発信させない自由
日記は特に後者の性格が強かった。
批判本の作者も、この日記を見てカッとなったことがあるという、一貫性のない天邪鬼のような内容なのが、問題なのだと思う。それに比べると書籍は落ち着いた論調になっているという。ともかく、この手の日記に感情的になっては損で、毅然とする必要がある。
日記によく見られる、うざったい特長の大きすぎる主語も、ただの個人の意見程度に等身大で見る必要がある。
ゲームレジェンド新刊『ちょっとは正しいゲームの歴史』できました | Colorful Pieces of Game (highriskrevolution.com)
「ちょっとは正しいゲームの歴史」から内容をピックアップ
冒頭の部分
冒険はハックルベリーフィンの冒険、戦争は特に第二次世界大戦、セックスはアイドルグループや慈善団体のColaboだと思われる。
著者は性的な表現が下手で、セックスをした後に相手の首を絞める性癖がある。単に性的な行為をするだけでなく、猿のようにマウンティングして相手を苦しめる。ここが悩ましいところである。
軍事との関わりがあるというデタラメ
ノイマン型コンピューターは、日記でたびたび出るところで、YouTubeの「10分で説明するチャンネル」でも自慢げに話していた。引っかかるのは「半知性主義」というテレビ局特有のジャーゴンだ。
これは関連する書籍を適当に拾って、数字を感覚的に出していて知っているように見せかけている。
この本には、あたかも誰かがその時思っただの言っただのと断言するところが多数あり、ソースを探すと見つからないということを繰り返している。
これは、悩ましい部分だ、これで行くとこの本はノンフィクションだと表向きは言って人目を引こうとするが、読んでみるとフィクションになっている。羊頭狗肉だ。
なら初めから、
この物語はフィクションで実在する人物や団体とは一切関係ありません
と断るべきだと考える。
のちに回収・絶版するかは別として、話題になる少し前にこのように賞賛する意見もあった。これは校正を通していないので、作者が飲み屋で語ったことがダダ漏れになってしまうため、作者のためにもならないという関係になっている。作者の機嫌(怒りやすいと公言している)を良くするには手放しで絶賛するしかない。しかし、それは実を結ばないケースもある。ぽてちさんの言うとおり、そういう帯付きの本があったという証言ではあるが。
書籍「ゲームの歴史」について(1) | Colorful Pieces of Game (highriskrevolution.com)
ここまでの内容はブログにも載っている、批判本と違ってテキストがコピー&ペーストできるから、やはり必要かと思ったが、批判本に乗っている部分もある。全体像が把握できるのが批判本、「ゲームの歴史」自体は販売停止になっているので、直接読むことはできないが、日記を辿ればおおよそ何が書いてあったかは想像つく、ただ、日記も機嫌が悪いときに書き殴ってあるのか、一貫性はなく気分屋であるようだ。
家庭向けコンピューターゲームの成り立ち
こと、作者の「面白い」には一貫性がない。どういう場面や展開が面白いのか、具体性がない場合は無視できる。無視するための予備知識が必要だということだ。中には痴話喧嘩が「面白い」という他人が不愉快になるだけの場合もある。
『ゲームの歴史』全3巻販売中止のお知らせとお詫び - 青い鳥文庫 (kodansha.co.jp)
一巻だけなら楽天に在庫があるようだ、このタグの「#おもしろい」が不気味だ。講談社は返金対応もしてくれるとある。
1979年のNHKでパテントはないということを著作権に置き換えている。後になって著作権を訴えるにつなげようとしたが、
パテント(特許、特許権)と著作権が繋がらない。
当時のNHKを見ることもできないので、このブログにセリフが残っている。
アミューズメントって、ファミコンは家の外には出さないから想像できない、ファミコンとオープンソースというのは直接は結びつかない。
マイコンを軸にした遊び→ファミコンなどの開発にパテント(特許)がない。
という意訳にしてみる。
とするとファミコンは著作物だと主張する線もあるが、体系的に歴史を語るより、まずは事実としてありのままを重視したい。