明日死ぬかもしれない人だってお通じは大事。
最近の1日の最後の大仕事はお通じを出すことです。
けれどお通じは薬の副作用の為、なかなかやって来ないのです。
だからひたすらに水分をちまちまと接種してベッドの上でもがいて、お腹を揉んだりしています。
水?
そんなの飽き飽きしちゃうからたまにしか飲みません。
今はレモンティー、桃ティー、お茶、レモンティー、抹茶オレ、お茶、桃ティー、ゆずはちみつ、などなど好きなものを飲んでいます。
プリン、いちごポッキー、たくあん、プリッツ、さきいか、マシュマロなどのおやつも好きなものを食べています。
病院食でなくとも、好きな物を食べても飲んでも良いと言われているのでフリー状態。
後悔しないようにどうぞ、という意味と、闘病にも体力は必要、という意味の2つが入り雑じってるんだろうと思います。
私は末期がんで余命がそろそろらしいです。
詳しくは訊いていません。
聞くのが恐いからです。
出来れば生きていたいけれど、これだけはみんな平等に言えること。
自分で死なない限り、死ぬ瞬間も理由も選べない。
これは私だけの事ではなくて、生きている全ての方々に言える事です。
死は全員に平等にいつか必ず訪れるもの。
ならば落ち着いてその死に……なんて到底無理です怖いです。内心ビビりまくりです。
だって死んだことないんだもの。
皆さんも恐くないですか?
自分が死ぬなんて事。
もし恐くない方が居たら羨ましいな私は。
いや、腰を据えている方も居るんだろうな。
私の腰は死を前に抜けています。
2017年。
初めてがんと告知された時からずっと抜けていました。
抜けながらも闘病生活に突入。
運良く初期がんだったんだけれど翌年再発をして、摘出手術も含めてがんの治療と呼ばれる物は腰が抜けたまま一通りやりました。
腰が抜けていても、生きたい事に変わりはありません。
↑ベッドを動かしていたらスマホの誤動作でフォントのサイズが大になっていました。
偶然だけどとても強く思っている事のひとつだから、このままにしておきます。
運良く初期だったと思っていたけれど、結局再発があり今に至ります。
そうして今は食っちゃ寝の怠惰な生活を大々的に容認されて此処に居ます。
大したことはしてない人生。
だから後悔も多いなあ。
でもまだ生きているのでそれをひとつでもこなして行けるかもしれません。
そう思って闘病エッセイを書いてみる事にしました。
お通じをするのが一大事の腰が抜けたままの闘病生活。
三日坊主で終わったら、それこそ笑って下さい。
坊主かどうかも確認しようがないだろうけど。
さあ今日のお通じはとうとうやって来ませんでした。
ピコって可愛い名前の下剤を飲んでまた明日再挑戦です。