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祖父と向日葵

9月上旬、夏の終わり
祖父が亡くなりました。

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9月の初め、祖父の様態の悪化の知らせを受け、病院へと車を走らせました。
今までお見舞いに行ったことのない無知な私は、花束をもって病院に行っては行けないことを知らず、向日葵の花束を持って、病院に駆け込みました。

受付のお姉さんに呼び止められ、焦燥感と落胆をどうにか抑え、花束を預けました。

病室
変わり果てた祖父の姿に衝撃を受けました。
涙が止まらなかった。

苦しそうに息を吸う姿、懸命に病と戦う姿。
確かに、祖父でした。

祖父を前に、とっさに出た言葉は、

「私、頑張るから」
「おじいちゃんのおかげで頑張れてるよ。」

温かく、時に心配そうに見守ってくれた祖父へ、決意の言葉でした。

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病室を後にし、見せれなかった向日葵を手に、帰路につきました。

容態が良くなったらきっと渡せる。
その時まで私のそばに。

そう願ったのもつかの間
翌日の夜、訃報を受けました。

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全然恩返しできてないのに。
ウエディングドレス姿を見せるって決めてたのに。
まだまだ成長した姿を見せれていないのに。
感謝を伝えきれてないのに。

後悔ばかり浮かんできました。

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向日葵

鮮やかな黄色で真っ直ぐに太陽に向かって、大きな花を開く姿は、何事にも一直線に、妥協することを好まない祖父のようでした。

「いい加減だと言い訳ばかり」

もう、うんざりするほど、耳にタコができるほど聞きました。

最後の最後まで、諦めず、懸命に戦う姿は
祖父の「人生」そのものだったなと。

残されたものたちに残るものは何もないのでしょうか。
そんなことはないと思います。

祖父は、祖父の生き様を最後まで私たちに伝えてくれたんだなと思います。

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最後のお別れのとき
まだ元気な向日葵と手紙を、祖父の棺に添えて、
決意と感謝を胸に、お別れをしました。

私は私の人生を生きるよ。

来年の夏、太陽に向かって咲く向日葵を見るまで
祖父が教えてくれたものを胸に、
私は私らしく、沢山悩んで、もがいて
力強く生きていこうと思います。

おじいちゃんありがとう。



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