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ましろ爻 幽霊みたい考察

2024年の11月26日に、にじさんじ所属のVTuber、ましろの歌ってみたの「幽霊みたい」が投稿された。
久々の歌ってみたということもあり、Twitterにて告知された時はかなり嬉しく、当日を楽しみにしていた。
投稿され、実際に聞いてみて1番最初に出てきた感想は、「これはましろの歌ってみたなのか……?」というなんとも検討違いな、訳の分からない感想が出てきてしまった。
もちろん、この歌ってみたはましろが歌うべくして歌うような、そのくらいましろにピッタリの選曲だった。声と曲の雰囲気の調和が素晴らしく、MVも、ましろが実際に訪れた心霊スポットの実写動画が使われているなどかなり凝っているものだ。今となっては、この歌ってみたは個人的に好きな歌ってみたのTOP3に入っている。

しかし、初見で聞いた時のあの違和感はなんだったのだろうか。もっとほかの感想が出てきてもいいのに、その感想で頭を埋めつくされてしまったのは何故なのか。

上記の疑問は投稿されてからずっと私の心の中に残り続けていたのだが、つい最近、ようやく納得出来る解釈が誕生した。
このnoteではましろが作り出した「幽霊みたい」の考察をしていきたいと思う。まだこの曲を聞いていないという人はこの続きを読む前に、歌ってみたの方を聞いて欲しい。




では本編へ。





考察


まず、私は、この物語は2人の人物で構成されていると考えた。曲の中で言う「僕」と「あの子」。つまり、「ましろ」と「ましろ爻」だ。何を言っているのだ、この2人は同一人物ではないか、と言われてしまうかもしれない。しかし、思い出して欲しい。「ましろ」は、いつ「ましろ爻」になったのかを。

2022年6月8日。ましろはTwitterにてYouTubeチャンネルがBANされたと報告をした。そして1ヶ月後の7月8日には新チャンネルで初配信を行った。新チャンネル名は「ましろ爻」。この1ヶ月間の間に、ましろは名前が変わり、爻になっていた。
YouTube名も、Twitter名も、にじさんじの公式HPも、全ての名前が「ましろ爻」に置き換わったのだ。
この1ヶ月間のことは、私達リスナーにはましろに何が起こったのかこれからもわからないままだろう。

では、もし、この1ヶ月間の間に「ましろ」が「ましろ」ではなくなっていたら?つまり、「ましろ」は「ましろ爻」に乗っ取られていたとしたら?

この考察の根拠はほとんどない。9割は私の妄想だ。しかし、ブレス音が一度もなかったり、ボカロのように、機械のように歌っているその違和感だけを頼りに書いた考察だ。この考察を読んだ後、もう一度「幽霊みたい」を聞いて欲しい。

さて、以降の考察では、この考えを元にして考えていきたいと思う。




街も眠る頃
暗い部屋夢も見れず死ぬのを待っている
少し歩こうよ
怖い夢見ないように遠廻りをしよう

時刻は深夜。「ましろ」は現在、「ましろ爻」に身体を乗っ取られ、魂だけがある状態だと仮定する。
歩こうよや、〜をしよう。という歌詞を見て、最初は誰かに語り掛けているのだと思った。しかし、聞けば聞くほど、ここの部分は誰かに語り掛けているのではなく、自分自身に言い聞かせているように聞こえるのだ。

リスナーとたくさん話して、日々を過ごしていた「ましろ」が突如何者かに乗っ取られた。生きる気力もないのに死ぬことも出来ない。だからといって何もしないのは、どこか違う気がする。そんな思いから自分に言い聞かせるような言葉を吐いたのではないだろうか。


街灯途切れた暗い歩道橋から
見下ろす交差点に吸い込まれそうになる
僕がこの世から消えちゃっても
誰も気付きやしないね


歩き続けた「ましろ」は歩道橋の上で考える。そう、今は自分の他に、昔の自分のように配信をしている別人がいるのだ。そしてリスナーはみんなその配信を楽しんでいる。だったらいっそ────という思考回路の果てなのだろう。
MVでは、ここでましろが誰かを静止するような仕草をするカットが出てくる。まだ、その時ではないという、自分の早まりを止めるために自己暗示をかけているのではないかと考えた。


ゆらゆら彷徨う僕は
まるで死んじゃった幽霊みたい
あの子みたいに生きられたらな
体が透ける街の中で


これは、原曲の方のコメント欄に書いてあったことなのだが、もう幽霊は死んでいるのに、あえて死んじゃった幽霊と言うことで人は2回死ぬということを表しているのではないかという考察があった。
その考察をそのまま「ましろ」に当てはめて考えてみる。
「ましろ爻」に体を奪われ、肉体を持たなくなった彼は一度死んだと考えられる。そして、「ましろ」が活動していた過去の配信や記憶も「ましろ爻」のものだとみんなから認識されたとき、二回死んだということになるはずだ。

あの子みたいに生きられたらな、という歌詞から伝わるように、「ましろ」はもう一度リスナーの前に立って配信をすることを望んでいる。


月も眠る頃
眠れない自販機が僕らを照らしてる
少し話そうよ
(許して)
本当は生きていたいとか
(生きてる意味がないから)
ワガママな幽霊ね
(飛び込みたくなった)


ここで、今まではずっと「ましろ」1人で進んでいたところに「僕ら」という複数形が表れる。この急に増えた1人が「ましろ爻」であると思われる。
ましろ「少し話そうよ」
ましろ爻「本当は生きてたいとかワガママな幽霊ね」
という会話文が頭の中に浮かんだ。
自分の身体を返してもらうために、「ましろ爻」に会いに行き、話をしようと切り出すが、「ましろ爻」はスッパリとその話を断ち切ってしまう。

「ワガママな幽霊ね」と歌われた後、曲はノイズが掛かり、MVに出てくるましろの顔には、黒や青の四角いものが覆い被さる。つまり、バグが起こっている。
このバグは「ましろ」の心のゆらぎなのではないかと思った。1番のサビでもあったように、「ましろ」は自身のことを幽霊みたいと言っていた。「ましろ爻」のように生きていたいと望んでいたが、心の中ではどこか幽霊になりかけていることを認め、諦めていたのではないだろうか。しかし、「ましろ爻」の発言により「ましろ」の心に火が灯る。「ましろ爻」を許せないという思いが。その気持ちが幽霊になりかけていた「ましろ」の身体を突き動かし、このバグの部分では人間とも幽霊とも言えないとなっていたのではなかろうか。


今更泣いちゃう僕は
(「もしもし?」)
まるでホンモノの人間みたい


「ましろ」にまだ残されていた人間の要素。再認識した彼は、ここで人間に戻ることを決意したと思われる。


ゆらゆら彷徨う僕は
まるで死んじゃった幽霊みたい
あの子みたいに生きられたらな
体が透ける街の中で
夜な夜な彷徨う僕は
まるで死んじゃった幽霊みたい
あの世みたいに生きられたらな
声も届かない街の中で


心に決めた「ましろ」はさまよい続ける。どうすれば身体を取り戻せるのか。
ここで言っている「幽霊みたい」は恐らく「ましろ」の自虐のような発言だ。1番のサビでは感じられなかったような、か細い力強さをラスサビでは感じられるだろう。

再び「ましろ」の声を響かせるために、「ましろ」は
今日も奔走している。



まとめ


この楽曲だけでは「ましろ」がその後どうなったのかは全くわからない。私達視聴者はこの後を想像することしか出来ない。しかし、一つだけ結末を知ることが出来る糸がある。

YouTubeチャンネルの名前だ。

ましろ爻としてデビューしたはずの彼は、いつしか名前がましろに変わっていた。もしこの考察に沿って考えるなら「ましろ」は身体を取り戻したのだろうか。





フッと消えて、再びフッと音もなく表れる。まるで、「幽霊みたい」だ。

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